第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その二百五十九
―――想像力の世界が、リュドミナを狂わせる。
冷静沈着な女神の使命の執行者だったはずの彼女も、今ではその使命から自由になった。
自由が許す最たるものは、もちろんこの行いだよ。
教義の範囲ですべてを解釈すればいいのが信仰で、心をそれで統制する……。
―――自由は違うよ、教義の範囲さえも越えていいのだから。
『いくらでも考えていい』のさ、レナス・アップルという哀れな世界の被害者について。
『彼女』に降りかかったあらゆる災いが、女神イースが与えた試練であるだとか。
女神イースの最高の歌い手になるための、もしかして対価だったとか……。
―――信心深さに燃える使命感が、『助けてくれたなら』。
きっと、そんな落ち着き場所を選ぶだろう。
宗教的な慰めには満ちていながら、悲劇を女神とのつながりで癒そうとする答えに。
事実として、リュドミナはレナス・アップルに対してそう教えていたんだよ……。
―――宗教は、ときどき大きな助けにはなるだろう。
自分の人生に絶望し尽くして、世界のすべてに裏切られ気持ち悪がられている立場だ。
レナス・アップルという『強烈な異分子』を、どうやって助けてあげられるかな?
普通のやさしさでは無理だろう、少年時代のレナスの体験を受け入れてあげるには……。
―――どれだけやさしい尼僧たちしかいない場所でも、扱い切れない異分子だ。
あわれに思ってやるだけでは、レナス・アップルは救われなかったよ。
大切なものを奪われ過ぎて、あまりにもみじめな存在に。
普通のヒトは、対等な理解をしてはやれない……。
―――誰にだって限界があるものだ、ヒトの限界がね。
宗教はその点について、ヒトでは持ちかねる大きな寛容さを与えてくれもする。
女神イースのために、働くことができるのならば。
暴力と蹂躙で破壊し尽くされた精神性も、回復することだってありえた……。
―――言ってあげられたんだよ、「貴方は誰よりも価値ある者です」。
悲惨の一言で表現するほかにない、あわれな人生に対して。
ヒトのやさしさでは、到底足りはしないだろう。
レナス・アップルにとっては、リュドミナと女神イースは求めていた存在だった……。
―――「どんなに穢れたとしても、謝罪する必要はないのです」。
「私は、その穢れが与えた痛みと苦しみが」。
「大いなる女神の試練となり、貴方を聖なる任務を果たす巫女戦士に必要な怒りとなる」。
「それを、ちゃんと理解していますからね!」……。
―――『彼女』はただの被害者であり、罪なんてないわけだ。
同情めいた慈悲だけが、欲しいわけじゃなかったんだ。
昔のフリジアには不可能な感覚があって、それは『家族』についての感覚だよ。
『カール・メアー』をそれと同一視しようとしていたが、やはり違うものさ……。
「あの子が、本当に欲しかったものを、返してあげられた!!」
―――『カール・メアー』を『家族』だと思うために、フリジアは求められた。
巫女戦士であることや、少なくとも『カール・メアー』の熱心な信徒であることを。
でもね、『家族』はそんな努力を求める必要はない。
幼いフリジアに、それを想像してあげることは難しかったんだ……。
―――リュドミナにはやれた、リュドミナもかわいそうな捨て子だったけれど。
より長く生きたことで、より多く世界の痛みや苦しみや奇跡や愛情に触れたことで。
学べるものさ、とくに聖句の意味や価値の鑑別判断をする立場ならね。
詠唱長だからこそ見えて、だからこそ救えることもあった……。
「あの子は、女神イースの歌を歌いたいのよ!!それが、奪われた家族とのつながりを満たしてくれるものだから!!」
―――壊されて穢された心と体に、その権利はないと考えながらだって。
絶望しながらでも、ヒトは希望を求められもする。
リュドミナは、世界の誰よりもレナス・アップルを理解していた。
本当に『彼女』が欲しかったのは、『家族』とのつながりだった……。
「その歌でさえも!!使命がなければ、歌えないほどに傷つけられた!!あわれで、かわいそうだ!!でも、そんな同情では救えない!!もっと大きくて、もっと本質的で、根源的で、絶対的な、愛だ。女神イースの慈悲がいる。だから、私は―――」
「閉じ込めなくても、良かったのですよ」
「なに、を……ッ」
「善き芸術は笑顔を創る。彼女は、それを成せた。誰かの笑顔は、芸術家の魂を必ず救う」
「そんな、ことなど……ッ」
「否定する意味がないほどに、美しい歌声なのですから」
「だ、まれ!!」
「苦しみに耐えるための怒りではなく、それ以外の感情も必要なのです」
「知った風な口を、きくなああ!!」
「帝国に殺された夫の、遺産を貴方たちにも」
「なに、を!?」
「美しいものが好きで、他人の笑顔が本当に大好きだったの。私は彼のために、天幕の下で踊ったけれど。でもね、彼を奪われて、サーカス団の仲間を殺された今でも、踊れるわ。彼がいれば、誘ったでしょう。とても美しい歌を、たくさんの人々に届けたいから」
―――帝国が掲げる、人種差別のせいで奪われたけれど。
想像力は、『魔法のもしも』を許すものだ。
もしも、そのサーカス団が今もあって『彼女』という天才に出会ったなら。
自身の芸術的センスの不在に嘆いた男は、全身全霊でお願いしただろう……。
「『君たちの歌なら、たくさんのヒトを笑顔に出来るから。ボクのサーカスにおいでよ』」
―――『人魚』の記憶は、永遠だ。
可能性も抱きしめているそれはね、彼の魂を完璧に再現してくれる。
死が二人を分断してしまった今でも、彼はいつでも変わらない。
菲才に嘆く彼のため、入り江の星空に跳んだ『人魚』はよく知っている……。
「そんな、言葉で!!」
「救えたはずです。『彼女』だけで無理ならば、貴方がとなりで歌ってあげればいい」
「ありえなかった、可能性に過ぎない!!」
「そうね。でもね。泣けるくらいに、悲しいでしょう」




