第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その百三十七
―――迷宮都市に潜む『混沌』が、姿を現しつつあった。
絡みついた歴史の因果は、まるで呪いのようにこの土地を襲う。
ひっそりと隠れながら、多くの勢力が願望成就の機会を探っていたんだ。
リヒトホーフェンが去ったあとだからこそ、解き放たれてしまった力もある……。
―――『カール・メアー』にクリア・カニンガム、『帝国軍のスパイ』に傭兵ども。
混成部隊ゆえの複雑さを持つ『ルファード軍』に、『オルテガ』市民の策略。
リヒトホーフェンという強大な力がいれば、抑止が効いてもいた。
敵を倒したせいで、新たな敵が動き出す余地を与えてしまうのは皮肉な結果だ……。
―――この『混沌』は、ボクたちにとって大きな脅威となる。
メダルド・ジーはせき込みながら、伝書鳩の用意を始めた。
『ルファード』にいる戦士たちに、ビビアナを守らせるためにね。
手紙はすぐに書き上げられて、伝書鳩が飛ばされる……。
「……本当なら、猟兵に依頼したいぐらいだ」
「そこまで、危険だと考えているのかい?」
「……分からん。ただ、不安なんだ。心臓も、痛む……悪い予感がする。こういうときは、いつも、当たりやがるんだよ。兄貴が死んだっていう報せを聞いた日も、こうだった……」
「商人の勘、いや虫の知らせか……」
「……『虫』ね。まったくもって、嫌な感覚だぞ」
「とにかく……家族のために、すべきコトはした。落ち着くといいよ」
「……ああ。『ルファード軍』の結束のためにも……オレは、いない方がいい。いない方がいいなら……いっそ、ビビのそばに……」
「それも、いいかもしれない。指揮官は、ストラウス卿がいる。君は……『オルテガ』にいたところで、戦士として活躍することもないだろう。体調が、実に悪そうだ」
「……そう、だな。戦いの役には、立たない……ああ、くそ。どうして、ここまで出しゃばって来てしまったかな……ッ」
「君は、必死だったんだろう」
「……そう、だな。必死なだけだ……だが、罪深くて、滑稽だ。ビビのために、ジーの一族の罪を、贖おうとしていたのか……う、うう」
「ほ、ほら!!座りたまえ……フラフラしているぞ」
―――心配のあまり、一気に老け込んだかのようなメダルド・ジー。
トーリー・タイズンは彼を蹴落とし追い詰めるつもりだったが、この疲弊は想定外だ。
小市民的な善良さも持っているタイズンは、目の前の男が気の毒でならない。
だが、それでも『オルテガ』の自治のためにはすべきことがある……。
「『プレイレス』では、ストラウス卿が全軍の指揮を執ったのだよね」
「……そうらしい。今回も、事実上、同じだが……そう、か。そうだな。ストラウス卿に、全権を委任すれば、早いかもしれん」
「私も、それには賛成だ。ストラウス卿は人間族だからね、亜人種よりも……いや、その言い方は、良くないか」
「……単純に、適任だ。ジーの一族は、表舞台から去る……『オルテガ』の政治に、介入したいわけじゃないんだ」
―――冷静さを欠いている状況でも、メダルド・ジーの洞察は鋭い。
トーリー・タイズンの心の内を、すっかりと読み解いてもいる。
『王無き土地』の都市国家に生きる商人同士、互いの政治思想も心配も見抜けるんだ。
メダルドはもう一枚、手紙を書き始める……。
「……仮病のつもりじゃないが、体調悪化は言い訳にはなる。このまま、引っ込むさ。『ルファード』に早馬で戻るのもいい……どうせ、『ルファード』にも敵が近づいている……」
「その手紙は、ストラウス卿に宛ててのものだね」
「……ストラウス卿に、届けてくれるか?」
「い、いや、それは……ッ。大きな決断だ。君自身で、届ける方がいいだろう。私が預かるにしては、重みが過ぎるよ。それに……」
「……それに、何だ?」
「ストラウス卿に相談するのも、いいんじゃないか。『カール・メアー』対策に……」
「……あ、ああ。そうだ。そうだな……」
「君は、どうあれこの一連の戦いの功労者なんだ。ストラウス卿とも、個人的に親しそうでもある。君からの願いなら、きっと……」
「……わがままに、ならないだろうか」
「だとしても、家族のためだろう。ビビアナさんのためなら、正しい選択だよ」
「……ああ。そう、だな。ビビのために、何だってしてやるべきだ。『オルテガ』を、守る力を、減らしたとしても……許してくれるか?」
「そ、それは、少しぐらいなら、大丈夫だろう……ッ」
―――小心者らしく、トーリー・タイズンは不安になった。
少年の指摘が、脳裏に浮かびもする。
敵が迫っているのに、味方同士で揉めるなんてリスクが大きい。
メダルドを責めた結果、『オルテガ』の防衛力は損なわれるのも不本意だが……。
―――この商人も、父親の一人だ。
『娘』のために何でもしようとする父親の気持ちは、よく分かる。
コクコクと頭をうなずかせて、メダルドに気休めを与えた。
ふらつきながら立ち上がる彼を、支えてもやる……。
「……ありがとう。一気に、ジジイになってしまった気分だ」
「このまま、ストラウス卿のところに向かおう……そ、そうだ。あの隊長さんと、踊り子さんにも護衛についてもらうと安心だね」
「……ああ。オレは、ともかく。君を死なせたくはない」
「いや。君も、生きるんだ。死ねば、ビビアナさんを泣かせるぞ」
「……やさしい子だからな。オレのために、『狭間』でありながらジーの一族であろうと、必死になってがんばってくれた」
「そうか。素晴らしい子だよ」
「……どんな苦労だったか。自分を、否定する生き方だ。母親と同じエルフたちを、奴隷として売り払う。辛くなかったハズがない。あの子の、苦しみが……理解できるか?」
「想像しようとしても、難しいね。相当の苦痛としか、分からないよ……」
「……幸せに、なってもらいたい。その権利は、ある。あるんだ……あるよな?『人買い』ジーの一族でも、『狭間』でも……ないとは、誰にも言わせない」
「あ、ああ。あると、思うよ……」
「……世の中は、くそったれだ。あの子は、悪くない。間違ってもいない。自分を殺してまで、一族の一員であろうとしただけだ。それしか、あの子に、道なんてなかった……だが、それでも、あの子が幸せになって欲しくない者が、そこら中にいやがる……」




