第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その二百五十二
―――悪夢のなかで、崩れて消えた娘を探す。
与えられた記憶はあまりにもリアルだったから、ルチアの母性は本物だ。
理性で否定しきれないほどの、大きな痛みがある。
地面をかきむしるんだ、そこから拾い上げたかったのさ……。
―――徒労に終わるよ、こんな行いをしたところで。
崩れて消えた娘を取り戻せるはずなんてない、そもそもすべてが虚構なんだからね。
泣いて叫び、たくさんの謝罪の言葉を使うんだ。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」……。
―――女神イースは本当に、意地悪だったけれど。
これは起こりえる可能性だった、あらゆる亜人種が『狭間』の親になるかもしれない。
その親と子が不幸になるかもしれない、これまでの千年間のようにね。
とてもリアルな痛みであり、ルチアは人生でいちばん泣いてしまう……。
―――愛しい者を守れないのは、とても辛いことだよ。
ボクも妹を失っているから、今のルチアがどれだけ辛いのか分かる。
爪がはがれて血が出るほど地面を引っ掻く痛みは、自分への罰でもあった。
ヒトの悲しい本能だよ、罪深いと信じ込んだときは罰を求めて藻掻くのさ……。
「『その痛みが、ただの一片に過ぎない。無数の叫びがある。この世界の千年は、そうだった。そして、これからも。この関係性に、希望を抱く?それが、どれほど薄情ではかないものか、どれほどの痛みを産むことになるのか。お前たちは責任を持って考えるべきだ』」
―――間違ってはいない、あちらの『正義』も正しいだろう。
それでもルチアが謝罪しているのは、あくまで消えてしまった娘に対してだ。
守ってやりたかったからで、産んでしまったことを謝罪などしていない。
認識の違いは大きい、ボクたちの『正義』と女神のそれはあまりにも離れている……。
「うる、さい……ッ。あの子を……あの子を、殺しておいて……ッ」
「『望みを叶えただけのこと。それが慈悲深い神の所業でなくて、何なのだ?』」
「お前なんて、ただの『ゼルアガ』だッ!!」
「『女神イースである。慈悲の化身。あらゆる者たちの偉大なる母だ』」
―――痛みがあるから、怒りが生まれる。
涙で揺らぐ双眸が、悪夢の虚空にゆらゆらと浮かぶ女神イースをにらんだ。
ルチアは絶望を与えられた、たった一人きりの世界で?
いや、そうじゃないよ……。
「思い出が、ある!!お前が、作ったものだろうけど……あの子は、あの子との思い出が、あるんだ!!」
―――神の権能の力強さは、ルチアに美しくて楽しい記憶も与えている。
ルチアはいい戦士だ、猟兵ほどに完成されていなくてもね。
いい母親の素質も持っていたんだよ、虚構の娘との思い出には笑顔があった。
エルフほどは長くなくて、人間族よりは長い耳に愛おしいキスをしたんだ……。
―――だからね、そのおかげで孤独じゃなくなっている。
女神イースをルチアの心を絶望で埋め尽くして、魂ごと壊すつもりだった。
この千年の観測のなかで証明し尽くした、母親たちのように。
ルチアも娘のあとを追いかけて、自ら死を選ぶと信じていたのさ……。
―――違ったんだ、ルチアは立ち上がる。
圧倒的な力量さがあるはずの、女神イースに戦意を集中させた。
武器はない、だとしても大いなる痛みと多いなる思い出に紡がれた怒りがある。
女神イースは黒い瞳を細めて、軽蔑を込めた視線で見下した……。
「『あの痛みを、お前以外にも与えるのか』」
「ちがう!!そうじゃない!!そう、ならないために……戦っているの!!それが、分かった……これこそを、変えるために、戦っているんだ!!」
「『娘の絶望の叫びにも、反論の一つもやれはしない。そんな無力な者たちが、いくらいたところで何にもならん』」
「なる!!なる……世界は、変えられるんだから!!」
「『説得が足りないのならば、見るがいい。真実を直視して、正しい道を選べ』」
―――悪夢の世界の、地面が消えた。
ルチアは落下に備えたが、そんな現象に襲われることはない。
まるでゼファーの背から、地上を見下ろすような光景になる。
そこには仲間たちがいる、ルチアを庇い羽根の弾丸に呪われた戦士たちだ……。
「い、いやだああ!!」
「消えないでくれ、消えないでくれ……っ」
「す、すまないっ。こんな世界に……う、ん、で……」
「ああああああ、ああああああああああああああああああッッッ!!!」
「ひ、ひどい!みんなに、私と同じようなことを……ッ!!お前は、どれだけの、あの子を殺したんだ!!」
「『あの子たちが死んだのは、お前たちが守れなかったからだ』」
「な、なにを……っ」
「『現実では、そうなる。その自覚がある。お前たちヒトでは無理なのだ。ヒトでは、この世界から悲しみを消し尽くせない。私が、それを成し遂げてやろう。愛しい子供たちよ。世界を一つの人種だけで、満たす。私が、直接に統治してやる。そうなれば、悲劇は消える』」
―――ルチアは怒鳴りつけたかったが、女神イースはいなくなった。
あの恐ろしい女神は、絶望に呑まれてしまった者たちの前に向かう。
『尖兵』として選ぶためだ、戦士たちは現れた女神に屈してしまった。
我が子の絶望と死を見せつけられて、種族を越えた愛を信じられなくなったんだ……。
―――この大陸で生きていれば、『狭間』の悲劇を嫌というほどに知り尽くす。
どこでも『狭間』はいるもので、どこの社会でも彼らは不当に責められた。
迫害の果てに殺される、ありふれた事実として否定できない。
この大陸では『狭間』とその『家族』の不幸は、あまりにもありふれている……。
―――絶望を信じてしまった者たちが、女神イースの抱擁に屈した。
彼ら彼女らも、消えていく。
この悪夢の世界から、『外の現実』へと引き戻された彼らは。
『蟲』に寄生された者たち同様に、『敵の兵隊』となってしまう……。
「お、おい!?ど、どうしたんだ!?」
「何で、オレたちを攻撃する!?」
「やめろ!!暴れるな!!」
「こ、こいつら本気で武器を使っているぞ!?」
―――戦場は大混乱となる、最前列にいた味方が敵へと変わったのだから。
冷静なガンダラも、さすがに苛立ちを隠せなくなる。
このままでは、戦列が崩壊するのは時間の問題といったところだ。
惜しかったよ、女神イースの権能さえなければ勝てていただろう……。
―――割れかけたハルバートでも、若者たちの援護があれば。
女神イースの首に、断頭台よりも威力にあふれた一撃を叩き込めたはず。
それでも戦場は残酷であり、確実な勝利など約束されてはいないのだ。
にらみつけるガンダラの視線に、女神イースは涼しい顔を向ける……。
「『終わりだな、お前はなかなか素晴らしい戦士ではあった。それでも、勝者にはなれなかった。ありふれた敗北の群れの、一つになるときが来た―――』」
「―――神に屈する者が、過酷な運命に負ける者は、たしかにありふれているでしょうな。しかし、考えるべきです。まだ、貴方の勝利が決まっているとも限りませんよ」
―――世界には、絶望がありふれていた。
『狭間』の親子の悲劇だとか、帝国に屈する者たちだとか。
神さまの奇跡みたいな強さの前に、『未来』を勝ち取る困難さに。
多くの者が絶望する、それはいかにもありふれていたことだ……。
―――でもね、確かなことがある。
ありふれているからって、それが正しさの証明にはならないことだよ。
『狭間』への差別が不当なように、ありふれている間違いもある。
神さまにも絶望的に大きな帝国にも、挑み続ける者たちもいるのさ……。
―――大きな大きな影が、女神イースを覆う。
ガンダラは珍しく感情的に笑みを浮かべ、疾風のような速さで『退いた』。
強敵の唐突な戦術のスイッチに、世俗に慣れていない女神は思考してしまう。
『カール・メアー』の歌声で蘇った者らしく、駆け引きには不慣れだ……。
「そうだと、思っていましたよ」
「『なに、を』」
「またですな。戦場での会話は、すべて罠なのです。こちらに気を引くための」
「『な……ッ!?く!?』」
―――ハルバートを投げつけられて、女神イースは守りに入った。
赤い翼のひとつで、稲妻みたいな速さで飛んできたハルバートを破壊する。
それもまたガンダラの駆け引きの一つで、つまりは陽動だ。
来たよ、竜と竜騎士がね……。
「歌え!!ゼファーぁあああああああああああああああああああああッッッ!!!」
『GHAOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHッッッ!!!』




