第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その百六十九
―――大人の男だって、泣いてしまう日もあるよ。
悲しいときはね、過去が押し寄せて来るものだから。
子供よりも長く生きてしまっている大人の方が、それだけ悲しいときもある。
たくさんの悲しい思い出も、ヒトは背負いながら生きる獣だ……。
―――ビビアナのために、必死に生きる。
それはメダルドにとっては、当然の行いではあった。
他に『家族』は誰一人として残っていないから、その事実が大きいかもね。
両親も兄も死に、妻にも先立たれてしまっている……。
―――裕福な商人であり続けたけれど、周囲の者の死が持つ重みは大きい。
悲しい『もしも』が、よく襲い掛かる。
もしも、両親がいたら大きな決断のときには助言を聴けただろうに。
もしも、兄がまだ生きていたら今ならその生き方を讃えられた……。
―――愛する妻が生きていれば、ユーモアでこの苦しみを和らげてくれるかもしれない。
あの豊かな賢さを使って、不安に対して魔法のような処方を用意してくれただろう。
もしも、彼女とのあいだに子供がいたら。
きっと、今よりも何倍も何倍も幸せだったはずなのに……。
「……オレにはな、もうビビしかいないんだ……」
―――ミアの小さな手に撫でてもらいながら、不安にうなだれた男はせき込んだ。
今度は背中を、ミアがさすってくれるんだよ。
すっかりと年寄りになった気もするが、さみし過ぎる今はこの手を受け入れる。
誰だって孤独は怖くて、愛する者を心配するときには支えが欲しくなる……。
「……正しい、判断だった。そのハズなんだ。オレは、オレは……」
「うん。猟兵だから、私には分かるよ。メダルドのおっちゃんはね、本当に正しい選択をしているんだ。だから、大丈夫」
「……これは、ビビを。ビビの両親を。裏切っているんじゃ、ないだろうか?」
「ビビのために、最良だと思える判断をしただけだよ。問題は、ない」
―――そうだ、そう信じたいのだ。
ミアには説明不明の不安があって、それは西に感じているのだから。
否定したい、だから正しさに頼る。
メダルドの選択はとても合理的な判断で、ビビアナとフリジアは無事なはずだと……。
「……ストラウス卿は、心配してくれていたんだ。でも、ゼファーは……竜は、あの子だけだろう?」
「うん……『パンジャール猟兵団』にいる竜は、今は、まだ、ゼファーだけだね」
「……だから、ストラウス卿とゼファーには、東に向かってもらったんだ。『オルテガ』に迫る帝国軍に、『帝国軍のスパイ』の戦力が合流したら、マズいだろう。多くが、死ぬことになるかもしれないから……」
「そうか。お兄ちゃんたちが、ここにいないのは……」
「……『調整役』を……クリア・カニンガムという『料理人』の拠点に、出かけた」
「料理人、なの?」
「……マフィアでもある。上流階級御用達の料理人だが、裏ではきな臭い仕事もしていた。ライバルの商人を、殺したり、そいつらから無理やり店や金品を奪ったり……そういう危ない男だ」
「そいつが、リヒトホーフェンとつながっていたんだね」
「……ああ。リヒトホーフェンのためにも、仕事をしていたんだろうが……人脈の広さと、リヒトホーフェンからもらった権力を、悪用していたようだ」
「人脈と、権力を、悪用……?それが、『カール・メアー』や『帝国軍のスパイ』と?」
「……リヒトホーフェンを、裏切ってもいたんだろう。リヒトホーフェンの知識や、情報を連中に流して、見返りを得たいた可能性が高い。当然だ。そうすれば、『一番儲かる』んだからな」
「みんなを騙していたんだね。そいつ、本当に悪いヤツだ」
「……世の中には、とくに、商売人の世界には、こういうクズがいる。金のためには、どんな倫理だって捨てて動けるようなクズが」
「でも、お兄ちゃんと、ゼファーが向かったんだね」
「……そうだ。ジャン・レッドウッドも」
「私は、ここで体力回復する役割だった。だから、起こしてもらえなかった。何かが起きたときには、私ががんばらなくちゃならないからね」
「……何かが、起きたときには……か」
「悪いことばかり考えないでね。おっちゃん、心配し過ぎも、体に悪いんだよ」
「……考えるさ。不安は、いつも……あるからな」
「大丈夫。みんな、がんばってるよ。正しい道を、ちゃんと選べているから」
「……それでも、不幸はある。ビビアナに、オレは……どれだけ明るい『未来』を遺せるのだろうか……」
「おっちゃん、死ぬようなコト、言わないで。ビビも、私も悲しくなるよ」
「……ああ。すまん。すまんな。どうにも、心身共に、オレは不調だ……軍の指揮を、下ろしてもらったのは正しかった」
「おっちゃん、今は、ゆっくりと休んでいて」
「……そう、だな。ストラウス卿も、じきに戻るだろう」
「うん。猟兵が行けば、あっという間にカニンガムとかいうヤツ、殺せるから!悪いヤツがいなくなれば、『ルファード』も守りやすくなる。すぐに、おっちゃんもビビのところに戻れるよ!」
「……ああ。ビビ……会いたいよ」
「会えるよ、すぐに、絶対に」
―――ミアは笑顔を選ぶんだ、メダルドを安心させるために。
本当は不安だけど、がんばって演技をするんだ。
もちろん、『人買い』の洞察力の前にはミアの演技は見破られる。
賢いことは、ときどきヒトに苦しみを与えてしまうこともあるものさ……。
―――でも、ミアのためにも騙されたフリをしようとした。
メダルドは良いヤツだ、『人買い』でありボクらの敵ではあったけれど。
今ではボクらの仲間であり、同じ価値観と願いを共有している同志だよ。
お酒を酌み交わしてみたい相手だ、ボクからしてもね……。
―――微笑んで、騙す。
ミアに説得されたように、偽装しようとした。
どうせ眠れないくせに、「少し横になろうかな」と呟いてみる。
立ち上がり歩こうとして、窓にその伝書鳩は届いてしまった……。
「……鳩。この鳩は……『ルファード』からだ!!」
「……っ!!この子、ちょっと、羽根が焦げてるっ!?」
「……ま、まさかっ」
「おっちゃん、落ち着いて……ッ」
―――あわてた手が、伝書鳩の足環から紙片を取り出す。
不安は的中するんだ、悲劇がそこには記されている。
『ビビアナさまが、『カール・メアー』に誘拐されました』。
『巨大な獣と共に、東へ。襲撃者にフリジア・ノーベルが協力した模様』……。
「……そ、そんな……ッ!?」
「ち、違うよ。こんなコト……ありえない。フリジアは……フリジアは」
「……『カール・メアー』め!!だ、騙して……いたというのか!?」
「違う!そんなはず、ないよ!!」
「……何も、信じられん。ビビを、この手に……取り戻さなくてはっ!!」
「おっちゃん!!待って、何処に行くの!?場所が、分からないでしょ!?」
「……だとしても、じっとはしていられん!!探さないと、探さないと……っ。ああ、ああ、ちくしょう!!どうして、オレは……ストラウス卿に……ッ。未来の心配など、しなくても……未来が……閉ざされたら、それで、お終いだというのに!!」




