第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その二百四十
―――回避に徹したおかげで、『繭』の奥底から『撃ち返された槍』をかわせた。
本当にギリギリだったよ、わずかにでも遅ければ串刺しになるところだ。
ルチアは冷や汗をかきながら、エルフの耳をヒクヒクと痙攣させる。
恐怖か驚愕か、どちらの感情も耳の動きに現れていたよ……。
―――集中を強いられていた、これは本能がそうさせている。
ルチアを構成する最も深くて根幹的な部分が、『繭』の奥にいる女神を恐れる。
エルフの耳が角度を変えるほど、南のエルフにはこの反射を恥じる文化はないが。
もしもリエル・ハーヴェルであれば、屈辱のために顔を赤らめただろう……。
―――エルフの文化的な差異はともかく、耳が『繭』に向けられた戦術的優位はあった。
よく聞こえるからだよ、怯えた動物がそうするように耳の向きを変えたことで。
『繭』の奥で、六つの翼がシュルシュルと衣擦れに似た音を奏でていたよ。
女神イースの翼が六つあり、その翼に包まれた場所に本体がいる……。
―――その本体が、ルチアの槍を掴んで投げ返してきたらしい。
ルチアは身を屈めていたよ、まるで四つ足の獣みたいにね。
素早く反射して、攻撃があれば即座に避けるためだ。
全力での回避が必要とされるだろう、それだけの力量を女神に感じている……。
―――今すぐ逃げなかったのは、勇敢さに由来しない。
逃げる自信がなかったからだ、相手を空振りさせてから逃げる方が確実な退避だからね。
賢い判断であり、ガンダラの戦術とも相性が良かったよ。
ルチアのそばに、スキンヘッドの猟兵は到着していた……。
「無理しないように。若く有望な傭兵に、死なれては今後が困りますからな」
「クールね。ストラウス卿の副官さんは」
「軽口が叩けるのであれば、十分です」
「もしものときは、貴方を盾にしてもいいかしら」
「ええ、そうしなさい。猟兵は、女神にだって負けはしませんので」
「……すごい、自信ね」
「ただの、事実ですな」
「……やっぱり、まだまだ遠いわ」
―――ルチアは猟兵とのあいだにある『差』を、数えたくなっていた。
悲観のためじゃなく、それらの一つでも克服して差を縮めるために。
女神イースは、そんな我々の交流になど興味がないらしい。
『繭』のなかでぐるりと動き、ルチアに向けて『何か』を放つ……。
―――恐ろしく速いが、あまりにも速さがあったため直線的過ぎたよ。
エルフの耳が前向きに倒れていたおかげで、予備動作は察知していた。
おかげで、どうにか回避に成功する。
まあ、避けなかったとしてもガンダラのハルバートが弾いていたけどね……。
―――鐘楼で聞くような音だった、ハルバートの鋼がいくらか削られている。
上空高くに打ち上げられていた物体は、羽根だった。
女神イースの六枚翼に、生えそろった『武器』さ。
達人の放つ矢と同じような速さで、それを防げるのは達人のみ……。
―――つまり、うちのガンダラならば問題はないというわけだよ。
ガンダラは防いだだけでなく、紳士的に突撃していた。
ああ、突撃が紳士のたしなみというわけじゃなくてね。
女神イースの興味を、ルチアから自分に移して受け止めてやっているからだ……。
―――『繭』のなかで、また翼どもがぐるりと動いた。
孵化する直前に、卵のなかで寝返りする鳥にも似ている。
原始的な反射であり、じつに明確な防御だった。
ガンダラの巨躯から放たれたハルバートは、雷撃のように破壊的で速かったから……。
―――六枚の翼をしっかりと動かして、守りを固めるべきさ。
『巨人族で二番目に強い男』、筋肉の山脈のような体が放つ威力は神殺しのそれだ。
純粋な筋力であれば、ジャンほどではないもののソルジェを上回る。
剛力で巨体であり、武術の達人の巨人族はもちろん異常なほどに強い……。
―――金色の『繭』を切り裂いたあげく、その奥にうごめく六翼の翼に命中した。
守られていなければ、女神イース本体にまで届いただろうね。
巨人族のリーチをより活かすための、長柄のハルバートなのだから。
甲高い金属音が響くなかで、ガンダラの一撃は翼の守りに受け止められる……。
「これは、屈辱ですな」
―――クールな顔が、そう言っていた。
でもね、やっぱり猟兵だよ。
表情こそいつものポーカーフェイスだけど、目が語る。
『楽しんでいる』のさ、とつてもない強敵との遭遇をね……。
―――ほとんどの巨人族が、融和的でありあまり好戦的じゃない。
しかし、すべてのことがらに同じ注意がつく。
『例外』は、常にあるものさ。
ガンダラは冷静だけど、戦いが嫌いな保守派の巨人族とは違う……。
―――ハルバートと巨体が踊るのを、ルチアは見守っていた。
猟兵の凄さを、もう十分に知っているはずの彼女だけど。
ガンダラは、ソルジェたちとはまた異なる力の化身だよ。
圧倒的にデカい、それはシンプルだけど分かりやすい迫力がある……。
―――『繭』の黄金を、ハルバートの乱打が切り裂いて回った。
『繭』のあちこちに、『女の声の男たち』が張り付いているのに?
当然、大丈夫だよ。
うちのガンダラは、爆発的な乱舞の最中にも技巧を忘れることはない……。
「お、男たちのあいだを、縫うように、斬ってる!?」
―――その完璧な技巧に、ルチアが驚きの声を上げた。
驚きながらも、この技巧が機能する理由も悟る。
ガンダラがそうであるように、女神イースも同じ。
『女の声の男たち』を、巻き込んで殺したくないのさ……。
―――だからこそ、『繭』越しの翼とハルバートが衝突し合いをしても。
『女の声の男たち』を、巻き込むことは互いにしない。
ルチアはこの強敵の『余裕』に、戸惑いを覚えてはいたが。
迷いは捨て去ったままでいられる、『女の声の男たち』を排除すべきだ……。
「あいつらを、引っぺがすの!!いつ、ガンダラさんに飛び掛かるか分からない!!それに、それに……あいつらは、魔力を女神イースに供給してはいるんだ!!」
―――供物だからね、つまりは生贄だ。
『蟲』を媒介にして、大量の魔力を男たちは捧げ続けている。
女神イースが、翼で切り裂きたくなかったとしても。
このままでは、やがて衰弱死するし女神イースを強めてしまう……。
「引っぺがしなさい!!ギムリ!!ロープワークは、盗賊稼業で覚えたでしょう!!」




