第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その百八十二
―――ミアの行動は迅速だよ、石壁に飛びついて登り始める。
あらゆる感覚を総動員しながらね、錬金薬のにおいが濃くなったことにも気づいた。
この地下では、錬金薬の精製が行われていたようだと見当づける。
錬金薬の煙は、この隙間を通ったときもあるようだね……。
―――煤けている、密閉した地下で錬金薬など作ればこうもなるだろう。
服が汚れるが、別に構わない。
むしろ情報を一つ得られたことを、ミアは喜んでいる。
骨の髄まで戦士であり、戦士たちの霊長である猟兵なんだよ……。
―――地下での錬金薬精錬をよりしやすくするために、わざわざ地下を拡張した。
ずいぶんとこの作戦期間は、長かったようだとも気づく。
リヒトホーフェンどもにも気づかれずに、『カール・メアー』は企みを続けていた。
作戦には哲学や信念というものが反映されて、それを感じ取ることもやれる……。
―――おぞましいほどの執念と、賞賛するに値する忍耐があった。
どれだけの願望が、あったのか。
大きさだけは分かるけれど、具体的にそれが何かまでは想像が及ばない。
割れ目に身をねじ込んで、ミアは蛇のような柔らかさでその部屋の頭上へと至る……。
「……はあ、はあ……っ」
―――ミアの猫耳が、その苦しそうな声に反応した。
予想ではこの苦しみの主は、ビビアナ・ジーだ。
怒りが増えるが、行動力に変える。
全身の関節を脱力させたまま、蛇の無音でその割れ目を進んでいった……。
「そろそろ、薬を、くれ……っ」
―――フリジア・ノーベルの声に、猫耳が弾んだ。
言葉は弱々しいが、無事なようだ。
嬉しい、心配した。
状況は複雑ではあるが、友情はいつでも温かい……。
「『ええ。もちろん、解毒剤は、ここにあるからね』」
―――解毒剤、状況を見通させる単語だったよ。
ビビアナは毒を盛られ、フリジアはそのせいで従うほかなかった。
ビビアナのための行動だ、やっぱり裏切ってはいなかったのだ。
うれしさと、こんな残酷な罠で二人を苦しめる敵に対しての怒りが燃える……。
―――しかし、慎重さが求められる状況だった。
ビビアナが毒に侵されているのなら、解毒剤がすぐそこにあるのなら。
まずは、解毒剤を打ってもらう必要がある。
この敵が暴力を用いた尋問に屈するとも、限らない……。
―――ビビアナは、間違いなく弱っているのだから。
このかすれた呼吸に、魔力の小ささ。
フリジアがここまで従ったのなら、その報酬を得られるのなら。
今は、慎重さで行動を抑止しなければならないだろう……。
「ビビを、助けろ。私は、そのために、お前に協力したのだから。そういう約束だった。それを違えるのなら、私が……お前を殺してやるぞ」
―――明るく愉快な、フリジア・ノーベル。
それとはまったく異なる声だ、それがミアには辛い。
とんでもなくがんばっているのさ、自分の声も性格も歪めてしまうほどに。
フリジアを守りたくて、必死だった……。
―――それが分かるから、敵を許せそうにない。
それが分かるから、フリジアが愛おしい。
それが分かるから、ビビアナの無事を祈る。
それが分かるから、猟兵として最良の戦術を望む……。
「『貴方には、殺せないわよ』」
「さっさと、薬を。ビビを、これ以上。苦しめるな」
「『……ええ。打ってあげるから、待ちなさい』」
「……それ、だな」
「『この薬よ。でも、飛び掛かったりしないで。手元が狂って、また床に叩き落としちゃうかもしれないから』」
「……分かっている。だから、そいつを……」
「『ええ。ビビアナさん。あなたを、助けてあげるわ』」
「……はあ、はあ……う、ううっ」
―――蛇の動きは、その部屋の直上に到達していた。
ランプの揺れる灯りの下で、ビビアナとフリジアがいる。
殺すべき『彼女』も、そこにいたよ。
男だとは聞いていたが、どこからどう見ても女にしか見えないが……。
「苦しそうだぞっ!?おい、それは、本当に薬だろうな!?」
「『どんな薬でも、すぐには良くなったりはしないものよ。ほら、見なさい。脈が、少しずつ落ち着いていくでしょう』」
「あ。ああ。本当だ……ビビ。ビビっ。良かったよお……っ」
「『……本当に、この『狭間』が大切なのね』」
「当たり前だ。ビビ……お前のためなら、私は、どんなことでもしてやるぞ」
―――『カール・メアー』の教義を、フリジアの友情は超えている。
でも、それはイース教の否定でもないかもしれない。
何せ、『彼女』がその涙と微笑みに身を凍てつかせたのだから。
誰よりも女神イースが必要な『彼女』が、その瞬間だけ詠唱長の呪縛を解いた……。
―――どんな宗教にも、神髄めいた教えがある。
慈悲を掲げた女神イースのそれを、『彼女』はかつて聖なる歌のなかに見た。
その歌のなかに見つけた、今はフリジアのやさしさに。
揺らぎそうになるが、詠唱長の『言葉』が動き出す……。
「『分からないわね。それは、間違った慈悲でしょうに』」
「……そうは、思わん。女神イースは、ちゃんと、ビビを救っている」
「『救ったのは、私の戦術的な産物でしかないわ。これは、大いなる作戦の、一部』」
「……でも、助けてくれたろう、レナス・アップル」
「『私は、リュドミナ・フェーレンよ』」
―――ミアの頭は混乱する、この『女』はどちらなのか?
リュドミナ・フェーレンは、ソルジェたちが向かった東にいると踏んだ。
『これ』は、どういうことなのだろう。
二人の名前が、一人の『女』に使われているなんて……。
「私も、『仮面』を使ったから。よく分かる。あれは……ちゃんと自分も残っているんだ。お前も、そうだろう。詠唱長の術じゃない。きっと、お前は……選んだ」
「何のことかしらね。『さあ、そんなことよりも。取引を続けましょう』」
「……ビビは、もう大丈夫なんだろう?」
「『半分だけね。半分だけよ。この子に使ったのは、半分だけ』」
「おい!ハナシが、違うぞ!!」
「『ここにある薬だけじゃ、不完全よ。私が……『本体』の、リュドミナ・フェーレンが持っている薬を、使う必要があるの』」
「だ、だましたな!?」
「『半分だけ、ね。この薬のおかげで、しばらくは生きていられる。半日は、もつわ』」
「く、くそ!!ま、まだ、ビビを苦しめるというのか!?」
「『だって、『狭間』は苦しまないといけないもの。この子は、罪深いわよね。自分が『狭間』のくせに、『人買い』をしていた。たくさんの人々を、苦しめた。自分が、最も穢れた生き物だというのに』」
「……おい。お前……」
「『命令に従いなさい。私はね、欲しいものがある。それはね、メダルド・ジーの『心臓』なの』」




