第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その三百七
―――レイチェル・ミルラは、ルルーシロアの首から飛んだ。
サーカスでやるように、華麗であり複雑さを帯びた飛び方だったよ。
戦場でさえも多くの視線が、レイチェルに誘い込まれていた。
ゼファーとはげしく戦っている『ゴルメゾア』さえも、彼女の曲芸に注目している……。
―――腕を広げていたかと思えば、脚を抱きかかえるように丸まりながら。
華麗なスピンを空に描いて、紺碧の海へと落ちていく。
それは生命力に満ちた躍動であり、弱っているとは思えない曲芸だった。
戦場の空気さえも変えてしまいながら、美しさは一瞬の掌握ですべての者の心を奪う……。
―――『楽しそうだった』のさ、疲れ切った亜人種の戦士たちの心を救う感情だ。
安心を与えてくれる、母性的なショーマンシップとでも言うべきだろうか。
レイチェルは笑顔だったよ、サーカスの天幕の下で飛ぶときと同じように。
あのときの喜びを使っている、「楽しみの力で人々を元気づけてあげてね!」……。
「ええ。そうですとも、リングマスター……あなた」
―――思い出はどこまでも大きなもので、レイチェルに無限の力をくれるものだ。
賢いルルーシロアは知覚するのさ、この跳躍に込められていたのは誰かのための力。
それが周りの戦士たちを勇気づけているし、ルルーシロアに教え込もうとしている。
自分よりも大きな力の使い方、戦場で猟兵が笑う理由の一つを……。
―――海に向かって落ちていきながら、レイチェルは『人魚』の姿へと変身してみせる。
疲れ果ててはいたとしても、『人魚』にとって海は完全なるホームだった。
海の深みへと潜りながら、彼女は心と体にいくらかの加護を感じる。
海は味方であり、レイチェルに追いかけるべき敵の姿を察知させてくれた……。
「広がっていく。海底を、かなりの速さではありますが……私は『人魚』であり、猟兵なのですよ」
―――追跡が始まる、ルルーシロアは驚愕させられた。
自分よりも海中で速く泳げる者がいるなんて、まだまだ世間知らずな仔竜は知らない。
しかも、あれだけ弱っているはずなのにね。
レイチェルの猛追は、海上に白波の軌跡を描くほどに速かったよ……。
「追いつきました。まずは、一匹目!!」
―――『ゴルメゾア』の『分身体』は、背後から迫る『人魚』に気づけなかった。
反応など許さない圧倒的な速さを使って、レイチェルは海中の斬撃で獲物を刻む。
普段よりもはるかに弱い、それでも問題はなかった。
何故ならば、レイチェル・ミルラだからだよ……。
―――ボクたちの『人魚』が、海中で誰かに負けることなどありえない。
たとえ弱っていたとしても、今は愛する息子のために彼女は戦ってもいるのだから。
『諸刃の戦輪』が『分身体』を一瞬で破壊し、呪いの鋼は裂きながら権能を呪縛した。
『奇剣打ち』から得たアドバイスのおかげで、今まで以上にこの鋼を使いこなせている……。
―――ギチギチと鳴きながら動く呪いの鋼、それは上手に使いこなせば。
斬りつけた相手に呪いをかけることだって、やれるらしい。
『ゼルアガ/侵略神』の権能を完全に無効化できるとは限らないが、弱くはできた。
バラバラにした『分身体』を潮流の動きを使い、それぞれの方向に押し流すこともね……。
―――こうすれば再生するまでに、時間がかかってしまうだろう。
レイチェルらしい直感的な戦術であり、いつもながらに最適に近しい結果になった。
状況を観察するために数秒だけ使うと、すぐに彼女は次の『分身体』を目掛けて泳ぐ。
矢のような速さでね、レイチェルは長時間戦うつもりはない……。
『まりょくを、うしないつづけている……おまえは、ながくは、もたないはずだぞ』
―――不吉な予想をルルーシロアはしてしまう、レイチェルにはその声は届いていない。
それでも伝わっているのさ、「どうせ貴方は、そんな考えをするでしょうからね」。
見せつけるように力を込めて、『人魚』の尾ひれで海を蹴りつける。
命を燃やし尽くすことを恐れてなどいないのさ、ボクたちのレイチェルは……。
―――自分の使命のために、いつだって命を燃やすだけ。
情熱的な愛と、それが与えた運命的な痛みに対しての報復を成すために。
世界を支配する帝国にだって、戦いを挑み続けている。
いつだって誰よりも容赦ない復讐者でありながら、やさしい女性だったよ……。
―――もちろん、ムチャには変わらない。
ガンダラでさえ立っているのがやっとになるほど、魔力を吸い取られている状態だ。
海の加護があるからといっても、この過酷な猛追はレイチェルの命を削り取ってしまう。
ルルーシロアの魔眼は、すべてを正しく認識していた……。
『しんで、しまうぞ』
―――命がけの戦いだ、レイチェルはそれをしている。
ルルーシロアはそれを理解しながら、二匹目の『分身体』に追いついた『人魚』を見つめた。
『諸刃の戦輪』が、敵を千々に刻んでしまう。
休む暇もないまま、次のターゲットに向かって泳ぎ始めるのさ……。
『どんどん、よわっている。だから、じかんが、ないから……あせるのか……』
―――レイチェルの命の減衰を、ゼファーも知っている。
だからこそイラつき、牙と爪で『ゴルメゾア』を斬りつけていくのだ。
ムチャなことをさせたくはない、それでも戦況は過酷だったからね。
『オルテガ』を中心に、女神の権能は広まり続けている……。
―――『分身体』を排除することで、この場は少しだけ救われているけれど。
この権能は拡大し、すべての『亜人種』と『狭間』をゆっくりと衰弱死へと誘っている。
ルルーシロアは歯ぎしりした、竜のプライドが教えてくれるのだ。
直接戦ってこそ、戦いには価値があるのだと……。
―――権能を用いて、遠巻きに弱らせて殺そうというのが腹立たしい。
そんな戦い方は、あまりにもふざけている。
竜が許すべきではない、だからにらみつけるのだ。
これはミアに対しての感情ではない、強がりを幼いプライドは叫ぶ……。
『……っ!?こ、こいつ!?』
―――ゼファーが気づいた、切り裂いてやった『ゴルメゾア』の一部が海に落ちた。
いいや、それは戦術を帯びた行動だったんだよ。
新たに『分身体』を追加してやろうという、『ゴルメゾア』の意地悪な作戦だったらしい。
ルルーシロアは『火球』を使い、その『分身体』を空中で吹き飛ばしてくれる……。
『っ!!ありがとう、るるーしろあ!!』
『……うるさい。わたしのなまえを、よぶんじゃない』
―――森のエルフの秘薬が、全身に行き届いていくのを感じている。
ルルーシロアにとっては、レイチェルからのプレゼントだ。
この『火球』で、それに対しての借りは返せたような気がする。
それ以上は、してやらなくてもいいはずだった……。
―――だからこそ『自由』に選べるはず、竜は気高い霊長だ。
どんな振る舞いだって、ルルーシロアの好きに選んでいい。
自分の牙の使い道を、翼の使い道を。
選んでいいはずなのに、レイチェルから託された言葉が心で反響してくるんだ……。
「『オルテガ』に、向かいなさい。『ゴルメゾア』は、必ず……そう動きますから」
―――海中で伝える、音として届かなくても構わない。
その願いを込めた戦い方をすれば、戦場に棲む者同士ならば必ずや伝わると知っていた。
命を燃やし尽く動きの意味は、このあまりにも必死な主張の意味は。
ルルーシロアの賢い心に、とても直接的に伝わってくる……。
―――ルルーシロアは全身を感覚の力で、探っていった。
秘薬はたしかに効果的である、傷をふさいで出血を緩めてくれる。
失われた血を補うための造血の力が、竜の骨髄に血の増産を促していた。
自然ではこれほどの回復は、見込めるはずがない……。
―――ゼファーと『ゴルメゾア』を、にらみつける。
ルルーシロアは殺気を放ち、それを浴びせられた両者は恐怖を刻み付けられたのさ。
『ゴルメゾア』は判断する、レイチェルの読みの通りに動いた。
竜たちにふたりがかりで襲われる状況を嫌い、『オルテガ』に向かって飛ぶ……。
『おいかけるぞ!!くろいの!!』
『うん!!ぜふぁーだよ、るるーしろあ!!』
―――与えられた『自由』を使い、ルルーシロアは選んだ。
その選択の価値の重みなど、気にはしない。
ただ気に入らない敵を追いかけて、すべて倒せばいいだけのこと。
そうすれば、守りたい者たちの全員を彼女は守れるのだから……。




