第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その三百六十二
―――ルルーシロアには、ミアの考えのすべては分からない。
でも、ゆっくりと少しずつお互いを理解しつつある。
ちいさなブーツから、伝わってくれる感触は増えてはいないけれど。
そのわずかなはずの感触から読み取れる『言葉』は、増えていく……。
―――心は目に見えないものだけれど、意志は実在した。
ミアの重心移動に、ブーツのくすぐり方。
強敵どもへの注意を、ちょっとだけ減らしながら。
伝わってくれる意志の量に、ルルーシロアは集中を傾けていく……。
―――心臓の音も、聴き始めていたよ。
竜からすれば、とてつもなくちいさな音に過ぎないけれど。
これは生きている証であり、これから意志はあふれているように思えた。
魔力の流れなんていう、具体的なものだけじゃなくてね……。
―――ミアのあらゆることに、ルルーシロアは興味を持ち始めている。
それは友情だとか愛情だとか、そういう価値ある感情にいつかは育つかもしれない。
だが、今はそれよりも戦闘向きのものだった。
強くなりたい、竜にとって最も大切な気持ちのままに感覚を研ぎ澄ませていく……。
―――心臓の音、体の動き。
竜の圧倒的な記憶力は、ミアのちいさな体から得られた情報と化学反応を起こす。
錬金術の見せてくれる奇跡のように、ひとつとひとつがふたつ以外にも化けるんだ。
ソルジェとゼファーと戦ったときの記憶が、ルルーシロアの心に蘇る……。
―――見ているよ、竜同士の空戦はルルーシロアの心を最も満たす行いだからね。
ソルジェの動きと、それに反応して飛翔するゼファーの翼跡。
竜はすべての記憶を、いつだって精密に引きずり出せる。
とても便利な、記憶の書庫を持っているのだから……。
―――ソルジェの動き方を、今すぐそばにいるミアの動き方に照らし合わせていく。
技巧と知識というものは、優秀であればあるほど似通ってしまう点もあるからね。
ミアの動きは、かつて目撃したソルジェの動きにほとんど完璧に一致している。
ルルーシロアはゼファーの飛び方を、真似ようと考えていた……。
―――ついさっきまで、ゼファーの飛び方を『みじめな隷属』だと考えていたが。
ゼファーが単独で、自分と競り合った現実を否定するほど彼女は愚かではない。
ヒトならば、一生涯に渡って引きずって認められないような現実とだって。
竜は真正面から、乗り越えられる……。
「大切なのは、ひとつ。『強くなるんだ』」
―――女神イースと、『ゴルメゾア』からの攻撃を。
ルルーシロアは回避した、ミアから伝わる意志に沿ったのさ。
敵どもを、見ることさえもしていない。
自分の代わりに、ミアが背後を見てくれていたからだ……。
―――ゼファーがそれをするように、ルルーシロアもそれをする。
竜騎士から伝わる意志を感じ取り、考えるよりも先に翼を反応させただけ。
竜の感覚は、ときに優秀過ぎるところもあるからね。
回避行動の軌跡を選ぶためには、竜騎士の目測に頼るだけで十分でもある……。
「そう。私は、ルルーの鏡にもなれる」
―――鏡など、ルルーシロアは見たこともない。
野生の竜であるし、そもそも竜に鏡を見せようと試みる者は皆無だろう。
いたとすれば、竜騎士だけさ。
語学的な才能ゆえに、ルルーシロアは鏡という概念を理解した……。
―――竜は知識を、遺伝させられる。
卵あたりに呪術で刻み付け、生まれる前からいくらか知識を教え込む。
賢さを使って、言葉に独自の解釈を施した。
鏡、それはマネするために必要な手段なのだろうと感じ取る……。
―――竜騎士を、『使えばいい』。
気高くて傲慢なるルルーシロアは、もちろんそういう考え方をする。
竜騎士を、『頼ればいい』。
そういう答えに行きつくのは、今の信頼関係のずっと先だろう……。
―――それでも、大いなる進歩だった。
ミアが見たものを、ルルーシロアは信用しつつある。
ミアが見て、ミアの体に意志が生まれて。
その意志を伝えられたとき、ルルーシロアは判断材料として使っていいのだ……。
―――そうすれば、ソルジェとゼファーと同じように飛べるだろう。
忘れられない言葉を、かつてぶつけられた。
怒りで否定したくなるほど、意味不明で愚かに思えた言葉を。
「竜騎士は、竜の重荷にならない」……。
―――その言葉が、どういう意味を持っていたのか。
ルルーシロアは知りつつあるし、何より受け入れつつある。
強くなれるのであれば、竜は真摯に吸収していくよ。
ミアは知っている、ルルーシロアが大好きなものをね……。
―――ああ、おそらく今のルルーシロアは気づいていないだろう。
ミアのちいさな心臓が放つ音と、自分のそれが放つ音が。
だんだんと似たリズムに、融け合っていることを。
ふたりだけのリズムが、組み立てられようとしている……。
―――風のにおいが、変わっていた。
ミアの意志に従うのではなく、ミアの意志に反応しながらの飛行。
それは、ある空間的な特徴が支配している場所へとふたりを導いていたんだ。
『もうひとつのオルテガ』の、中心部と呼べる場所だよ……。
―――そこは、他の場所よりも開けていた。
戦いのための複雑な城塞の迷路ではなく、広場があったんだ。
『オルテガ』の街を駆け抜けたミアは、知っているよ。
この広い空間は、迷路から流れる風も集う場所だとね……。
―――「そういう場所の風は、融け合うものだ」。
昔々、竜騎士姫の助手をしていたケットシーの少女はそれを発見した。
賢い彼女は、『風の変数を読め』という概念を遺してくれたのさ。
竜騎士姫の才能が読み解いた真実を、賢さで形にした……。
―――「風が抜ける構造があり、風が溜まる構造がある」。
「風が拡散する構造もあれば、風が吹き込む構造もある」。
「それらの絡み合い融け合う流れが、ひとつのちからを組み上げもする」。
「渦を巻き高く跳ねる、『風の踏み台』が生まれているのが見えるはずだ」……。
―――ストラウス家の伝えて来た、風の読み方。
その叡智の最も若い継承者、ミア・マルー・ストラウス。
ミアを通じて、ルルーシロアは『風の変数』を理解する。
リズムが伝えていたよ、どこに飛び込むべきかをね……。




