第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その二百六十九
―――ロロカは策を練り上げていたよ、とっくの昔にね。
リエルはロロカの命令に従い、手鏡を空に反射させる。
朝陽を反射させれば、それは『コウモリ』の群れに化けたカミラにも届いた。
無数の視覚を持っていて、いくつかをロロカのテントの観測専用に使っているからね……。
―――大陸でも屈指の学者でもあるロロカは、わずか数秒で暗号を作れるけれど。
今回の手鏡を使った信号は、即興的に組み上げたものではない。
『フクロウ』たちの足環に巻いている、猟兵式の暗号。
それを模倣した光の信号だから、リエルにもカミラにも使いこなせている……。
―――光はカミラに命令していたよ、暗殺の指示をね。
政治的な力学が渦巻く国境沿いの戦場には、あまりにもお似合いだろう。
そして敵から完全なる隠遁を果たしているカミラは、最高の暗殺者の一人だった。
『コウモリ』の群れが、パタパタとちいさな翼を羽ばたかせていく……。
―――狙ったのは、南側に位置している敵部隊のひとつ。
偵察の情報のやり取りの果てに、ロロカは卓上の知略で炙り出していた。
この部隊こそが、敵の軽装騎兵部隊を統括していると。
こちらの攻めに対して、即応的な『防御』も西に下がるときの妨害も担う……。
―――重要な敵部隊が、国境の戦場を見回せる小高い丘に陣取っていた。
彼らは馬たちにしばらくエサを食べさせていない、その意味はカミラも知っている。
重労働をさせる直前は、馬にエサを食べさせないのがセオリーだよ。
食事と消化は腸に血を取られる行為であり、そうなれば筋肉と心臓の血が不足する……。
『いつでも、動かせるようにしているわけっすね!食べさせた直後に、突撃なんてしたら。お馬さんたちが心臓麻痺で死んでしまうっすから!』
―――医学知識の熟達が、カミラに馬の生理学を把握させていた。
戦場や荷役に酷使される馬について、食事のタイミングを伝える物語は多い。
カミラも前からそれは知っていたが、最近では医学知識のおかげでより正しく把握する。
これも成長に違いない、かつてはただの田舎の少女だったとは思えないほどさ……。
―――猟兵としての技巧の成長も、著しいものがある。
そもそも『吸血鬼』という、最強の存在なのだからね。
ヒトの規格を始めから超越しているから、技巧や知識がなくても猟兵だった。
才能だけで『戦場の霊長』のひとりに、ガルフが選ぶほどの人材だよ……。
―――そんなカミラが知識と経験を獲得し、かつてはやれなかった単独暗殺に挑む。
帝国兵どもの行動様式は、かつてのカミラにはどれもが同じに見えていた。
今は帝国兵どもの全員が、異なる命令で動いているのが手に取るように分かる。
伝令に見張り、そして……。
『あいつが、指揮官っすね!暗殺のターゲットっす!』
―――夏の太陽がかがやく空を飛ぶ『コウモリ』に、敵どもは気づけない。
気づいたとしても、まだ午前の空だからね。
ときにはねぐらに戻り損ねた『コウモリ』がいても、おかしくないと考えるだろう。
カミラは完璧なアドバンテージを帯びたまま、望遠鏡で戦場を見回す標的に近づいた……。
『……死んで、もらうっす。これも、戦争っすから……卑怯だとは、思わないで下さいっすね!』
―――戦士の家に生まれたわけではないが、やさしい村娘の心を持っているからね。
奇襲攻撃に対しては、どうにも拭い切れない抵抗感がある。
ミアなら鼻歌混じりに受け入れるだろう、奇襲も暗殺もね。
『専門職』ではない弱さはあるものの、圧倒的な『吸血鬼』の才能がモノを言う……。
―――単眼の望遠鏡で、戦場を見回しているマジメな帝国兵。
兜のてっぺんからは、彼の身分を示す赤い飾りが垂れている。
それがなくても、今のカミラは見抜いていたけれどね。
部隊のなかで『最も偉そうな態度』をしている者が、指揮官であるからだ……。
―――偵察兵も多いが、そいつらはコソコソと隠れている。
正しい行いだけど、それは指揮官の態度ではない。
戦場で敵に狙われやすい飾りをつけているのは、威張ることも仕事の内だからさ。
リーダーが堂々と君臨していることで、部下たちは仕事に集中も出来る……。
―――ヒトの心は、そういう力学に支配されているからね。
指揮官やリーダーやボスだとか、経営者もそうだけれど。
おびえることは許されない、堂々と威張って君臨していなければ機能不全を起こす。
この帝国兵も、その義務の囚われだった……。
―――『コウモリ』が高速となり、獲物の背後に降り立った。
カミラは一瞬でヒトの姿に戻ると、ナイフを彼の首に突き立てる。
『吸血鬼』は『狼男』ほどではないけれど、恐ろしい剛力の持ち主だよ。
深々と頸動脈に突き刺さり、一瞬で致命傷を与えた直後に引き抜かれる……。
「が、は……ッ」
「さようなら。あなたは、マジメな戦士でしたっす。ソルジェさまなら、きっと褒めた」
―――すみやかな死は、殺す者にとって唯一のやさしさの表現にもなる。
『吸血鬼』の血を認識する能力と、医学現場で医師たちの助手として過ごした日々。
それがカミラに頸動脈という急所の、完璧な位置を教えてもいた。
ナイフが引き抜かれた瞬間に大量の出血が始まり、それと同時に意識も消え去る……。
「せめて、『私』から、慈悲深い死を―――』
―――カミラの姿が『闇』に融けて、すぐさま無数の『コウモリ』に分散していく。
部隊の帝国兵どもは、『コウモリ』の群れに気づいたが。
それが『敵』だと認識することは、出来ないままだったよ。
その代わりに、バタリと音を立てて倒れた指揮官には気づいたけれどね……。
「しょ、少尉殿!?」
「大丈夫ですか!?な……っ!?」
「く、首から……血が……もう、意識はないようだ……っ」
「敵の、暗殺者がいるぞ!!探し出せ!!」
―――敵の警戒が始まるが、『コウモリ』の群れは容赦しない。
馬たちを狙ったよ、殺すのではなく『操る』ためにね。
『コウモリ』たちがちいさな牙を、カチカチと鳴らした。
それだけで訓練の行き届いた軍馬の群れが、恐慌状態に陥る……。
―――『吸血鬼』を継承可能な才能が、カミラにはもともとあったわけだけど。
この動物を『操る』能力も、その才能の一端だ。
これは『吸血鬼』の力ではなく、カミラ自身の異能だった。
ガルフの評価が分かりやすくなる、『けた違いの才能』なのさ……。
―――何であれ、暴走した軍馬たちを見た帝国兵どもは忙しくなる。
暗殺者探しをすると同時に、軍馬たちを追いかける必要も背負わされた。
『防御』と反撃の要の部隊である連中が、指揮官と馬を失い混乱に陥っている。
何とも見事な妨害作戦であり、さすがはカミラ・ブリーズと言ったところさ……。




