第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その百六十二
―――素直になるものだよ、戦いという極限状態ではね。
フリジアは、本当にうらやましかったのさ。
どんなに穢されても、どんなに壊されても。
『彼女』は両親の愛を疑ってはいない、奪われたから不在となっただけだった……。
―――両親の愛を確かめる方法を、フリジアは持っていない。
『カール・メアー』に捨てられたのは、両親に愛があったからかもしれないが。
よそよりマシだと思われて、その選択をしたのかもしれないが。
確かめる方法なんてものは、どこにも無かった……。
「死ぬな!!お前は、どんなに不幸な目にあっても、愛されていたという自覚が、揺らがないほど親のことを信じていられるのなら!!死ぬまで、戦おうとなんてするんじゃない!!」
―――『カール・メアー』の目指すべき道が、何処を向いているかをボクは知らない。
それでも、フリジアは聖なる者へと続く道を歩き始めていると思う。
大きな慈悲の体現者となれるのならば、フリジアは尼僧として大成するのかもね。
本気の殺し合いを挑んで来た相手を許せる者は、世の中では本当に稀有なんだよ……。
「死ぬな。死のうと、するな。私は、お前を、救ってやりたいんだ」
「……救ってくれるのは、お前なんかじゃない……」
「それでも、助けたい。お前は……死ぬべき運命じゃない」
「運命を、語っていいのも……女神イースだけだ」
「目を、開け。多くを見ろ。その体の下に、うごめく『寄生虫』どもは、お前を幸せにはしない。そんな目に遭わせたヤツを、信じるな」
「……私が、望んだ。これが、女神イースへの貢献。私だけが……許されている。どんなに穢されても、どんなに壊されても、私だけが……その資格を、持っているんだよ。これほど汚れているから……私に……役目が、あるんだ」
「そんなことを、口にするな」
「こんな……『女』にも『男』にもなれない、みじめな……モノに……やさしくしてくれる方を、どうして疑える?」
―――本当のやさしさというものは、どういう形と質を持っているのか。
やさしさは、騙すための動力にだって使われるし。
やさしさのために、『カール・メアー』は狂った人種差別的な処刑を行う。
聖なる世界で孤独であった者に、手を差し伸べてくれたのは『悪』だった……。
「……これからは、お前を……おぞましい者だとは思わない。嫌わない。ビビが、お前にしているように、敬意を払う」
「……ビビアナ・ジーが、敬意……だと……」
「そうだ。ビビは、お前を『女』と呼んだ。それは、お前に敬意を払っている。お前が、なりたいのは、『女』なんだろう。お前を穢して壊した『男』なんて、大嫌いだろうからな」
「……そうだ、大嫌いだ……男なんて……大嫌いだ……」
「だから……リュドミナ・フェーレンが、好きなのか」
「…………そう、だ」
「……お前を、受け入れられたのは、偉大だと思う。私にも、他の『カール・メアー』の者たちにも、それはやれなかった。だけど、今からなら……私は、お前を受け入れる」
「…………なんで、そんな余裕をまとっている。お前ごときが……」
「お前が、リュドミナ・フェーレンとの出会いで、変えられたのならば……私も、ビビやミアと出会って、変えられたのだ。そういう出会いというものが、誰にでもあるのかもしれない。人生には、大きな可能性がある」
「……ビビアナ……そいつが、その『狭間』が……それほど、大切なのか?」
「もちろん。親友だ。私が、命を懸けてでも、必ず守る」
「……何もかもを、捨ててか」
―――うなずくフリジアに、迷いはない。
それが持つ強さを、『彼女』は理解する。
聖なる組織のなかで味わった、地獄のような孤独からも救ってくれる出会いもあるんだ。
運命がヒトを変えてくれることもある、出会いという外の力と融け合うことによって……。
―――勝てないかもしれない、そう『彼女』は思っていた。
自信を喪失している、実力で負けたからでもある。
それにフリジアの受け入れる態度にも、ビビアナが自分に捧げていた敬意にも。
惹かれ始めてしまっているからだ、二人からはリュドミナと同じ質を感じる……。
―――これもまた、運命だったのかもしれない。
両親に愛されて、その命懸けの祝福で生きる『狭間』との出会いが人生を変えた。
両親に捨てられた少女も、両親を奪われた『少年』も。
ここにいる三人の心には、共通して共感し合える何かがあった……。
―――不完全だからこそ、欠けてしまっているからこそ。
そういう部分で、重なり合えるような性質を心は持っているのかもね。
『彼女』は、もともとやさしくもある。
女神イースの慈悲を、心を込めた聖なる声で歌う者だから……。
―――『彼女』は、認めようとしていた。
自分の失敗を、受け入れようとしている。
だからこそ、『罠』は動き出すんだよ。
リュドミナ・フェーレンは言葉の達人であり、つまり心を操る達人だから……。
―――詠唱長リュドミナ・フェーレンの声が、響いた。
「もしも、負けてしまいそうなときは」。
「私の言葉を、思い出してね」。
「『聖なる価値が欲しければ、女神の道具になるしかないのよ』」。
「……『聖なる価値が、欲しければ……女神の、道具になるしかない……』」
―――ビビアナが気づいた、声が変わったから。
今までの『彼女』よりも、ずっと高い音域の声を使っている。
幼いころから歌っていた者ゆえの技巧もあるだろうし、去勢の結果でもあった。
だから『女』みたいな高音だって使えもするが、『これ』は『仮面』だ……。
―――フリジアが使っていた、『仮面』と同じような力。
それ以上に別人の声で、それ以上の変化だ。
『人買い』の残酷なまでの心理査定の技巧と知識が、リュドミナの罠を察知する。
絶望的なまでに追い詰めれば、ヒトは『別の人格』だって心に生み出した……。
―――これも、『仮面』だよ。
密かな孤独を抱えたフリジアに、その才能があるように。
大きな孤独を背負わされた『彼女』にも、仮面遣いの才能があった。
詠唱の長は言葉の達人であり、芸術の熟達者でもある……。
「……その声、え……?なんで、リュドミナ・フェーレンと……『同じ声』!?」
「『聖なる価値が、欲しければ、女神の道具になるしかない』」
「やめなさい!!それは、アンタを洗脳するための言葉よ!!それ以上、そいつの声を使うな!!『乗っ取られる』わよ!!」
「の、乗っ取られる!?」
―――「心の空白に、作るんですよ。女神イースのための『耳』を」。
「歌が得意な貴方なら、その才能があります。心の『耳』を作るんです」。
「女神イースからの贈り物ですからね、あの歌声と『耳』は」。
「ほうら。レナス。もう貴方は、独りぼっちじゃありませんよ。くじけそうなときは、ちゃんと、『私の声が、貴方に代わって、『入って』あげますから』ね」……。
―――『寄生虫』たちが、うごめいた。
魔力を操るのは、精神力だからね。
精神の質が大きく変われば、魔力の流れだって変わるんだ。
魔力を喰らう『寄生虫』たちは、その変質に気づき反応した……。
「ど、どうした、おい、レナス!?」
「……や、やばいかも。この『女』……さっきの、アンタと同じで、別人に……」
「え、ええと!?こいつも、『アルティミス』に!?」
「違う。リュドミナ・フェーレンは、自分を、こいつに植え付けている」
―――『彼女』は、笑った。
今までのような烈火の怒りと、自分への失望を穴埋めしようとする必死さではなく。
静まり返った水みたいに、やさしく吸い込むような微笑みだ。
音楽の才ある『彼女』には、心から聞こえた言葉が『仮面』の代わり……。
「『さあ、始めましょう。聖なる任務を』」
―――心に巣食うことを許し、それどころか求めていた大好きな存在。
リュドミナ・フェーレンが植え付けた、もう一つの『人格/仮面』が。
かわいそうな『彼女』を、乗っ取ってしまっていた。
今の『彼女』は、『リュドミナの仮面』は……。
「び、ビビ、避けろ!!お前を、狙っている!!」
―――笑顔で、『リュドミナの仮面』は毒針を使った。
『カール・メアー』武術で用いられる、暗器の一つ。
それゆえに、フリジアは素早く反応できた。
それゆえに、ビビアナを庇ったフリジアは死に至る毒を受けたんだ……。




