第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その三百五十一
―――言いたい放題にされても、反論のための言葉は口から出なかった。
『彼』は、とても率直だったし素直だ。
このはげしい怒りは、あまりにも大きな痛みから始まっている。
『人買い』は当然ながら、罪深い存在ではあったから……。
―――善や悪は、戦場でも大きな意味を持つ。
ヒトは正しいことのためにこそ、戦いたいからね。
感情は流されやすくもあるし、『彼』の叫びは真実を持っている。
無数にある『正義』とは違ってね、真実は本当にひとつだけしかなかった……。
―――『家族』も自分の生殖器も奪われた、哀れな子供がそこにいる。
どうすることもしてやれないまま、すでに死なせてしまってもいた。
これはかりそめ、これは面影。
生者の一部に過ぎないのに、『彼』の痛みはあまりにも大きい……。
―――フリジアは、受け止めることしかしてやれないと知った。
ゆっくりと、『ゴルメゾア』と『彼』の前に歩いていく。
ビビアナが引き止めようと手を伸ばしたが、微笑みながら制止した。
フリジアには、役目がある……。
「……その痛みを、理解してやれるとは言わない。いくらでも、その苦しみをぶつけてくれてかまわない。可能ならば、お前が……生きているあいだに、言葉を多く交わすべきだった」
『すべては、手遅れだ』
「ああ。起きたコトは、くつがえせない。だからこそ、せめて……」
『何を、する…………』
―――フリジアは、巨大で醜い『ゴルメゾア』に抱き着いていた。
『ゴルメゾア』と『彼』ならば、いつでも振りほどけたはずだ。
殺せるはずなのに、何も出来ない。
人質に取りたいからという計算ではなくて、ただ体が動かなかったように見えた……。
「……お前の苦しみを、もっと知るための努力をすべきだった。私は、未熟だった。お前を理解できずに、恐れてしまっただけだ……理解しようともせずに……私も含めて、多くの者がお前のそばにいてやれなかったな。リュドミナさまは、偉大な方だった」
『……リュドミナさまは、誰よりも素晴らしい方だ。女神イースの次に……』
「お前の最大の理解者だな。詠唱長だからというだけでなく、お前の苦しみを理解しようとして、唯一癒せた『カール・メアー』の尼僧だ」
『あの方が、いたからこそ……迷わずにすんだ。どんな痛みも、この苦しみも……これほど、破壊されて穢され尽くした身だからこその使命があると、教えて下さったんだ。価値を、くれたんだ。生きている意味も……』
「……私も、お前のためにやれることをしよう」
『何を、企んでいる……?』
「何もない。ストラウス卿にも、聞こえている。竜は、地獄耳だから」
『罠を仕掛けようとは、してないと……?』
「ストラウス卿!私は、レナスと共に行く!」
「な、何を言い出すのよ、フリジア!?」
「ビビ……構わないのだ。レナスを孤独にはしたくない」
「戦いに巻き込まれて、死ぬかもしれないでしょ!?」
「そうだな。それでも、その瞬間が訪れるまで、こいつのそばにいてやりたい。かつて、すべきだった行いを、してやりたいのだ」
「身勝手、過ぎるわ。私は……あなたを死なせたくないから、叔父さまに……っ」
「……うん。ごめん。だが。これも私の意地。『カール・メアー』であった者の、役目。死してなお消えない怨念のために……せめて、祈りと、誠意を捧げたいんだ」
「私は、ゆるさない……そんな真似は、ゆるさないから……っ」
「恨んでくれてもいい。でも。こいつのそばにいて……せめて、祈ってやりたい。誰よりも救うべきだった者のひとりのために……」
『……勝手に、ハナシを進めやがって』
「そっちが不要だとしても、こっちはついて行きたいのだ。邪魔できるような力も、もう残ってはいない。それに、ストラウス卿!私のことなど気にせずに戦え!邪魔なら、殺してくれていい!!」
「ストラウス卿!?そ、そんなことはしないで!!」
―――ポーカーフェイスを、ソルジェは使う。
かけ引きのためだ、フリジアを死なせるつもりはない。
無言のまま肯定も否定もしない、『彼』の行動をうかがうつもりだ。
自由にさせるつもりもない、この敵を女神イースに合流させる気もない……。
―――『彼』と『ゴルメゾア』の無数の眼が、ソルジェとゼファーをにらみつける。
あちらも警戒を極めているんだよ、ソルジェの無言は異常なまでに迫力があった。
そもそも、フリジアをソルジェがどれほど大切に思うか知っちゃいない。
自身の友人でもあるし、何よりミアの親友なのだから……。
―――ソルジェが可能な限り、フリジアを守ろうとするなんて『彼』は気づいちゃいない。
だからこそ、フリジアごと自分が吹き飛ばされるリスクに怯えた。
この場にいる交渉術の達人は、すぐさま緊張感の力学を把握していたけれどね。
ビビアナと、もうひとりだ……。
―――ビビアナは、フリジアを抱き止めることはしない。
したかったが、ガマンしたのだ。
『人質』である自分とフリジアが、わずかながらに離れた状況になっている。
これは歓迎すべき状況だと、賢い知性が判断した……。
―――『人質』に取られたときの戦術は、ミアからも指導を受けているし。
他ならぬメダルド・ジーから、叩き込まれている。
単独の犯人を動揺させるための方法のひとつが、『人質』を一か所に固めないことだ。
意識を分散させれば、それだけで犯人はやりにくくなる……。
―――まして、猟兵が相手ならばね。
『人質』の順位も、ビビアナは分かってしまっている。
フリジアよりも、自分の方が『彼』からすれば優先順位が高いのさ。
フリジアは『人質』としての価値は乏しく、ビビアナこそが狙うべき対象だ……。
―――ジーの一族の娘であり、メダルド亡き今では一族の当主だという自負もある。
『彼』が憎んでやまない『人買い』の一族だ、感情を操る術も残されていた。
ビビアナは考えていた、『煽ってやればレナス・アップルは自分に襲いかかる』。
それをエサにすれば、フリジアを守れるのだ……。
―――賢い者が、自暴自棄になっているときは恐ろしいよ。
ビビアナはメダルドを失ったと信じているし、フリジアのためなら何でもしたい。
正直なところ、自分が死んだとしてもいいと考えていた。
『人買い』が残酷で邪悪なんてことは、彼女も知っている……。
―――自殺願望めいた、恐ろしいプランを交渉術の達人は組み立てていた。
フリジアとの位置関係を、考えている。
『彼』を自分に誘導できれば、フリジアを守れる角度があった。
右斜め前に全力で駆け抜けたとき、フリジアを可能な限り巻き込まず誘導可能だ……。
―――そうなれば、自分はともかくフリジアは守れる。
『彼』がフリジアに対して、殺意を抱くとも考えていない。
かつてはともかく、今のフリジアの自己犠牲を『彼』は尊重すると信じた。
それならば、タイミングを計るだけ……。
―――心を落ち着けて、筋肉に力を張り詰めさせる。
こっそりと無音で、一瞬のダッシュを組み上げるための準備をした。
それは、すぐに完了する。
ビビアナは迷うことなく、それを行った……。
―――『ハーフ・エルフ』らしい、優れた瞬発力を見せつける。
地上を駆け抜けて、理想としていた場所へと走った。
『彼』もその動きに反応し、『ゴルメゾア』が巨体を揺らす。
フリジアは振りほどかれたが、つぶされることはない……。
「これで、いい。フリジアは、守ってあげられる―――」
―――ビビアナは交渉術の達人であり、『彼』の心理を見事に読み切っていた。
だけど、ひとつだけ誤算があったんだ。
フリジアの人質としての価値を最初から信じていなかった者だけが、ビビアナを読める。
それが交渉術の達人であり、彼女たちの関係性を見抜いた商人ならなおのこと……。
―――シモンは、『最高の偶然』を手に入れていた。
追い詰められていたこの賢い男は、目の前にビビアナが走り込む可能性も知っていたし。
それを追いかけて、『ゴルメゾア』が動くことも理解していた。
それならば、ひとつの事件を『事故に見せかけられる』……。
―――ビビアナを庇うようなフリをして、突き飛ばせばどうなるだろうか。
『ゴルメゾア』は人質を殺そうとはせずに、ギリギリでとどまるはずだ。
だが、もしもビビアナが突き飛ばされたら『距離』が縮まる。
『轢き殺されるかもしれない』、極限状況のシモンはそんな考えを抱いていた……。
―――ビビアナが死ねば、ジーの一族は消える。
『ルファード』における最大の政治力が消えてくれるなら、『オルテガ』は安泰だ。
その殺人も、『事故』と『ゴルメゾア』のせいに出来る。
泣く準備をしておこう、演技をすればいい……。
―――「こ、こんなことになるなんて」。
「私は思っていなかったんだ、彼女を守ろうとして体が動いただけなんだ」。
そんな風に泣いて叫べば、見過ごされるはずだ。
だって、すべては事故と『ゴルメゾア』のせいなのだから……。
「―――私は、悪くないってことだよ、ビビアナ・ジー」




