第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その百三十
―――『巨狼』となったジャンの体は大きいからね、隠れるにはもってこいさ。
この『攻撃』の主催者であるレイチェルは、しっかりとその影に身を入れる。
ジャンのそれだけではなく、女暗殺者の動きも予測済みだった。
『巨狼』の攻めをしのぐために選べる道なんて、そう多くはないものだから……。
『こ、の……ッッッ!!!』
―――女暗殺者は、大いに腹を立てた。
レイチェルにまた負けた、暗殺の達人としてはあまりにもみじめな失態である。
負け慣れていないからこそ、この連敗はこたえたのさ。
ああ、もちろんレイチェルは女暗殺者の劣等感を狙ってもいるよ……。
―――芸術家は心を扱う達人であり、レイチェルも誇り高いから。
あの少年を庇うためとはいえ、女暗殺者の策にハマりかけた。
ジャンに助けてもらわなければ、大ケガをしていかもしれない。
レイチェルには珍しい負けであり、彼女もまた負けには不慣れだ……。
―――女暗殺者の優れた感覚が、鋭い足音を聞いた。
レイチェルは床を蹴って跳んだあと、この部屋の壁を走っている。
視線では見つけられなかったとしても、対処はやれた。
無数に増やした腕で、想像のなかの攻めを迎撃する……。
ガキイイイイイイイイイイイイイイイインッッッ!!!
―――甲高い音だった、鋼の歌だよ。
『諸刃の戦輪』の片割れを、『寄生虫』混じりの伸ばした腕が殴りつけていた。
レイチェルが飛んで来ると、女暗殺者は読んでいたけれど。
現実はそうじゃなかった、レイチェルは女暗殺者の視界を横切って飛び抜ける……。
『わ、た、しを……無視する……ッッッ!!!』
―――『諸刃の戦輪』の片割れに、腕の一つが大きく裂かれていくなかで。
女暗殺者は反対側の壁に蹴りを入れる『人魚』を見ながら、歯ぎしりする。
レイチェルの動きが見事だから、想像してしまうんだ。
防ぐのは難しい、その判断は正しいものだよ……。
―――レイチェルの筋力の強靭さを、女暗殺者は的確に見抜いていた。
防御のために身を固めていれば、そのまま破壊されていただろう。
だから防ぐのではなくて、無様なまでの必死さで逃げ出した。
蜘蛛のように脚を広げて張り付いていた天井を、彼女も蹴って床へと向かう……。
―――空中を裂くように飛翔したレイチェルの斬撃を、どうにか回避しながらね。
テーブルを潰しながら着地した暗殺者は、『寄生虫』混じりの腕を振る。
血に飢えて狂った猟犬のように、追いかけて来ると信じていたからだ。
空中で回転した『人魚』は、天井を踏みつけ加速していた……。
―――想像していた通りの行いだったけれど、速さがあまりに違う。
女暗殺者が振るったはずの腕は、レイチェルの斬撃に断ち切られた。
美しい銀色の髪が踊り、アメジスト色の瞳が妖しく煌めく。
想像していたよりも、ずっと近くに『人魚』はいたよ……。
―――目と鼻の先に、サーカス・アーティストの微笑がある。
女暗殺者は理解して、まだ斬り落とされていない腕を頼った。
拳の乱打を撒きながら、エビのように背後へと走る。
拳はかわされた直後に、振り抜かれた戦輪により切断された……。
『ば、バケモノめ……ッ!!?』
「いいえ。猟兵ですわ。『人魚』でも、あります」
『『人魚』……ッ。まだ、絶滅していなかったと……ッ』
「滅びはしません。私たちは、この通り……とても強いので!!」
―――全ての腕が断たれて、落ちて。
ほとんど無防備になった女暗殺者の顔に、レイチェルの蹴りが命中する。
美しさと冷静さを保っていた表情も、『人魚』の力には敵わない。
踏み抜かれた顔面の骨が、即座に打ち壊されていたんだ……。
『が、はあああ……ッ』
「すぐ、楽にしてあげます」
『さ、せる……かッ』
「抗いたければ、そうするといい」
―――体内の『寄生虫』に『命じて』、女暗殺者は新たな腕を生やした。
レイチェルを狙って打撃を放ち、踊る銀髪が残した影だけに当たる。
絶対的な速度の差だからね、どれだけ腕を再生したところで無駄なこと。
猟兵がどれだけ『バケモノ』なのかを、女暗殺者は思い知るだけさ……。
―――美しい動きだった、武術とは異なる華麗さに満ちた動き。
芸術が武術に戦いで劣るとは限らない、幻惑の力では数倍は上だからね。
見惚れる美しさに、想像力を強いる変幻自在の跳躍。
これだけの衝突の最中に、宙返りまでする余裕がある……。
『ふざけ、やがって……ッ』
「これが私の戦い方なだけ。私の生き様なだけ。美しい私を、見なさいな」
『私に……命令を、するんじゃない!!心まで、操ろうとするな!!』
「美しさには、魅入られるものですよ」
―――宙返りしながら、レイチェルの手は『諸刃の戦輪』の片割れを取り戻す。
主に向けて高速で戻っていたそれを、美しい指たちはいともたやすく捕まえた。
圧倒的であり絶対的な、実力の差を見せつけるような華麗さだよ。
女暗殺者は、もう嫉妬も出来なかった……。
―――仕留めにかかったレイチェルのステップは、これまで以上の鋭い速さがある。
もしも銀色の稲妻があったとすれば、この攻めと似ていただろう。
音さえ置き去りにするような速度が、白銀の煌めきを軌道に残す。
冥府への恐怖さえも追いつかない、やさしい死が女暗殺者を浄化した……。




