第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その三百六十八
―――戦いの最中に、『敵』に対して『お願い』をするなんて。
どんな大人にも、選べるような行いじゃない。
ある意味で、子供だけの特権と言えるものさ。
これはソルジェにさえも、やれなかった選択肢だ……。
―――ソルジェは女神イースを、完全に追い詰めようとしていた。
死の寸前まで追い詰めて、可能性があるのならメダルド救出のために動く。
それが不可能であれば、戦士と将としての義務を果たすのみ。
人々の魔力を吸い尽くすような敵を、これ以上野放しにするのは危険すぎる……。
―――女神の権能と帝国軍が、完全な協調をしていれば。
『自由同盟』の全軍が壊滅させるリスクがある、こちらは亜人種の戦士が多いからね。
だから、メダルドのために努力をしつつも。
ソルジェは女神イースに、『お願い』なんてするという発想はなかった……。
―――大人になると、背負い込むことが多すぎていけない。
あまりに複雑になってしまうと、可能性さえもなくなっていく。
正しいことと、妥当なことが必ず一致しているとは限らないのにね。
まあ仕方がないことだ、すべての大人は大なり小なり責任を背負っているから……。
―――そして、それは女神という特殊な立場であっても同じである。
女神イースがソルジェとにらみ合いながら、何を考えていたのか。
それは間違いなく、ソルジェを『どうすれば殺せる』かだ。
敗北を悟ってもいただろう、この戦力差をくつがえす方法は彼女にはない……。
―――ならば、この戦いで敗北したとしても。
『持てるすべての力を使い、ソルジェの命運を破壊してやる』。
そういう当たり前のことを、彼女は選ぼうとしていたのさ。
ここでソルジェを倒せなくとも、間接的に破滅させる方法はある……。
―――この『もうひとつのオルテガ』を、地上に落とすとかね。
竜がいれば、ソルジェは簡単に逃げおおせるだろう。
でも、多くの仲間を殺せるはずだ。
『自由同盟』には、痛恨の大打撃と言える……。
―――それを成せれば、ソルジェの命運もやがては尽きたはずだ。
我々のようなマイノリティーで弱者には、敗北は許されないのだからね。
女神イースの願い、亜人種を滅ぼすという究極の命題は。
長い時間をかけて、帝国軍にやらせるという方法もある……。
―――女神イースがあの恐ろしい権能で、短期間のうちに殺りくするよりも。
多くの苦しみを伴うことは明白だけど、それでもやがて願いは叶う。
ソルジェを敗北させれば、どうせそうなるのさ。
竜と竜騎士がいない『自由同盟』は、間違いなく帝国軍に勝てないのだから……。
―――『自由同盟』がいない、ソルジェも帝国には勝てない。
だから、女神イースはそれを狙っていただろう。
『もうひとつのオルテガ』は、かなり不安定な場所と言えるものだ。
何せ、空に浮いているようなものだからね……。
―――女神イースの権能を、『無効化』することは可能だったとしても。
それが永続的なものとは、限らない。
まして、この女神イースは『ギルガレア』の力を利用して『生み出された』ものだ。
彼女にだって、『もうひとつのオルテガ』を操る力や権利があるかもしれない……。
―――ソルジェから、継承権を奪えたら。
『もうひとつのオルテガ』を、落下させてしまうことだってやれたかも。
人間族を殺すことは、『カール・メアー』の女神イースにとっては不本意だけど。
ソルジェと『自由同盟』を、終わらせるのならやぶさかでもないはずさ……。
―――このときの彼女は、翼をもがれ全身がバラバラな状態になっていても。
『カール・メアー』の悲願である、亜人種の排除という願いを叶えようとしていた。
たとえ、どんな痛みをこの世界に与えたとしても。
未来という無限の尺度で考えれば、きっと苦しみと痛みはちいさくなると信じて……。
―――彼女の本質は、とても慈悲深くてやさしいんだ。
我々にとって、あまりにも恐ろしいだけでね。
そんな彼女の視線が、ソルジェから外れていた。
空で消えゆく、孤児たちで作りあげた聖なる獣を見ていたよ……。
―――そのそばにいる、ミア・マルー・ストラウスのことも。
一対一で、女神とさえも渡り合うような最強の戦士のはずなのに。
今は、ただの子供のようだったんだ。
泣きじゃくって、ただただ必死なだけ……。
―――しかも、自分のことじゃなくて敵のことだ。
戦士としての態度では、救ってやれそうにない哀れな者たちのために。
命も捧げて、死んだあとでも戦い抜いた者のために。
自分をどこまでも捧げ尽くして、今は空に消え去ろうとしている者たちへ……。
―――やさしい女神は、自らに残された最後の力の使い道を考える。
多くを背負わされた者にとって、なかなかに難しい行いだけれど。
ソルジェの命運を破滅させるために、すべてを使うべきなのか。
あるいは、それとは別の道を選ぶべきなのか……。
―――迷っている、迷った。
千年の観測が、示しているのだから。
人種のあいだに起きうる悲劇は、永遠なのだと。
変わることなく、悲劇の連鎖は繰り返されるはずだと……。
―――ヒトは、絶対に自分と異なる存在を受け入れられない。
それこそが、千年かけた答え。
これを、くつがえすための力は『カール・メアー』にはない。
だから、彼女はソルジェを見た……。
―――殺意ではなく、すでに決めたはずの道のためにでもない。
鏡のように、ただその瞳にソルジェを映した。
けっきょくのところ、これは女神イースだけの問題でもない。
ソルジェと『自由同盟』が、どんな結末を望むかも重要だ……。
―――もしも、女神イースが自らの使命を放棄しても後悔しない未来があるとすれば。
それは千年の証明をもくつがえす、千一年目に起きる奇跡だ。
この大陸で、誰よりも多くの敵を八つ裂きにしている死と破壊の化身。
今後も遠い未来に及ぶまで、恐ろしい数のヒトの命を奪うであろう大魔王……。
―――女神にさえも、やれない。
あらゆる賢い大人にも、やれない。
千年間、達成されることのなかった道があるとすれば。
間違いなくひとつだけ、女神と大魔王が手を組むことだけさ……。




