第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その二百四
―――イース教の宗派は数多く、その戒律にも多くのバリエーションがある。
それでも半分の宗派に共通している儀式が、洗礼であった。
僧侶の前で信仰を告白して、聖別された霊酒で額に宗派の印を描く。
信徒としての自覚と誓いを立てて、女神イースの下僕となるための儀式だよ……。
「霊酒の代わりに、このワインを使うことにいたしましょう」
「ええ。ありがとう、リュドミナ・フェーレン殿。感謝いたします」
―――リュドミナは聖句を唱える、美しい声でね。
「大いなる慈悲の体現者にして、世界の救済者」。
「六枚翼の女神よ、聖なる園への帰還を願う魂たちの誓いの声に耳をお貸しください」。
「この者クリア・カニンガムは、敬虔なる女神の子として残りの命を使う」……。
―――祝福を捧げられたワインを、銀の皿に注いだ。
リュドミナのそろえられた美しい指たちが、完璧な儀式の動きに踊る。
赤いワインを私腹がとらえて、ひざまずいて待つカニンガムの額に触れた。
至福のときであったらしく、男は目を閉じて恍惚とした顔で洗礼の印を描かれる……。
「……ああ。これで、ようやく本当のイース教徒になれたのですな」
「そうです。貴方は、女神イースと大きな絆でつながれたのです。これで、さみしくはありません。いついかなるときも、どんな苦しみであれ、どんな痛みの瞬間であれ、貴方は孤独ではないのです」
―――宗教の効能の一つは、神さまと信者と結びつけることだ。
ヒトの人生には多くの痛みや苦しみがあるからね、それを耐えるために神さまがいる。
女神イースの正式な信者として生きることを、カニンガムは望んだらしい。
もうすぐ猟兵たちがやって来る、それがどんな結末を与えるか知っていた……。
「……帝国軍の『特殊部隊』の方々は、勝てないでしょう」
「ええ。ソルジェ・ストラウスは、それほどに強い。あの竜をも、従えているのですから」
「リュドミナ殿には、どうにか逃げ道を与えたい。封鎖していた、地下のトンネルを部下に開通させているところです」
「ありがとう。私は自分の死を恐れはしませんが、大いなる使命を果たしたいのです」
「使命、ですか。よければ、その内容をお聞かせいただけないでしょうか。より協力できると思いますので」
「……女神イースに、肉体をお返しするのですよ。私たち『カール・メアー』と、『ギルガレア』で母胎を作る」
「おお。それは、何という計画なのか……暗躍なされていたのは、その使命のためだったのですな」
「長い準備期間と、苦難の道でした。大きな犠牲も支払っています。母胎の中心となるべき運命だった者も、今しがた倒されてしまった」
「それでは、その計画は頓挫したのでしょうか?」
「いいえ。まだ計画は生きています。『分けている』ので、『彼女』はまだ滅んだわけではない。『足らなくなった部分』を、私が補わなくてはなりませんが」
「つまり。貴方を、その儀式の場に運べば、良いのでしょうか?」
「はい。私も『分けている』ので、絶対に移動が必要というわけではありませんが。今しばらく生きていなくては、なりません」
「敵は、それに気づいていると?」
「ソルジェ・ストラウスたちは気づいていない。あれの標的は、貴方でしょうから。私についても、勘づいていたとしても……こちらの計画の全容は、ばれてはいないはず」
「なるほど。ありがとうございます。私のような者を、信用していただいて」
「当然ですよ。貴方は、女神イースの子の一人となったのですから」
「私のような者を、信用して下さる方は稀です。貴方がソルジェ・ストラウスたちに秘匿している情報を私が得て、それをソルジェ・ストラウスに『売り渡す』などと、考えもしないなんて」
「ええ。貴方は、そういう人物ではありません。それに、ソルジェ・ストラウスも甘くはないでしょう。貴方を生かしておく理由は、彼にもありませんから」
「情報を渡した程度では、たしかに私は救われないでしょうな。帝国軍とつるんでいたことが露呈しては、『オルテガ』に居場所もない。私は、多くの罪を犯してもいる。同胞である商人たちを、暗殺したのです」
「女神のためなら、許される罪もある。貴方のその行動は、私たちへの献身の側面を持ってもいた。我欲であれど、貢献してくれたなら……それは聖なる行いの一部でもある」
「リュドミナ殿の名において、赦しをくださいますか?」
「ええ。女神イースの代理として、貴方の罪が償われる日が来ることを約束します」
「ありがたいことです。これで、心置きなく。自分の道を進めますよ。必ずや、貴方をここから脱出させます。どこに……運べばいいのでしょうか?」
「しばらく生きていられれば、それでいいのです。しかし、行けるのであれば、『オルテガ』です。あそこが、我々全員の運命が集結する地点となるでしょう」
「なるほど。儀式の場は、『オルテガ』。そこで、女神イースが再臨なさると……」
「そうなります。必要なものは、ほとんどそろいつつある……後は、その術を操る私が、儀式の成功まで生きていれば問題はない」
「ここで、殺させるわけにはますますいかなくなりましたな」
「守ってくださいますか、カニンガム殿」
「全力で。『特殊部隊』の方々は、旗色が悪いようですが……この気配、どうにか、まだ粘っているようです。もうしばらくすれば、こちらのトンネルも開く……」
「思いのほか、やりますね。『ギルガレア』の『劣化種』しか身に入れていないというのに」
「あれは、あれでなかなか良い『寄生虫』だと思いますが」
「神を産む力を失ってしまっていますので。女神イースの供物としては、不適格なのです」
「なる、ほど。たしかに、『蟲の教団』から離れた『ゴルゴホ』たちは、医療や軍事という手段に特化してしまった。実用的でありはしますが、信仰とは無縁の変化を遂げておりますな」
「リヒトホーフェン伯爵たちが求めた形こそが、女神イースの供物として正しいのです」
「伯爵たちも、供物となれるのであれば、喜んでいるでしょう」
「すべての神聖さは、一つに戻るべきなのです。無数の神々に、惑わされるのは、不安でしょう」
「ええ。私には、貴方のその言葉の意味がよく分かるのです。多くの異教の神々が、女神イースへの信仰を妨げた。神は、一つでいい。すべての他の神々は、ただの供物となればいい。その考えは、私の胸を打つのです」
「貴方は、多くを捧げてくれました。感謝をしていますよ」
「いえいえ。私のような、罪深い者を信じて下さったことこそ、感謝しきれません」
「『ゴルゴホの蟲』も、提供してくれたことは、大きな功労です。おかげで、私は……この視座も得られたのですから」
―――クリア・カニンガムは、リュドミナの信奉者だったようだ。
ボクたちが想定していた人物像とは異なり、強い信仰心を持っていたらしい。
イース教徒であることを隠していたおかげで、商人としての性格しか分析できなかった。
悪意よりも善意の方が、読みにくいことも多い……。
―――邪悪なマフィアである一方で、イース教徒として敬虔な男であった。
しかも、『カール・メアー』なんていう極端な宗派を受け入れられる過激な信仰者。
この男は、善きことをしようと必死であったからこそ。
リヒトホーフェンたちにも正体を見破られることなく、暗躍が可能だったのさ……。
―――リュドミナは、この男からの『プレゼント』を使う。
『ゴルゴホ』系の『蟲』だよ、帝国軍のスパイから得た力をリュドミナに渡していた。
この詠唱長の体内には、『ゴルゴホの蟲』まで宿っている。
そして、その『ゴルゴホの蟲』を『寄生虫ギルガレア』は支配した……。
―――リュドミナは、感覚を融け合わせていく。
戦いの最中にある『ゴルゴホの蟲』を宿す者の一人の視覚を、覗き見る。
帝国軍のスパイの一人が、戦っていたよ。
竜太刀を振り回す赤毛の大男、ソルジェ・ストラウスとね……。




