第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その二百十一
―――クリア・カニンガムは、どこかタイミングを推し量っていたようだ。
窓の外を覗き込み、上空を旋回するゼファーを見つめる。
カーテンにくるまるようにして、気配も魔力も消し去りながらね。
ゼファーを高く評価しているし、慎重な性格ゆえのことだ……
「あの竜は、ずいぶんと広く警戒している……地上を走るのでは、逃げ延びるのは不可能だろう」
「目測だけでも、馬の数倍の速さがありますからね」
「殉教するのにも、時期がありますからなあ。ああ、おぞましい魔竜め。リュドミナ殿の聖なる任務を、こうも邪魔してくれるとは……」
「貴方は、逃げ延びるような選択をしてくださっても問題ありませんよ」
「……ええ。もちろん。最善の方法を尽くしますよ。私にとっても、そして、顧客である貴方にとっても。洗礼をしていただいた礼にも応えたいのです。信じて下さい。私は、悪いようにはしませんよ」
「頼らせて、いただきます」
「いくつか、策を張らせていただいております。私にも社員がそれなりの数いまして……マフィア呼ばわりされることも多いのですが、彼らは粗暴かつ容赦ないだけで、私の命令には従順なのですよ」
「……どういった、策を?」
「『地上部隊』もいましてねえ。まあ、戦闘であの竜騎士どもに勝てるほどの腕は、ないでしょうが……戦い方は心得ているのは、何も軍人だけじゃありませんよ。あの宿にやって来られるとき、丘が見えたのでは?」
「……ブドウ畑ですね。斜面に、多くのブドウの木を植えていました」
「あれに、火をつける」
「もったいないですね。なかなかの古木ぞろい……」
「そうですとも。だからこそ、周りの農民どももあわてるのですよ」
「……農民たちに、騒ぎを起こさせる……?」
「『目くらまし』には、丁度いいでしょう。農民どもが火消しに躍起となる。先祖伝来、一族の生き方を支えてきた名木たちですよ。素晴らしい甘味が宿った実をつける。農民どもには、この秋からの糧でもありますからなあ。全力で、消そうとするでしょう」
「今は、戦闘に怯えて……家に引きこもってしまっていますね」
「そう。それを、無理やり、総動員させるんですよ。名案でしょう?」
「……被害を、拡大させることにはなりますが……」
「甘いですな。あちらは、手練れの戦士です。複数の策を使い尽くして、ようやく渡り合えるというもの。我々は、商人と尼僧ですから。戦闘のプロフェッショナルというわけではありません。非道も、使わなければならない。あとで、懺悔しますので聞いて下さい」
「……分かりました。すべては、女神イースのため」
「そうです。もはや、動き出しているのですから……ほうら。見て下さい。ブドウ畑の丘の下に、火が生まれましたよ。西からの風にあおられて……炎が、次々に広がる……」
「いくら何でも、火の手が早い……何か、仕込んでいたのですね」
「もちろん。こんなこともあろうかと、多くの策を仕込んでいたのですが、その一つ。枯草と油を少々。あのどす黒い煙は、よく空に映える。すぐさま農民どもが駆けつけてくれるでしょう。少しは、目くらましになって欲しいところです。竜に襲われたら、なお結構」
「……カニンガム殿。他者の不幸を、望むことはイース教徒として、よくありませんよ」
「ああ。ですなあ。そうですなあ。実に、私は罪深い者だ。今日まで、何ともずる賢く生き延びて来た。狡猾さと知恵が武器ですよ。しかし、今日、生き延びられたなら、生まれ変わると誓います。洗礼を授けてもらったのですから」
「貴方の人生が、より正しくなるように祈らせていただきます」
「ありがたいことです。さあ、そろそろ、動きましょう。こちらに……」
「手を引かなくても問題ありませんよ。私は、高貴な身分でもありません。それに、巫女戦士としても鍛えておりますので」
―――カニンガムは差し出した手を、引っ込める。
にこやかというのには、どうにも無理がある笑顔のまま。
中年商人らしく欲に脂ぎった顔であり、隠しきれない邪悪さがある。
戦場慣れしていないのは、マフィア崩れのコイツもそうなんだよ……。
―――どんどん邪悪な本性が、明らかになりつつある。
女神イースの真摯な教徒のはずもなく、利益のためなら殺人もする邪悪な金の亡者だ。
リュドミナに警戒されるのが嫌なのか、それとも軽蔑されるのが嫌なのか。
カニンガムは無理に手を引くこともなく、音を消した歩きでドアへと進む……。
―――ドアは、勝手に開いた。
魔法がかかっていたわけじゃなく、ただ気配を消した暗殺者が開いたのさ。
カニンガムの接近に対して、この熟練の部下は主が気に入るように行動した。
カニンガムは部下の仕事を気に入り、ねぎらうために男の肩を叩く……。
「ロッキーズ、いいタイミングだったぞ。それで、状況は?」
「……地下通路は用意できました。こちらへ」
「素晴らしい。さあて、リュドミナ殿、向かいましょう」
「はい。ソルジェ・ストラウスが、ここにやって来るまでに」
「あの男に、手傷ぐらいは負わせられたでしょうかな?」
「いいえ。それは、あまりにも無理があったようです。『赤く暴れる竜巻』が、すべてを細切れにしています」
「……なるほど。噂は聞いていましたが、竜太刀。『プレイレス』の解放者……『赤い竜の夢』も、聞きました。黒い竜ですが、ね」
「ただの夢に過ぎません。呪術が見せた、はかなく価値のない夢……」
「でしょうなあ。勝者は、いくつもの虚構をばらまくものです。より政治的な利益を得るために」
「俗世のことは、貴方のほうが詳しいようです。しかし、授業よりも」
「ええ。参りましょう。恐ろしい竜騎士と竜が、追いつく前に」
「……一秒でも、時間を稼がなければ……『オルテガ』に、飛ばした『分身』が仕事を果たしてくれるのを待たねば……」
―――リュドミナも、焦っている。
戦場のプロフェッショナルではないから、恐ろしい強さで暴れる猟兵を見ることで。
心は焦ってしまい、つぶやくつもりのなかった言葉さえ口にした。
ビビアナに作戦の一端を、聞かれているとも知らずにね……。
―――廊下を進む暗殺者と商人と、尼僧。
リュドミナは警戒をしているからか、最後尾を取っている。
保身のためにカニンガムが自分を罠にはめるかもしれないと、疑っているのさ。
窓の外では、農民たちの怒声が飛び交っていた……。
「ひ、火を消せ!!」
「畑が台無しになるぞ!!りゅ、竜が、焼いたのか!?」
「わ、分からん。だが、消す他ない。あれが、失われたら……先祖に申訳が立たん」
「それどころか、カニンガムの旦那に借金が返せなくなるっ。そ、そうなったら、嫁も娘も、ひ、人買いに売り払うしか……っ」
―――必死な者たちが、走って行く。
カニンガムは彼らの行動に満足し、何度も頭をうなずかせていた。
その態度がリュドミナは気に入らないし、ビビアナもそうだ。
商人には掟がある、欲深い商いだからこそ自戒も必要なんだよ……。
―――あらゆる商いに、詐欺と博打の要素はある。
ヒトからより利益を得るために、嘘や話術で騙す日もあれば。
変動する商品の価値や需要の流れに、ギャンブルめいた予想で挑む日もあるものだ。
罪深さがあるからこそ、職業倫理を保たねばらない……。
「……貴方が焼いたのですから、彼らから奪うことはしないでくださいね」
「……ええ。もちろん。もちろんですとも。この災難に遭った農民どもから、さ・ら・に、むしり取るような真似は、しませんよ」
―――それが、どれほど信頼できる言葉だったのか。
少なくとも、リュドミナもビビアナもこの男を信じられない。
世の中には、悪人もいるのだ。
驚くほど欲深くて邪悪な者が、二人の視界のなかにいた……。




