第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その百八十
「どう、どう!ゆっくりと、走るよー!」
『ヒヒヒイン!……ブルルルウ!』
「もう少し、落としましょうか?」
「ううん。問題はないよ」
―――まるで、『ただの早馬程度』の速さに落とした『曙』。
その背から、ミアはするりと降りた。
ゆっくりと体を左に倒していき、ソファーからずり落ちる猫のように柔らかくね。
高速で走っているけれど、ミアにとってはそんなことは何の問題にもならなかった……。
―――音も立てることなく、街道の地面に降り立った。
パロムには、どういう技巧がその運動を実現させたのか理解できない。
ディアロスは当然ながら最高の馬術競技者だけど、ミアの動きを試したこともない。
とてつもなく危険であり不可能なはずの動きだからね、ミアはそれだけ特別だ……。
「さすが、です!!」
―――ゾクゾクとした感動のしびれが、パロムの背筋を駆け抜けた。
ロロカと『白夜』の強さを、昔から知っていたけれど。
最強という概念には、いくつもの種類があるのだと学んだ。
戦が終わったあとで、『曙』と一緒に試してみようとも企む……。
「まずは、このまま早馬の演技をして……あのちいさな廃墟から離れておきましょう。15分。たったの15分の辛抱っ。ああ、腕が鳴りますねえ、『曙』っ!!」
『ブルルルウ!!ヒヒヒイン!!』
―――騒がしいコンビではあるけれど、それはむしろ『囮』には好都合だろう。
ミアが飛び降りた場所にも、技巧と経験が活きているよ。
そこも歴史の応酬によって壊されてしまった、過去の遺産。
街道沿いを走る壊された家屋の残骸、風と時間に晒されてすっかり崩れ色あせた壁だ……。
―――それは灯台から死角になってくれる、最高の遮蔽物だったよ。
ミアはそこにしゃがんだまま、パロムと『曙』が離れるのを待つ。
あの灯台こそが怪しい、おそらく敵がいるはずだ。
遮蔽物に潜んだあと、無音で動いた……。
―――壊れた壁から、ほんのちょっとだけ顔を出すのさ。
そこから灯台を覗くようにして、偵察を開始した。
動きはない、それでも観察を続ける。
角度の問題さ、あちらは昇りかけの朝陽に身を隠せるというアドバンテージがある……。
―――ミアは目を細めながら、灯台に動きがないかを探った。
待つのさ、アドバンテージを使う者は少なからず油断してしまうものだからね。
気配を消し去ったミアとは違い、敵は動いてしまった。
狩猟者の悦びが心に生まれるが、石ころのようにミアは動かなかったよ……。
―――敵影は灯台の頂上付近にいて、朝陽を背にしているおかげで顔が分からない。
それでも動きで、分かる。
『曙』を観察しながら、身を低くしていた。
隠れようとしているのさ、行動はいつでも真実を物語ってくれるものさ……。
「あそこに、いる。敵は……それに、ビビと、フリジアが、待っていてね。その敵を、必ず、ぶっ殺してやるから」
―――敵の姿が、灯台へと戻る。
『曙』が去ったと認識したらしいからね、自分の追手だとも考えていない。
『ゴルメゾア』を上手く使ったからだよ、『ルファード』からの追手は南に誘われた。
南東に向かって走る足跡を、『あらかじめ偽装していた』からだよ……。
―――『攻撃』の作戦というものは、いくつもの策をつなげるものさ。
『ゴルメゾア』を使った誘拐の果てに、ちゃんと逃げる手段も考えている。
『ルファード』の南から、『寄生虫』に侵された帝国兵が攻め込むことまでは計算外だ。
いくらか不確定要素があったとしても、おおむね作戦のデザイン通りに状況は動いた……。
―――上手く行っているからこそ、ヒトは油断もしてしまうものだよ。
敵の姿が、また現れる。
その影は、『オルテガ』の方角にある窓へと向かった。
望遠鏡がわずかに窓から飛び出している、街の様子が気になっているらしい……。
―――何か策があるのだろうが、そこまではミアには分からない。
当然だね、情報が少なすぎるんだから想像の余地さえないよ。
だけど、問題はまったくないのさ。
敵がいるのならば、ミアがすべきことは一つだけ……。
「殺して、助ける」
―――敵の視線が、『オルテガ』に向いているというのであれば。
これほどの好機はないだろう、ミアは壁の残骸から飛び出した。
影のように低く、矢のように速く。
灯台目掛けて走るのさ、パロムが見ていれば感動するようなスピードでね……。
―――ミアの走る速度に対しては、パロムも挑戦しようとは思わないだろう。
どんなに好奇心と勝気さがある、明るいディアロスの少女であってもね。
圧倒的で絶対的な力の差には、そもそも挑戦心など湧いてこないよ。
規格外すぎる相手と競争しようするなんて、正気の沙汰じゃないのさ……。
―――ミアは天才だけど、それにしても今日の走りは速さがある。
『風隠れ』を使い、身を軽くしているという点もあるけれど。
やはり、友情のための魔法がこの速度を与えてくれている。
この大陸はあまりにも悲しいことが多く、友愛は貴重なんだよ……。
―――たくさんの死がある、ありふれてしまっているんだ。
もっと厳粛に扱うべき死が、乱世ではそこかしこに転がっている。
これは忌むべき傾向であるものの、揺るぎない現実だよ。
ヒトはヒトを殺すのが、じつのところ大して嫌いじゃない……。
―――正義がくれた麻痺さえあれば、どれだけだって笑顔で殺せる。
どんな残酷なことも、笑顔でやれる。
それが戦いに染まったときのヒトであり、おそらく敵もその一匹だ。
フリジアを操っている、おそらくビビを人質に取ったことで……。
―――卑怯な作戦があるだろう、しかも前々から計画されていたものが。
怒りの鮮度が、上書きされていく。
ミアは、この新鮮な怒りをコントロールするために呼吸に頼った。
走るスピードも、ゆっくりと落としていく……。
―――侵入すべき敵の拠点に、到着したからだ。
灯台までの距離は、わずか200メートル弱。
日焼けして摩耗し、崩れかけた石材たち。
灯台は斜めに崩れていて、二階と三階の半分は外にさらけ出されている……。
―――敵の姿は、今はいなくなっていた。
探索用の『そよ風』を放って音を探り始めるけれど、居場所は見当がついている。
地下の空間がある、昔からのものか拉致誘拐の作戦のために新設したか。
どちらかは知らないが地下空間がある、その確信は正しかったよ……。
―――『そよ風』の一部が、吸い込まれるような音を立てたからね。
地下への入り口が、灯台にはある。
複数だったよ、三つか四つといったところだ。
敵の数は複数いるかもしれないが、問題はない……。
「把握した。作戦も、出来たよ。待っててね、二人とも。今すぐ、私が敵を殺すから」




