第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その百六十六
―――『カール・メアー』の猛毒だ、シンプルだけど効果は強い。
ビビアナもエルフの薬草医も、とっくの昔に意識は消え失せていた。
リュドミナは美しいハミングを響かせながら、薬草医に近づく。
約束を守るんだよ、ビビアナが自ら毒を飲んだからね……。
―――その口を開かせて、薬瓶を突っ込むようにして解毒剤を与えた。
フリジアは、もちろん激怒している。
怒りと憎しみがあふれて揺れる瞳になって、リュドミナに襲い掛かった。
獣のように速いが、リュドミナには敵わない……。
―――回避されて、次の瞬間には叩きのめされる。
解毒は完璧だったとしても、その影響はまだ体に残っていた。
床に叩きつけられて、身が弾む。
体は痛いが、それ以上に心が痛い……。
―――必死な腕が伸ばされて、リュドミナの足首を掴んだ。
ハミングを継続するリュドミナは、フリジアの頭を踏みつける。
割れるような痛みだが、それでも怒りが優先された。
起き上がろうとする、奪い取りたいと考えているのだ……。
「ビビに、解毒剤を……ッ。寄越せ……寄越せよ……ッ。じゃないと、お前、ぶっ殺してやるぞ……ッ」
「『あらあら。絨毯みたいに這いつくばってしまっているのに。そんな強気な言葉を使うなんて……滑稽だと思わないかしら。笑わせたいの?』」
「ビビ……ビビっ。助けてやる、私が……お前を……お前を、死なせるもんか……っ」
「『そんなに女々しく泣いていると、体にムダな力が入り過ぎてしまうわよ。『カール・メアー』で叩き込まれた武術の教えさえも、忘れてしまったのかしらね』」
「う、ぐうう、あああっ!?」
「『背教者の脳は、どんな色なのか見てあげましょうか。私は、芸術用の解剖講座も見たのよ。ヒトの中身は、とても美しいの。丁寧に解剖しながら、探したの。歌の起源を。声の作られる場所を。くわしいのだけれど、もっと勉強するのもいいかもね。背教者の脳で』」
「ぐ、ぐ、ああああああ……ッ!?」
「『貴方は、これでも尼僧だから。泣いて乞うなら、許してあげるわ。どうするの?戻って来るのなら、慈悲深く抱きしめてあげるわよ?』」
「も、もどらない……こ、殺す。奪う。助けるんだあ……ッ」
「『フフフ。どこまでも、背教者なのね。これでは、救えないわ。罰してあげないと、いけないわねえ』」
「わ、私は……どうだっていいんだ。ビビを、ビビを……ッ」
「『貴方もビビアナさんの生贄になりたいのね。じゃあ。こういう罰を、与えてあげましょう』」
―――リュドミナが、薬瓶を床石に叩きつけてしまった。
それが何を意味しているのかを、フリジアは気づく。
叫びながらそれに手を伸ばす、当たり前だよ。
だって、ビビアナを助けられる薬が目の前で床に飛び散ったんだから……。
「『ムダよ。床に飛び散った薬の液なんて、どんなにかき集めたところで足りないわ。どうにもならないの。指からこぼれ落ちていくのが分かるでしょう。それは、ビビアナさんを助けられたかもしれない可能性。ほうら、空気に融けて、地面に吸われていく』」
「いやだ……やだっ」
「『嫌がったところで、どうにもならない。これは、運命なの。ビビアナさんは、罪深い『狭間』として、このまま死ぬのよ。生まれて来た罪を償ってね!』」
「そんなの、嫌だよお……ッ」
―――泣きじゃくるフリジアを見下ろしながら、リュドミナは計略を固めた。
実際のところ、リュドミナも追い詰められている。
体力も魔力も残り少ない、フリジアを圧倒できたのは同門だからだ。
他の戦士たちの包囲を打ち破るためには、力が足りない……。
―――この邪悪な詠唱長は、絶望にむせび泣くフリジアから足をどけた。
必要以上に、痛めつけるつもりはない。
残酷な企みがあり、それを成し遂げるための協力者にしたてあげる必要がある。
聖なる母親みたいな微笑みになりながら、フリジアのそばにしゃがみ込んだ……。
「『フリジア・ノーベル。ビビアナさんを、そんなに助けたいのね。おぞましい過ちだけれど、貴方にとっては、彼女は本当に親友なのね』」
「そ、そうだ……ビビは、ビビは……っ」
「『貴方が、そこまで心の底から彼女を守りたいと言うのなら。私が助けてあげてもいいのよ』」
「な、なに……っ!?」
「『私だけが、ビビアナさんの解毒が可能。手持ちの解毒剤はもうないけれど。私が使っていた拠点にまで逃げられたら、渡してあげてもいいわ』」
「…………そ、そんなこと―――」
「『―――信じられないなら、ここで、ビビアナさんは死ぬだけね。どんなに腕がいい薬草医でも、知らない症状には対応不可能。『ブランガ』の毒じゃ、ないものね。どうするの?5秒以内に、答えてくださいね。4……3……2……』」
「……きょ、協力するからっ。ビビを……助けろっ!!」
―――悪魔との契約だ、それは百も承知している。
それでも助けてあげたいのだ、青ざめて倒れたままピクリとも動かない親友のことを。
リュドミナ・フェーレンは、満足した。
床から助け起こしてまでやるんだよ、フリジアのことをね……。
「『お帰りなさい。『カール・メアー』に』」
―――心の奥まで、その言葉は突き刺さった。
呪術ではないけれど、それ以上の呪いでもある。
どれだけの覚悟を使い、フリジアが過去と決別したのか。
それをリュドミナは理解しているからこそ、意識させたんだ……。
「『二重の背教者として、罪科を背負うのよ。私に協力しなさい。ビビアナさんは、私が抱えていてあげるから。邪魔する戦士を、貴方が倒して道を開くの。やれるでしょう?……やれなくちゃ、ビビアナさんはこのまま死んじゃうんだから』」
「……や、やる。やるから、急げ……」
「『聖なる任務のために、やらせて下さい、リュドミナさま。そう言ってみなさい』」
「せ、聖なる任務のためにっ。やらせて下さい、リュドミナさまっ!!」
「『はい。よく言えました。さあ、行きましょう。音が……教えてくれています。あちらからなら、脱出できる。邪魔者を、全員、殺しなさい』」
「う、うう……ッ」
「『その仮面をつけて、自分を騙して、強さを得なさい!!』」
「わ、わかったからっ!!」
―――仮面を使わせる、フリジアの仮面遣いとしての才能を評価しているからだ。
とてつもなく純粋であり、ビビアナを信じているからこそ強くなれる。
肉体の限界も精神の限界も、演技で騙して底上げするんだ。
『アルティミス』が、戻る……。
「『さあ、始めましょう。脱出よ』」
「…………任せろ。守るんだ。ビビを」
―――詠唱長の耳が、示す方角に三人は進む。
戦士たちがビビアナの誘拐に気づき、対処しようとするけれど。
『アルティミス』の剣が、容赦なく叩きのめした。
強かったよ、今の『アルティミス』は『彼女』を圧倒したときよりも……。
―――泣きながら、心の奥で謝りながらも剣を振るった。
返り血を浴びても、耐えるんだ。
『カール・メアー』も、『ルファード軍』も裏切って。
自分が罪科に呑まれながらでも、ビビアナを助けたくて戦い抜く……。
―――リュドミナは、微笑みながら見守る。
その内心では、『アルティミス』の強さを警戒しながらもね。
『彼女』と同じか、それ以上に暗示を受け止められる器でもある。
それは才能があったからだ、フリジアにね……。
―――『使いつぶすべきだ』、リュドミナは考えた。
フリジアに体力も魔力も、残しておくことは危険だ。
これを完璧に制御する自信が、リュドミナにもない。
戦い方まで命じて、魔術も使わせる……。
―――戦士たちの悲鳴が上がり、裏切りを罵る怒りの言葉も放たれた。
泣きながらでも、戦える。
二重の裏切りの苦痛のなかで残ったのは、ビビアナへの友情だけだから。
悲しくて苦しい戦いの道を貫いて、その場へと到着する……。
―――詠唱長の優れた聴覚が、見定めた場所だ。
ちょっとした地下の広がりで、角が丸みを帯びている部屋。
その直上で、『ゴルメゾア』が地面を殴りつけた。
天井が破裂して、『ゴルメゾア』の腕が地下へと伸びる……。
―――その巨大な手のひらに、ビビアナを抱きしめた詠唱長が飛び乗った。
フリジアを見る、まだ体力が残っていたのは誤算である。
あちこち傷だらけに見えるが、それは返り血かもしれない。
判断はつかない、ここで置き去りにしたくはあったものの……。
「私も、ついて行くぞ。ビビを、助けてくれるまで、何処までもな。助けてくれないなら、お前を殺す」
―――フリジアが発したとは、到底考えられないほどの低い声だった。
気圧されたわけではない、たんに手負いの獣は危険だと判断した。
ビビアナは必要なんだ、メダルド・ジーに対しての取引に。
下手を打ちたくない悪魔のような詠唱長は、うなずいた……。
「『もちろん助けてあげますとも。さあ、行きましょう。私に抱き着きなさいな、フリジア・ノーベル』」




