第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その二百二十
―――罪の告白は、大きな苦しみであり解放感でもあった。
カニンガムはその場で立ち止まると、両膝を地面に突いた。
大きな罪を犯した日から、もうずいぶんと時間が経っている。
中年になった両手を組み合わせ、祈れるほどにはイース教徒であったらしい……。
「ああ、女神よ……女神イースよ……」
「貴方は、今、自分のためにしか祈れなかったのですね。だから、それだけ戦慄して、自分の悪徳さを思い知っているのです。その手の震えこそが、罪科への意識」
「……はい……私は、私の理性と知識は知っているはずなのに。あわれな、あの娘に対して、私こそが祈るべきであるのに……」
「彼女のためには、私が祈ってあげましょう」
―――ヒトは正しく生きたいと願望したとしても、それが果たせるとは限らない。
カニンガムは自分の罪の重さをしっかりと知ってはいるが、それでも自分を優先する。
死が迫る今では、本性が明らかにされてしまった。
この悪人は、やはり根っからの悪人なんだよ……。
―――自分の欲望のために犠牲にした少女のために、心底から祈れなかった。
この悪人が祈ったのは、自分の罪を許して欲しいという自己保身への祈りだけ。
女神イースに媚びるだけで、それはあくまで自分のための祈りに過ぎない。
それを『恥ずかしい』と思えないことが、カニンガムの真なる悪人性だろう……。
―――どこまでも、自分だけが大切だったのさ。
それはあまりにも傲慢であり強欲であり、一種の未熟さであり矮小さだ。
カニンガムは戦士でも英雄でも聖職者でもなく、ただの小人物で商人だった。
誰かのために生きることも、祈ってあげることもやれない悪人だよ……。
「大丈夫ですよ。カニンガム。私の祈りがあります。私ならば、そのあわれな少女のために心から祈ってあげられますから。私の祈りは、女神イースに深く届きます……」
「ならば、私の罪も許されますなあ……おぞましい、この私の罪も」
「ええ。必死に救いを求める祈りを、女神イースは受け止める。救われますよ」
「ああ……ありがたい。ありがたいことです……」
―――カニンガムは人生で初めて、心の底から頭を下げた。
地面に跪き、リュドミナと女神イースに全身全霊の感謝を捧げていく。
リュドミナは母親のような大きな慈悲をたたえた笑顔で、悪人の髪を撫でた。
カニンガムの心は満たされて、不意に涙があふれてしまう……。
―――リュドミナと一体化しているビビアナは、恐怖に震えていた。
リュドミナの『洗脳』を、再び思い知らされているからだよ。
ビビアナは自ら毒を飲まされたからね、言葉に追い詰められて自ら。
『勝てない相手』だと、認識しそうになる……。
―――大商人でありマフィア、邪悪なカニンガムさえやり込める『洗脳』の力。
それを敵に回すことが、今再び怖くなってしまう。
邪悪な大商人を泣かせて、感服させるほどの技能。
リュドミナの人心掌握と心理操作の力は、神がかっているんだよ……。
―――それでも孤独でないのが、大きな救いだ。
聖なる脅威に挑むために、友情を頼れる。
ミアとフリジアを思い出せれば、正気を頼れた。
神聖さに屈服する悪人を見ながらでも、自分を信じられる……。
―――リュドミナの圧倒的な心理操作の力に、呑まれることはない。
自分は愛されていると信じ、『心臓』を狙われている叔父のためにあきらめない。
情報収集を続けるために、リュドミナの余裕を込めて曲がる瞳と視覚をつなげ続ける。
逃げれば情報収集は終わってしまう、それだけは避けねばならない……。
「リュドミナさま……私を、お救い下さいませ……私の、このどす黒い、救い難い魂を、貴方に委ねます……」
「ええ。その告白を、待っていましたよ。クリア・カニンガム。すべてを、私に委ねなさい」
―――ひれ伏し、額を土ぼこりにこすりつける男。
あの傲慢な悪徳商人の姿は、見る影もない。
だが、ビビアナの洞察は見抜いていた。
『人買い』の知識が教えている、『リュドミナは支配力を緩めている』……。
―――背筋をより伸ばし、もっと見下ろせばいい。
そうすれば奴隷たちがそうであったように、権威に呑まれて心から堕落する。
リュドミナはそれを知っているはずなのに、今このときカニンガムのそばに座った。
権威と序列の力学は、本能に対してよく響く……。
―――自分と同じように、砂ぼこりだらけの床に座った尼僧。
カニンガムはそれを認識した瞬間、生来の横暴さが頭を起こす。
この悪人にとって、女性は貪るべきエサでしかないのに。
それを見抜いているのに、リュドミナは自ら権威を弱めていたんだ……。
―――猛獣使いが、猛獣相手に権威を捨て去れば何が起きるのか。
偉大さを失くした支配者に、奴隷がどんな態度を取るものか。
歴史はボクたちに教えてくれているだろう、革命の連鎖がヒトの本性。
カニンガムは恥ずかしくなっていた、『女ごときに従う自分』のことがだよ……。
―――これは『誘惑』であり、『罠』であった。
カニンガムは、せっかく宗教的な救いを与えてもらったはずなのに。
それを自ら放棄することを選ぶ、いや正確には少し違うね。
『リュドミナに放棄することまで選ばされている』、それこそが真実だった……。
「……オレは、こんなところで終わる男じゃない!!」
―――あまりにも多くの悪人が、この叫びを使って来たけれど。
今日もカニンガムという悪人が、常套句を叫んでいた。
自分の体内に仕込んでいた『蟲』どもに、魔力を捧げていく。
強大な筋力を自らに与えながら、カニンガムはすぐそばにいる尼僧に飛び掛かった……。




