第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その三百六十九
―――視線は、多くを伝えてくれるときもあれば。
そうじゃないときもあるし、完璧なものとは限らない。
女神イースの瞳に、ソルジェは自分を見た。
術を仕掛けられるのかもしれないと、警戒はする……。
―――でも、その警戒は長くは継続しない。
ミアの叫びが届いていたのは、ソルジェも一緒だ。
大きな弱みでもあるし、大きな強みでもある。
ふたりの兄妹愛の持っている絆は、とてつもなく強いから……。
―――ミアとも、もちろんセシルともね。
焼かれた妹の呼ぶ声に、怒りと復讐の道を選んでいる。
大陸を掌握しつつある帝国の大きさを知ってもなお、戦意は消えることはない。
歴史家はいつかこの竜騎士を研究して、その怒りに身震いするはずだ……。
―――敵に対しての、底なしの怒りの化身。
あるいは人間族が作りかけていた秩序の破壊者、そんな意地悪な判断をするかも。
世界を変えようとしたきっかけは、けっきょくのところ怒りだから。
ソルジェにとって、敵を許すという行いは難しいものだと分析するかも……。
―――でも、それは偏った分析だね。
愛情だってあるし、やさしさもあるよ。
迷うほどには、複雑な精神構造をしちゃいないけれど。
凡庸な脳みその出来の割りに、がんばっている……。
―――野生の勘も強いから、今はそれがよく機能していた。
女神イースの瞳の本質を、戦いで培った感性で読み解いている。
主導権を手渡されたことに、もう気づいていたよ。
あとは、ソルジェが選ぶだけ……。
―――もちろん、それほど迷うことはない。
竜太刀を引いて、ゼファーは踏みつけている蹴爪をどけた。
ボクたちの単純な大魔王は、いつものようにあっさりと決める。
『自由同盟』を滅ぼすかもしれないリスクのある強敵を、信じていた……。
―――そのとき女神イースが、どんな気持ちを手に入れたのか。
それはかなり複雑なものだろうけれど、戸惑う時間は残されてはいない。
自らの使命を果たすために、残されていたはずの力。
千年の悲願を裏切りながら、この奇跡に使わなければならなかった……。
―――瞳は、完璧ではないけれど。
多くを語ってくれる、特別な器官だった。
ソルジェは、なつかしさを覚えてしまう。
最強の大魔王にだって、ちいさなガキの時代もあったんだ……。
―――ストラウス家の子育ては、異常なまでにワイルドだったよ。
「戦場で死に、歌となりなさい」。
竜騎士の一族に生まれたからには、そういう教育方針もしょうがないかもね。
おかげで、ここまで生き抜けるほどの力を与えてもらってはいたのだから……。
―――でもね、別にソルジェの母親は怖いだけじゃなかったよ。
戦場で死んだ者たちに、礼を尽くす人物でもあった。
ガルーナ王国軍の戦士は当然のこと、敵の戦士にだってね。
元々が『バルモア連邦』生まれの外国人だったからというよりも、個人的な質だろう……。
―――敵側の戦士の名誉も、守るべきだと信じた。
『戦い殺して奪う』、それこそがストラウス家の『表』の本質だとすれば。
容赦なく斬り捨てた好敵手に対しても、敬意を捧げるという『奥』の本性だ。
つまり、本質を構成する重要な核のひとつだよ……。
―――苛烈で恐ろしいまでの残酷さと、敵への尊敬。
それを両立しているから、狂戦士じみて戦いを愛することが出来た。
矛盾しているというよりも、ストラウス家の哲学は意外とフクザツってことだね。
今の女神イースの瞳は、その意外とフクザツなものの一部を見せていた……。
―――「強い敵には、最大の殺意と」。
「殺したときには、最高の敬意で臨みなさい」。
恐ろしいのか、やさしいのか。
頭でっかちの識者に議論を吹っかけて、理性的な判断を仰ぎたいところだ……。
―――もちろん、どうせ彼らには推し量れないよ。
乱暴な北方野蛮人の、最も深い部分にある価値観なんてね。
賢い彼らが出した答えには、意味もない。
ソルジェの瞳が映した存在こそが、すべてだ……。
―――長い黒髪の女傑を、思い出している。
ソルジェの恐ろしくてやさしい、母親のことを。
女神イースの瞳は、問答無用の母性があった。
彼女を邪魔する気に、ソルジェは全くなれない……。
―――これは識者を集めたら、死ぬほど怒られるかもね。
『自由同盟』だとか、亜人種全体の『未来』。
そんなボクたち個人の命よりも、ずっと重たいはずのものを。
軽んじているわけじゃないけれど、たしかな危機にさらしていたから……。
―――もしも、女神イースに敵意があったら。
大きな歴史の命運が終わっていたかもしれないと、バカにされるかも。
だって、それは正しい判断ではあるからね。
ああ、これは何て罪深いギャンブルだったろう……。
―――敵なんかに、しかもとてつもなく厄介な女神なんかに。
『カール・メアー』のおぞましい哲学の化身に、自由を与えるなんて。
もしものことが起きていたら、どれだけ馬鹿にされたことだろう。
でもね、歴史に残るのは事実だけ……。
―――女神イースは、誰よりもまっすぐに。
散りゆく命を見つめ、それでいて必死だった。
『歌になることを望む/英雄になれ』という意味は、いくつもの解釈の仕方があるけれど。
母親にとっては、ひとつの野心的な願望を叶えてもくれる……。
―――『多くの者に、愛する我が子の名前を呼ばせられる』んだ。
いかにもストラウス家なんかに嫁いだ女傑らしいと思うのは、ボクだけじゃないかも。
そういう気骨と気質が、この竜騎士の一族の血には脈々と受け継がれている。
もちろん、これを賢明な性質だとは言えないけれど……。
―――そもそも、大陸最大の帝国に挑むだとか。
多くの人々が別に望んでもない、人種の壁を越えようとする行いだとか。
そんなもの、賢いヤツが選ぶ道だとでも?
どう考えたって、違うよね……。
―――とんでもなく愚かな者でしか、そんな道は選べない。
これは愚かであり、あまりにもリスクが大きく。
それでいて、正しい道だというオマケがついてくる。
北方の空に君臨する歌にこそ、相応しいものだ……。
―――賢明なだけの英雄が、歴史のどこにいたのか。
他の誰もがやれない、あきらめてしまうはずの道を選ぶ者だけがそれに至る。
その途方もない挑戦は、狂っていないとでも?
もちろん、どこか狂気じみているくせに正しいものさ……。
―――世界の命運を、背負った大魔王と女神だけれど。
いいさ、そんな責任を忘れるのも英雄的な『正しさ』の特権だろう。
これは世界を変えるような、異常な道の物語。
狂ったような笑顔と必死さで、成したいことに挑むのが相応しいのさ……。
―――とても、哀れな者たちのために。
女神は、残りのすべてを使うことを選んだ。
もう迷いはない、今はただひとつだけ。
愛しい子供を見つめるときの、母親の顔だった……。




