第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その二百二十二
―――おぞましい儀式的な戦いだったのさ、これは間違いなく一種の呪術でもある。
カニンガムが活性化させてしまった『蟲』たちは、おぞましく蠢いてしまっていた。
自ら『歌声』を放ってしまっているせいで、リュドミナにはそれらの位置が分かる。
そうなれば、支配することは全くもって難しくないんだよ……。
「何処にいるのか。どれだけいるのか。私に教えてくれましたね。だからこそ、私が操って差し上げられます」
「は、はいっ。罪深く、邪悪な私を……どこまでも、操ってください。聖なる貴方に、すべて、さ、差し上げますから……っ」
「いい子ですよ。そのまま、魔力を『蟲』に与えなさい。その子たちの『歌声』を解き放つのです」
「こ、こう、ですね……リュドミナさま……」
―――暴力で敗北して、精神でも負けた。
自分よりも知的で恐ろしくて、しかも聖なる存在の代行者である。
カニンガムの悪人性は、今となっては完全に消え去っているんだ。
いじめれっ子程度のはかなさで、とんでもなく強大なリュドミナの前に跪く……。
―――リュドミナの命令に従って、魔力を『蟲』に与え続ける。
『蟲』どもはこの弱者の肉の檻のなか、リュドミナのなかの『蟲』にラブコールを送った。
歓喜しているのさ、カニンガムの『蟲』どもは『女王』を見つけている。
リュドミナは『蟲』の『女王』の『歌声』さえ、操れるのさ……。
―――自分の体内にいる『蟲』どもで、彼女は体内楽団を作っているらしい。
詠唱長らしく指揮を執り、『蟲』どもが最も喜ぶ偉大な『歌声』を演奏させる。
とてつもない芸当であり、リュドミナだけにしかやれない領域だよ。
寄生虫を演奏するなんて、とんでもない狂気がなければ思いつきもしない……。
―――『蟲』が歌うなんてことを発見できたのも、詠唱長だからだろうね。
博物学者たちはリュドミナから、とてつもなく多大な知見を得られたかもしれない。
残念ながら、そのチャンスはおそらく永遠に失われるだろうけれど。
狂気の天才リュドミナ・フェーレンは、与えられた才能を運命に費やすのさ……。
「ほうら。全身が温かくなっていくでしょう。それは、『蟲』の力が引き出されている証です。貴方は、これから私のための傀儡と成り果てる。それこそが、貴方の望みであり、最後の願い。そして、どうしようもなく価値がない貴方が、女神に救われる唯一の方法です」
「はい……ぜひ、私を、傀儡に、変えて下さい……っ。す、救われたいのです」
「よしよし。そんなに泣かないで。おびえなくても、大丈夫ですよ。どんなに邪悪で無礼でゴミクズで、罪深い貴方でも、私は女神の慈悲を体現し、こうやって頭を撫でてあげられるのですから」
「あ、ああ……っ。ありがたい、ありがたいです。このような、邪悪な私に……っ」
―――聖なる序列に組み込まれたとき、信仰に生きようとする者は充足するらしい。
女神イースという巨大な宗教の、本当の歯車になれたわけだからね。
末端であり部品に過ぎないけれど、聖なる存在の一部分となれた。
そのつながりが『蟲』の放つ熱として、カニンガムを満たしていく……。
―――ビビアナは、おぞましいと思おうと必死だった。
それは正しいよ、この『宗教行事』にボクたちの側に立つ者は抗う必要がある。
手練れの商人さえも操り切ってしまうリュドミナの洗脳術を、恐れなくちゃならない。
もしも納得なんてしてしまえば、ビビアナはリュドミナに呑まれてしまうだろう……。
―――ビビアナには屈服して降参して、自分を放棄してしまった男の心が分かった。
心地良さがあるだろうし、もっと正確に言うのなら『幸せに満ちている』のさ。
自分が無価値だと悟らされ、取るに足らないゴミだと思い知らされた。
それなのに聖なる存在に、許してもらえるなんてね……。
「光栄なことですっ。私を……もっと、傀儡に……私をっ。焼き尽くして、ください。この幸せな熱量で」
「ええ。融かしてあげますよ。貴方の脳を、貴方の脊髄を。貴方を内側から、『蟲』の熱で焼き尽くして、聖なる傀儡へと変えてあげましょう。これこそが、貴方にとって最良にして唯一の浄化なのです」
―――ビビアナは怖くなる、かわいそうだけれど正しいよ。
それでいいんだ、このおぞましい儀式に同調なんてしちゃいけない。
リュドミナという存在が、敵だと認識し続けるべきだ。
こんな怪物とつながっているのなら、そうしないと序列に呑まれてしまう……。
―――この怪物と戦うことはとても辛いだろうし、その逆はおそらく甘美な降伏だよ。
ビビアナは予想しているんだ、つい数時間前のようにリュドミナに降伏したら。
毒さえ自ら飲まされたあの瞬間を再現して、自分を放棄できたなら。
おぞましいことに『安心』するんだよ、怖いけれど支配ってそうなんだ……。
―――自分よりもずっと大きな山とか、海とかを想像してごらん。
強大な軍隊でもいいよ、数十万の同胞でもいいけれど。
そういう大きなモノと、一緒にいられたら安心するだろう。
支配がもたらす最高の安心は、それなんだ……。
―――権威に呑まれ、序列の一部として自覚する。
ただの部品になったときだけ、得られる安心というのもあるんだ。
信仰が与えられる最大の幸福は、滅私の果てにあるよ。
自分の悩みも苦しみ消え去って、ただただ女神のために動くだけにすればいい……。
「悩みが消えていくでしょう。不安が消えていくでしょう。貴方そのものが、消えていくでしょう。そして、貴方が消え去り生まれた空白に、聖なる正しさだけが充たされていくのです。これほど、安らかで穏やかになれるなんて、貴方には想像も出来なかったはずですよ」
「はい……とても、とても幸せだあ……」
―――吐き気を催すべきだよ、ヒトの意志の価値を信じる者たち全員が。
ボクたちは『魔王』の軍勢の一員であり、『自由』を選ぼうとしているのだからね。
これが神聖さだというのであれば、『魔王』と『自由』は抗うべきだ。
ビビアナは圧倒されながらも、観察を続ける……。
「ミア、フリジア……っ。私は、まだ、がんばれる。叔父さまのために、がんばるんだ。情報を…………こいつ、みたいに。操れたら―――」
―――『人買い』ジーの一族の知識と技巧は、心理操作の力を持っている。
フリジアに対して『仮面』の力を『使わせた』のは、ビビアナの力だよ。
ビビアナもリュドミナと同じように、一種の『洗脳』の達人なのさ。
リュドミナの視界を覗き見するなんて芸当が可能なほどの、大天才だ……。
―――ならば、『操るべき相手』がいるよね。
もちろん、リュドミナじゃないよ。
さすがにこの聖なる怪物を、操ることは不可能だろうから。
だけど、怪物にボロボロにされた生贄はどうだろう……。
―――本当に、賢い乙女だよ。
やはり商人は、そうじゃなくちゃならない。
目の前にいた、自分を捨て切り『道具』に成り果てた最底辺の『奴隷』がね。
そんな相手を従わせるなんて、ジーの一族には朝飯前に決まっている……。
―――目だ、片目でいい。
ビビアナはリュドミナの左目を動かそうと試みる、ソルジェを真似るんだ。
魔眼があるかのように、それをわずかに動かそうとする。
『いつものように奴隷を従わせる要領』で、ただこちらの思惑を伝える眼を選ぶ……。
―――『洗脳』された傀儡に、壊されて食われていく精神の残骸に。
ビビアナ・ジーの才能が、命じていた。
『蟲』が伝えているのさ、そのせいで諸々の精神的な伝達が融け合っている。
敵の力をも使い、賢い乙女はクリア・カニンガムの心をわずかばかり掌握した……。
「この幸せな感覚を、あいつも味わっておるのでしょうなあ」
「……ええ。メダルド・ジーも、遠からず。この神聖さに帰依するでしょう。『心臓』は、『歌声』を受け入れる……『器』として、最良の形質を備えているのですから」
「『蟲』を、伝達として飛ばした。あいつは、あいつも、こうやって聖なる隷属に受け入れておられるのでしょうか。その光景を、感じ取りたい……知りたいのです。メダルド・ジーの、運命を……」
「興味深いですね。でも、願いを聞いてあげますよ、『ビビアナさん』。私におねだりしたら、そのあとは……貴方の体を、掌握させてもらいますけれどね」
―――ばれていたよ、そうだろうね。
だって、リュドミナ・フェーレンは怪物から。
でも、取引をしてくれるというのなら乗る他ない。
ジーの一族も取引ならば戦えるだろうから、この心を喰らう聖なる怪物とだって……。




