第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その三百四十六
―――そこで朽ち果てていくものは、命と可能性の残骸だ。
どれだけ悲しんだとしても、どれだけ惜しんだとしても。
ひとつの可能性が、終わってしまっている。
もちろん、あらゆる事象に価値を与えるのは個々人の解釈次第だよ……。
「や、やった!!やったよ、やった!!バケモノが、死んだよ!!」
―――歓喜の声さえも、そこにはある。
シモンにとっては、自分を殺すかもしれない凶悪な『繭の怪物』が死んだだけ。
彼からすれば正しい反応であるし、腕を振り回して喜びを表現してもいい。
もちろん、すべて個々人の解釈次第だった……。
「ざまあみろ!!バケモノめ!!わ、私の故郷から消え失せろ!!そのまま、き、消えてなくなってしまえ!!」
―――ビビアナの体が、まるで鞭でも打たれたかのように震えていた。
敵意ある喜びなんてものは、乙女の心を不安にさせても当然だ。
叔父の命を終わらせてしまった罪悪感のせいで、怒鳴る気持ちにもなれない。
ボロボロに憔悴した顔を、泣き顔の親友に見せるだけ……。
―――フリジアは、ビビアナのためにしてやれる行いを見つけた。
すべてを元通りに戻すことは不可能だけど、怒ってはやれるから。
ビビアナをギュッと強く抱きしめたあとで、彼女から離れる。
歩いていくよ、喜びの声を上げるシモンのもとに……。
「おい。殴らせろ」
「は……は、はあ!?」
―――すわった眼を見ると、本気の度合いが伝わるものだ。
シモンは肩を震わせながら乱暴な宣告をした少女が、本気だと認識する。
いい判断かもしれない、猶予を与えておかなければ。
巫女戦士の鍛えられた拳のせいで、殴り殺してしまったかもしれないからね……。
―――十分な殺意を帯びた拳が、シモンの顔面に着弾した。
前歯が何本か折れていき、シモンの体は彼の故郷の石畳に倒れ込む。
赤い血と、折れた白い歯を吐いていた。
だからといって、フリジアの気持ちが改善することはない……。
「ど、どうして……ッ」
「黙って、いろ。もっと、殴られたいのか?それとも、蹴り殺されたいのか」
―――子供時代を思い出していたよ、いじめられていた時代を。
シモンは、恐怖で押し黙ったんだ。
それは、とても自然な反応と言える。
だって、フリジア・ノーベルは本気の殺意を持っていたから……。
―――彼女自身も、ちゃんと分かってはいる。
こんな感情は、考えれば考えるほどに八つ当たりに過ぎない。
シモンは死の恐怖から解放されて、喜んでいるだけ。
それが悪いことだとすれば、ヒトは生きていけないだろうね……。
―――理不尽な、八つ当たり。
ただの暴力で、正当性は足りないかもしれない。
でもね、フリジアは後悔しないんだ。
だって、メダルドの破滅を喜ぶ笑い声を止めてやれたから……。
―――どす黒い、良くない感情だと思う。
一体どんな顔で、あのシモンのことをにらみつけているのだろうか。
今の自分を誰にも見せたくはない、とくにビビアナには。
自分だって見たくないほどに、怖い顔をしているに決まっているのが分かる……。
「こ、こ、ころさ……ないで……っ」
―――いじめっ子なんてものじゃない、フリジアの顔はもっと怖いものだ。
フリジアは理解している、この状況の原因は誰だったのか。
それもまた解釈の次第だけど、直接的な引き金は目の前で転がっている。
シモンが介入してこなければ、『繭』を確保できていた気がしてならない……。
「お前が、ビビを……さらおうとなど、しなければ……っ」
「や、やめたまえ。い、言いがかりだよ。き、君たちだって、納得していたはずだ」
「うるさい。黙れ」
「お、落ちつけ。落ち着くんだ。そ、そうじゃないと、じ、『事故』が起きてしまいそうだよ。そ、そんなのは誰のためにもならない!!非生産的だよ!!」
―――商人らしく、弁論に頼るつもりらしい。
フリジアは、その言葉が気に食わない。
その態度が、そもそもイライラさせてくる。
商人の言葉に誤魔化される前に、戦士らしく暴力で解決した方が救われた気がした……。
―――不毛な真実ではあるけれど、『正義』はおよその場合で暴力が保証する。
目の前にいるシモンなんて、半殺しにしていれば良かったのは確かだ。
自分たちを不幸にしようとする者は、戦場では敵に過ぎない。
怒れるフリジアに怯えるようなヤツに、それほどの根性があるはずもない……。
「お前、ごときのせいで……ッ」
―――フリジアも若く、まだ子供の範囲にいる。
だからこそ、誰かのせいにするのを好むものだよ。
状況の解決にならなくても、当たり散らしたくなる。
いじめるにはちょうどいい相手が、すぐそこに転がっているときはね……。
―――シモンは、理解する。
『カール・メアー』の巫女戦士の機嫌を損ねるのが、どれほど恐ろしいものか。
帝国貴族や帝国兵さえも恐れる、異端審問官の一員なんだからね。
彼女は異端審問の『拷問術』を修得してはいないが、シモンはその事実を知らない……。
―――シモンのアタマにあるのは、『カール・メアー』の悪名だけだ。
亜人種を焼き殺したり、異端とみなされた帝国貴族を処刑したり。
残酷な拷問で、彼女たちは彼女たちの求める事実を追求する。
死の化身そのものであり、誰もが恐れるべき拷問の達人だった……。
―――いじめっ子だとか、父親の言葉に傷つく青年だ。
『カール・メアー』という、『本当に怖い存在』に対して耐えられるのかな。
もちろん、そんなことはない。
彼は『カール・メアー』の権威に屈し、その場に土下座して震えるだけ……。
「こ、殺さないで……っ。し、死にたく、ない……ご、拷問もやめて……怖い目に、あ、あいたくないんだ……」
―――前歯を失ったばかりで、すこしばかり流暢さに欠いた命乞いだったけれど。
フリジアの怒りを抑止するには、幸いなことに機能していた。
気が強い男に生まれなかった幸運に、感謝すべきかもしれない。
今のフリジアの前で、失言や挑発はすべきじゃないからね……。
―――ああ、もちろん。
こんなものは、すべて八つ当たりに過ぎないけれど。
怒りを解決するためには、すこしは役に立つ。
だって、シモンが介入しなければ『繭』を確保するのは難しくなかったんだから……。




