第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その二百八十二
―――どうして、こんな状況になったのか。
それについて語るには、すこしだけ時間をさかのぼる必要がある。
兆しに、初めて気がついたのは『オルテガ』の上空を旋回していたゼファーだ。
先ほど感じ取っていた北の海からの殺気、それがどうしても気になっていた……。
―――夏の海に異変が起きる、波が暴れるようにうごめく。
そいつは限界だったらしい、心のなかを埋め尽くしているのは大いなる怒り。
腹が立って腹が立って、どうしようもない。
何という事態なのだろうか、何というみじめな行いなのか……。
―――もうしばらく様子を見届ける予定であったが、もはや怒りを御する術はない。
正さねばならない、『間違ってしまった者』を。
見れば見るほど、罪科の重さを感じてしまう。
視界が捉える者に対してもそうだし、記憶のなかにいる自分もそうだ……。
―――海の奥で、ゴボゴボとそいつは空気を吐く。
おぞましい、けがらわしい。
取り戻すために成し遂げるべきは、ただひとつだけ。
叩き潰して、血の色で記憶を塗り返す……。
―――突き刺さるような殺意が、ゼファーのウロコを逆立たせた。
歓喜であり同調だ、怒りと殺意に対して竜が恐れを抱くはずもない。
金色の瞳をかがやかせ、牙を剥き出しにする。
分かっていた、忘れられない記憶があるのだから……。
―――白い巨体が、浮上を始める。
金色の瞳が、はるか上空の同類をにらみつけていた。
今までもそうであったが、今日はまた一段と怒りが強い。
白竜ルルーシロアは、いつだって世界で最も気高いのさ……。
『GHAAAOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHッッッ!!!』
『GHAAAOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHッッッ!!!』
―――黒い『グレート・ドラゴン』と、白い『グレート・ドラゴン』が一斉に歌った。
翼を羽ばたかせて、ゼファーは急降下を選ぶ。
ルルーシロアは海から踊るような美しさで白波を突き破って、空へと飛んだ。
加速し合いながら、黒と白の竜が互いの距離を埋めていく……。
―――厄介なときに、何とも厄介な相手が現れてしまったものだ。
それを理解しながらも、ゼファーは喜んでいる。
本能が待ち望んでいた再戦であり、血が燃え上がって戦いの熱量の囚われとなった。
女神イースのことさえも、今はどうだっていい……。
―――すべての意識を、ルルーシロアに向けておかなくては。
一瞬でも気を抜けば、次の瞬間にバラバラにされてしまう。
今まで以上に、この年上の白竜は怒り狂っていた。
上空に陣取っていたことで得られるアドバンテージを、もう克服されている……。
―――竜の牙と牙が、空中で衝突し合った。
鋼よりも硬い牙の歯列が火花を散らし、空が割れるような音が響く。
互角である、だからこそ次の攻撃に竜たちは意識を集中した。
蹴爪を使う空中の格闘戦、竜の力比べが生まれる……。
―――火花がまた弾けて、爪たちが互いを捕らえた。
力比べでは、まだ年上の白竜に勝てないと理解している。
だからゼファーは翼の羽ばたきを、ルルーシロアよりも先に使った。
高度のアドバンテージは、この動きを仕掛けるために役立ってくれる……。
―――ルルーシロアを空中で組み倒せると、確信していた。
タイミングと角度が完璧だったから、ゼファーは疑わない。
組み倒したあとからつなげる、十数手の動きについても考えていた。
実現するはずだった行いが、ルルーシロアの誇りに打ち崩される……。
『うご、かな……い!?かてる、はずだ……よ!?』
『かてるだと!?……『かちく』が、ちょうしに……のるなあああああッッッ!!!』
―――ルルーシロアの後出しの羽ばたきに、ゼファーの巨体が引きずり込まれる。
ルルーシロアはゼファーの押さえつけてくる重量と力を、一瞬で跳ねのけたんだ。
竜巻にでも弾き飛ばされたときのような感覚が、黒い仔竜を襲う。
技巧でも力でも負けてしまい、地上目掛けて引きずられるように落ちていく……。
―――地上に叩きつけられそうになる直前で、ようやくゼファーは逃げ出せた。
全身の骨格が軋み、ブラックミスリルの鎧のあちこちがへしゃげる。
限界以上の力で羽ばたけば、そうなっても当然だ。
地上すれすれを飛びながらも、背後を取ろうとするルルーシロアをにらむ……。
『おまえ、ぼくを『かちく』って、いったな!!』
『『かちく』だからだ!!りゅうの『ほこり』を……うしなっている!!』
『ちがう!!おまえは、まちがっている!!』
『まちがっているのは、おまえだ!!ひとごときに、つかわれている!!それでは、りゅうではない!!ただの、『かちく』だッッッ!!!』
―――ルルーシロアには許せなかったらしい、ゼファーの戦術的な行動が。
空を旋回しながら、地上の様子をうかがう。
多くの戦士たちと連携し、巨大な戦略の一部となる。
その役割を、ルルーシロアは『竜の家畜化』だと感じたようだ……。
―――正義はいつでも食い違う、ゼファーとルルーシロアの正義もまた同じ。
ゼファーは、ストラウス家の竜という正義を選んだ。
竜騎士と共に在る、ガルーナ王国の竜を。
ルルーシロアは違うんだ、竜本来の孤高の道だ……。
―――共存と、孤高。
相容れない二つの正義が遭遇すれば、衝突は不可避だよ。
ましてそれが竜と竜であるのなら、仕方がない。
すべての正義がそうであるように、その正当性を保証するのは暴力だけだ……。




