第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その百七十三
―――地図と記憶が示した通りの道を駆け抜けて、ミアはその教会に辿りついた。
昨夜の大規模な戦闘のせいで、いくらかの破壊を受けている。
窓ガラスは割られているし、入口の両開きの扉のうちの半分は行方不明。
だが本格的な略奪は、されていない……。
―――そういった破壊が帯びた、正確の悪さをミアは知っているからね。
それと比べると、あまりにも静かなものだ。
周辺の住民たちも、イース教会への略奪をしなかったらしい。
それは、ここにいた僧侶たちの善性を示しているとも言える……。
―――『ルファード軍』や、『オルテガ』の戦士たちの規律の高さともね。
その点については、ミアは気に入るのさ。
規律が低い軍隊は、いつだって帝国軍に負けてしまう。
私的な略奪の欲望に集中した戦士は、まともな戦列を組めた試しがない……。
―――「本物の戦士は、猟兵は、私的な略奪は避けるべきだ」。
「戦略的な略奪は、まあ、許容できなくもないが……」。
「……それでも、真なる強者は、気高さを持つ。規律を持つものだ」。
「あらゆる最高の軍事的英雄たちは、それを意識していたものだ」……。
―――幼いミアを、組んだ脚の上に乗せたまま。
たき火で鍋を温めるガルフ・コルテスは、ちいさな猫耳にささやいたんだ。
歴史とは戦いであり、英雄たちはその歴史できらめく強烈な星だと彼は信じている。
地上を燃やす焔よりも、闇を切り裂く星灯りに傭兵の古王は魅力を感じていた……。
―――「そういう気高さも、いつか身に着けるように」。
「オレたち猟兵は、最強の英雄たちの群れになるのだから」。
「力を組むまでは、オレの仕事だが……そっから先は、お前たちの使命だ」。
「この世界が、本当に大嫌いになったときは。お前たちで、ぶっ殺せ」……。
―――ソルジェにさえも、伝えていない真なる猟兵の祖の美学だ。
肺腑を病んで、血を吐きながらの末期の日々。
ガルフ・コルテスは、最後の教えを『孫娘』に叩き込んでいる。
ミアこそが、最も純度のある『パンジャール猟兵団』の猟兵なのさ……。
「うん。私たちは、『正義』を使う。力で支えながら、本当に正しいコトのために。世界をぶっ殺して、『未来』を奪うんだ」
―――無音の神速を帯びて、ミアはそのイース教会へと向かう。
帝国の襲撃を前にして、あわただしく駆け回る者たちを追い抜くように。
もちろん正面から堂々と入るなんて真似を、ミアが選ぶわけもない。
教会の背から襲うように、静かに入るんだよ……。
―――『そよ風』の探りも、使いながらね。
あわただしくて緊張感でガチガチになっている雑踏ではなく、静かに息を殺す気配だ。
それを探して見つけなければならない、本当の悪意と作意と使命を持った者は。
どんな戦場であったとしても、蛇のように静かになるものだから……。
―――ガルフの経験と記憶が紡いで、孫娘に与えた本物の知識を信じる。
ミアの猫耳が、わずかな気配を嗅ぎ取った。
それは興奮とはあきらかに違う気配であり、ミアの求める仮想敵の気配に等しい。
いるのさ、このイース教会の中に敵かもしれない誰かがいる……。
―――呼吸と足運びを使い、ミアは自分の精神をコントロールした。
竜の爆炎のように全てを破壊しつくような殺意を、時計の歯車の緻密さに隠すんだ。
「コチコチ、コチコチ。このテンポを覚えておけ」。
「暗殺者は、『攻撃』に特化した者は、計画性が何よりも必要となるものだ」……。
―――「ギンドウの作る懐中時計は、参考になる。この音を、心に刻むんだ」。
「法則性で律すれば、どんなに激しい感情に取りつかれたときでも知性を使える」。
「判断力を活かせるのさ。それがあれば、ちいさなお前も立派な殺し屋だ」。
「自分を律して、自分の強さを何倍にも有効に使ってやればいい。分かりやすいな」……。
―――幼いころのミアには、それらの深淵な教えを完璧には分からなかった。
でも、たくさんの経験が子供の時代を終わらせようとしている。
戦場で獲得して来た記憶と経験が、古い傭兵の祖の哲学を読解させていく。
感覚的に使えていた技巧の数々を、今は知的に制御しつつあるのさ……。
―――三十路まで戦場で生き抜けば、一部の達人が到達する領域だよ。
そういう場所にまで、十三才のミアは踏み込んだ。
無音の神速が、イース教会の裏手に飛び込むことに気づけた者は誰もいない。
当然だよ、だってミア・マルー・ストラウスなんだからね……。
―――教会の裏にあるちいさな庭、粗末な板づくりの囲いに守られた場所。
取り込むタイミングを忘れ去られていた洗濯物が、いくつか干しっぱなしだ。
規律正しい聖職者たちも、この一連の戦いで日常を破壊されていたらしい。
この教会にいた多くの者が、ただの尼僧であったのだろうとミアは悟る……。
―――『カール・メアー』は、間借りしていただけに過ぎない。
それでも貴重な拠点のはずだ、ここは彼女たちが敵対していたリヒトホーフェンの本拠地。
「敵を狙うためには、敵の近くに潜まなくちゃならない。無辜な者に紛れてな」。
「決意があれば、どんな行いでも選べるのがヒトという獣だ。正しさは、怖い」……。
―――ガルフの教えが、メダルドの言葉をミアに思い出させる。
「神さま、をつくりたがっている」。
虫けらどもで編まれた女神イースを、『カール・メアー』の異端者が望んだ。
その真実をベテランじみた本能でミアは把握し、それが信仰心の亜種だと分からせる……。
―――「正しい戒律で、極限まで磨き上げた融通の利かない正義もある」。
「そういう信仰心は、ときに多くを巻き込みながら進みつづけてしまうものだ」。
「見境もなく、自分だけを何処まで信じられる芸術家と同じでな」。
「『クリエイター/創造する者』という点で、こいつらの狂気は似ているんだ」……。
―――寝物語に聞くには、難解さが目立つ教えの数々ではあるが。
ミアはちゃんと覚えていた、それが大切な教えだと知っていたからだ。
眠りこけながらも、記憶に刻んでいた。
おかげで役立つのさ、過ぎ去る時は芸術的に教えを磨き上げるからね……。
―――洗濯物一つからでも、ここにあった組織力学を読み解ける。
あわただしくて、状況に反応して『守ろうしていた』。
『攻撃』のための気配とは真逆であり、今この教会の奥から感じる気配とも違う。
ここは善良だったが、今この教会の奥にいる潜みし者は違っているんだ……。
「……敵さん、見つけたよ」
―――自分に聴かせるためだけの、無感情でちいさなつぶやきだ。
「それを使え。自分に『魔法』をかけるんだよ」。
「暴れそうになる心を制御して、『攻撃』のための冷静さを与える」。
「コチコチ、コチコチ。歯車の精密さで、全身の血を充たせ」……。
―――『暗殺妖精』が、教会に侵入する。
裏口からなどではなくて、二階の高さにある小さな窓まで跳んでね。
『風』を頼らない、ただの無音の身体操作を使うだけでことは足りる。
無音の動きで、わずかな魔力のさざなみさえも生まない……。
―――完璧なる侵入で、『敵』が隠れる同じ階に到達したのさ。
窓からするりと降りて、清潔感と質素さがある教会らしい床に身を広げる。
手を床に押し付けて、身を屈めているのさ。
ボクの教えも、使ってくれている……。
「『四つ足の獣になるのもいいよ。獣は、ヒトよりも冷静に殺せる肉食獣だ。真似して、原始の冷静さを演じよう』」




