第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その二百二十七
―――正義はね、いつでも食い違うものだった。
だからこそ、ときどき殺し合ってでも自分が信じる正義を勝ち取る必要がある。
悲しいことかもしれないが、それでも座して待てるほど甘くはない。
神さまに否定され歴史が確かめた事実にだって、逆らえる……。
―――あきらめがいい正義もいれば、あきらめが悪い正義もいた。
ボクたちは、間違いなく後者の方に属しているよ。
メダルド・ジーもそうだ、つい先日までは違う正義にいたけどね。
今では、すっかり仲間だったよ……。
―――光の繊維に分解されていきながらも、すぐそばにいるリュドミナをにらむ。
体と同時に、意識の方もゆっくりと融けている最中だ。
多くのことがおぼろげになりつつも、『敵』を見定める。
たとえ女神イース復活のための、部品にされながらでも反抗心は忘れない……。
―――それでも、聖なる『歌声』は続いていた。
この『繭』の内側からだけじゃなくて、『オルテガ』の街並みに響く。
職人街にいた市民たちの身に潜む、無数の『蟲』たち。
『蟲の教団』から派生した、主張の弱い『蟲』たちが共鳴している……。
―――『オルテガ』の職人たちは、代々で同じ仕事を継承して来たからね。
その血と肉と、文化的な精神性に同じ質がある。
それは『蟲』たちから、狂信的な宗教性を奪いはしたけれど。
従順な『民』としての特性は、育んでしまっていた……。
―――どうやら、リュドミナと『彼女』の『歌声』に強く『洗脳』されるようだ。
『蟲』たちは職人たちやその血縁の肉体を奪い取り、歌声を同調していく。
イース教の聖歌が流れたぐらいで、人々の脅威にはならないが。
それだけではなく、彼らは徒党を組んで歩き始めている……。
―――『ルファード軍』の戦士たちは、困惑した。
老若男女問わず、『彼女』の『歌声』を放ちながら行進する市民たち。
ずいぶんと不気味に思えたし、あまりにも謎だった。
戦闘に備えて高まっていた緊張感を、逆なでするには十分だよ……。
「落ち着いて下さい。あわてる必要はありませんからな」
―――ガンダラを『オルテガ』に残していてくれたのは、大正解だった。
この事態を予測していたわけじゃないけど、いつでも冷静な男は混沌に強い。
ガンダラは割り切ることを選んだ、謎の状況への『無対応』をね。
『民』たちの行進を見過ごし、戦士たちに戦闘準備を継続させる……。
「『ギルガレア』の事件の、続きでしょうな。数名の戦士が、私と共について来てくればいい。他は、帝国との戦いに備えてください」
「はい!了解です!!」
「市民たちの、対処は……」
「彼らは無視するように。徹底的に、無視をするんです。よほどの攻撃性を出さぬ限り、手を出す必要ない。こちらを妨害するつもりはないようですからな。ただ、集まり。歌を放つだけ。イース教の聖歌なのは、何とも不気味……『カール・メアー』め」
―――『歌声』を同調させながら、『民』たちは『繭』の周りに陣取った。
上空から見ることが叶ったら、見事なまでの防衛陣形だったろう。
『民』はどうやら、兵隊として守りについたようだね。
あるいは、儀式の参加者だったのかも……。
―――『歌声』が増えるほどに、『繭』のなかの光が強まっていく。
メダルドの意識はますます分解され、肉体は崩れ始めていた。
ビビアナはそれをどうにか認識しつつ、精神を制御する。
集中する、一瞬でもいいか『奪い取る』ために……。
「……リュドミナ。あんただけは、許さない。怖くない。女神イースも、あんたも怖くない。成すべきことは、ただ一つだ。私は……お前を、倒す」
―――武器はただ一つだけあるよ、リュドミナのすぐとなりにね。
聖なる儀式がもたらしてくれる恍惚と、三つに分かれた精神のせいで。
この心理操作術の達人も、わずかばかりに隙が生まれている。
大いなる願いの成就の瞬間だからこそ、おぞましいまでの支配力は弱まった……。
―――ビビアナは、魔力を動かし始める。
魔力はあくまでも血液と肉体に宿るものだけど、リュドミナとつながっている今なら。
リュドミナの魔力を、わずかながら動かせる。
魔力の動きは、肉体に明確な反応をもたらすものだよ……。
―――ビビアナは、リュドミナ『本体』の左目の動きと表情の筋肉の制御を奪う。
わずかな動きでいいのだ、強い『洗脳』であるほどに流れを変えるのは容易い。
絶対の権威だからこそ、この制御は成功しているわけだが。
絶対が揺らげば、罪深い獣は自我を取り戻すだろう……。
「『人々の祈りは、地上に満ちた。災厄の日々に終わりをもたらす、唯一にして絶対の女神を再び。苛烈なる正義を用い、この世の浄化を成し遂げたまえ。すべては一つとなり、誰もが互いを許せるだろう。平和を願う者たちよ、相互不理解の悲しみは終わるのだ』」
―――獣が歯ぎしりをする、『民』たちが歌っているというのに。
この男は歌っていなかった、そもそも質が悪すぎる。
どこまで信仰心があったというのか、その強さは先ほど否定されたはずだ。
何もない空っぽな獣だからこそ、こいつは聖なる序列に呑まれたのだ……。
―――ビビアナが、命じる。
ジーの一族らしく、『人買い』の人心掌握術のすべてを込めて。
左目ひとつに、魔法をかける。
リュドミナ・フェーレン『本体』の左目を、ウインクさせただけ……。
―――たったそれだけで、この詠唱長の支配は揺らいだ。
序列の魔法ってものは、本当にささいなことで壊れるよ。
君はウインクしてくれる王さまがいたとして、その王をどこまで恐れる?
支配者というのは、チャーミングではいけないのさ……。
―――とくに、クリア・カニンガムのような邪悪でどう猛な獣の前ではね。
カニンガムはバカにされたと感じ、聖なる女王さまの権威から解放される。
牙をむいたとき、リュドミナは気がついた。
対応しようとするがビビアナが全力で邪魔をする、叫んだのさ……。
「くたばれ!!お前は、負けるんだ!!お前たちの大嫌いな『狭間』が、お前の手下を奪ってやる!!私の名前を、心に刻め!!私は、ビビアナ・ジー!!メダルド・ジーの『娘』なんだッッッ!!!」
―――ただの爆発するような、感情だけの叫びだよ。
それでも、何よりも心のこもった叫びだった。
『娘』、そう叫べることは幸せであり誇りであり悲しみであり怒りである。
リュドミナの心が、わずかばかり乱された……。
―――それは一秒の、数十分の一しかない隙だったが。
動き始めていたクリア・カニンガムは、何とも素早かった。
罪深い獣は、大きく口を開いて。
恐ろしくて美しい詠唱長の首に、獣らしく噛みついていた……。




