第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その百七十
―――心臓が打ってはならない拍を打ち、メダルドの脳は血が足りなくなる。
体を自力では支えられなくなり、素早く飛びついたミアに支えられた。
メダルドの意識は混濁して、時間の軸が揺らぐんだ。
たくさんの時間が見えて、たくさんの記憶があった……。
―――すべてはビビアナの姿であり、ビビアナの顔である。
ビビアナの声を聴き、ビビアナの動きを見た。
子供の頃のビビアナで、大人になった今のビビアナもいる。
つながる記憶が不安も呼び起こす、『未来』のビビアナだけは見えないからだ……。
―――周りの家族を失い過ぎているから、不安も大きくなる。
これまでも、これからも周りは自分を置いて冥府の川を渡るんじゃないかと。
どうにかしたいと藻掻きたくて、揺れる視界のなかで腕を伸ばした。
幻のビビアナにさえも、その腕は届かない……。
「……ビビっ。ビビ!!ああ、ああ……ッ!!」
「おっちゃん!!落ち着いて、落ち着きなさい!!私を見て!!深呼吸しなさい!!」
「……ッ!?ビビ……じゃない…………ミア……っ」
「落ち着いて。おっちゃん、深呼吸をするの。ヒトはね、ヒトの体は、心だけじゃなくて呼吸でも操れるんだから」
―――『人買い』として、ビジネスの技巧に長けた男だ。
ミアの言葉も、およそ理解する。
深呼吸をあやつることで、大きな商談前でもいくらか落ち着けられた。
「落ち着くべきだ、それが全てを成し遂げる」、父親が伝えた一族の教訓が頭に響く……。
―――メダルドは、深呼吸を繰り返す。
ミアはそれを促してやるように、両腕を大きく広げて呼吸を作った。
自分のためでもある、この手紙が与えた動揺は当然ながら大きい。
それでも信じるべきを信じて、疑うべきを選ぶ必要がある……。
「……おっちゃん。フリジアは、裏切らない」
「……それは……それは、オレもそうだとは思いたい。だが、この報告に書かれている。『カール・メアー』は、あの子には、フリジア・ノーベルにとっては、家族だ。一族だ。それが接触してくれば、そちらに従ったとしても、おかしくはない」
「ううん。フリジアは、ちゃんと『カール・メアー』を裏切れるよ」
「……言い切れる、のか?」
「当然だよ。だって、フリジアにとって、ビビはとっても大切な親友なんだから」
「……それは、そうかもしれないが……」
「フリジアは、『仮面』を使っていたもん。あれは、きっと……ううん。絶対に、『カール・メアー』を裏切るための方法だ」
「……そう、かもな。普通のままじゃ、素顔では、『カール・メアー』に堂々と逆らえたりしない。だから、あれを選んだ……」
「弱いからじゃない。フリジアは、本当に、『カール・メアー』のお山を大切にしていたんだ。でも、それを裏切るには、ちょっとだけ『仮面』の力が必要だっただけ」
「……だが。状況は……うちの部下は、不確かな情報は省くようにしつけている。それが、この報告を上げて来ているんだ」
「信じるべきは、何?疑うべきは、何?」
「……猟兵は、何を、信じるんだ?」
「猟兵が信じるのは、行動だよ。ガルフおじいちゃんが、教えてくれた。言葉じゃない。見た目じゃない。行動。そこに、全部がちゃんと含まれている」
「……行動……フリジア・ノーベルと、『カール・メアー』が、巨大な獣とやらで襲撃して……ビビを誘拐した」
「うん。ビビが誘拐されたのは、真実だと思う。でも、フリジアが『カール・メアー』と共に行動している模様って、書いてある。憶測が混じっているよ」
「……つまり、確証を得られていない」
「そうだよ。この報告を受けたヒトは、『カール・メアー』を警戒している。襲撃者が『カール・メアー』だって、ハッキリしているから。でも、フリジアについては、確信を抱けていない。自信がない。それをさせるに足る、行動があったから」
「……どんな、行動だろうか」
「フリジアが、ビビにしていた行動かもしれない。ビビを守ろうとしていたんだ」
「……それは、そう、だろうな。あの子は……フリジアは、ビビを好いているように見えた」
「うん。それは絶対だよ。だから、『カール・メアー』と決別しようと、『仮面』を使ったんだから。自分を押し殺してでも、ビビのために戦うつもりだった」
「……知っている。それは、オレも……」
「フリジアは、絶対に裏切らない。それは、信じられるよ」
「……だが、襲撃者と……一緒に動いているようだ」
「それを、しないとビビを守れないとすれば?」
「……何かで、脅していると?」
「『カール・メアー』は、女子ばっかりだから。そういうの、得意だと思うの」
「…………確かに、な。宗教というのは、戒律で縛るのが得意だ……」
「おっちゃん。落ち着いて、聞いてね」
「……ああ。大丈夫だ。落ち着けている。深呼吸のおかげでな」
「ビビは、本当に危険な状況ではあると思う」
「……ああ。そう、だろうな」
「フリジアは、そのときなら『カール・メアー』に従える。ビビを守るためなら、自分の本心だって、押し殺せるんだから」
「……仮面は、そういう決意かい」
「うん。それに、これは……私の、直感でもあるの。フリジアはね、強いよ。ちょっとしたキッカケがあれば、化けられるくらいには強い。『カール・メアー』の襲撃者は、フリジアを倒せなかったのかもしれない」
「……あの子が、化ける……か。戦闘に関しては、オレの意見よりも、猟兵の直感の方がはるかに正しいだろうからな」
「信じて欲しい。フリジアは、弱い子じゃない。ビビを守る。自分の命に代えても。そういう覚悟は、とっくにしてた」




