第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その百二十九
―――サーカス・アーティストだからこその、誘導術というものがある。
『観客』の心も視線も、思い通りに操れたなら?
より楽しくサーカスの時間を過ごせるから、アーティストたちは研鑽を重ねている。
声の使い方も伸ばした背筋と腕の真っ直ぐさも、まるで劇場のそれだった……。
―――レイチェルの戦い方は、『見られる』ものだ。
敵を誘うだけじゃなく、守るべき味方にもね。
芸術の魔力は今も有効だよ、戦う力のない三人は走り出せた。
戦場での極限状態ではね、決断なんて要らないものだよ……。
―――決断とは迷いから選ぶ行いだけれど、迷っていたら戦場では死んでしまう。
多くの者にとって必要なのは命令で、レイチェルの声がその役目を果たした。
全力で駆け抜けていけるんだ、今の彼らには思考なんてない。
強い言葉と美しい姿勢から与えられた命令に、ひたすら素直だっただけ……。
―――天井に張り付いた女暗殺者からも、見られていた。
レイチェルが『命令』していたのは、敵に対してもなんだよ。
『殺す』と告げることでね、自分に対して意識を呼び込んだ。
この訓練が行き届いた敵の耳にさえ、レイチェルの声は届く……。
―――警戒と怒りが作用して、逃げ出した三人を攻められなかった。
真っ直ぐに見つめられていたからだよ、戦輪を今この瞬間にも投げつけられそうだ。
暗殺者にも、いくつかタイプがあるんだけれど。
この女暗殺者は、感情の観察を好むタイプだったからね……。
―――レイチェルのように、感情を技巧としてぶつけて来る芸術家とは噛み合う。
芸術家と暗殺者にある共通点を逆手に取って、レイチェルは綱引きをしていた。
操っているんだよ、半分は計算であり半分は本能的にね。
女暗殺者はバケモノに化けても、心はまだ人そのものらしい……。
―――レイチェルの洞察力は、そこから違和感を見つけ出してもいる。
ソルジェと同じか、もしかしたらそれ以上の洞察力だよ。
『寄生虫』どもに支配された者たちの人格は、模造だった。
『面影』と呼ぶ程度の、残骸であり残滓に過ぎないものだ……。
「貴方は、『寄生虫』どもに……馴染んでいますわね」
『どういう意味で、口にしているのかしら』
「分かっているでしょうに。貴方は、そんなおぞましい虫食いだらけの姿となっても、自分を保てている。リヒトホーフェンたちとは、異なる点です」
『……何でもかんでも、知ったかぶりをするのかしらね』
「真実でしょう?だから、嘘をついた」
『嘘なんて、ついていないけど?』
「リヒトホーフェンたちから、授けられた力なのでしょうか。明確な違いが、私には感じられます」
『感覚なんてものは、頼りにならないものだわ』
「そうでしょうか?貴方の感覚はともかく、私の感覚はそう外れるようなチープなものではないのです」
『知った風な口を……ムカつくわ。この仕事を始めてから、こんな嫌な気持ちを、与えられた日はない……』
「すぐに、終わらせてあげますよ。『私が』」
『……耳障りだわ、本当に――――――』
―――女暗殺者は、またレイチェルとの綱引きに負けた。
レイチェルは『囮』であり『挑発』であり『陽動』であり、『支配者』だ。
命令をしていたよ、『私が』というのは嘘じゃない。
より正確には『私の命令で動いたジャンが終わらせてあげる』、それが正しいけどね……。
『――――『狼』っ!!?こ、のおおおッッッ!!!』
―――ボクたち猟兵は、以心伝心だ。
同じ哲学で動いているから、無言で連携も成せる。
それにね、今はレイチェルが小さく合図していた。
踵で床をコンと鳴らして、ジャンに『命令』してのさ……。
『一気に仕留め、ます……がるるうううううううううううううううッッッ!!!』
『ヒトの姿まで、捨てたんだ!!そう、たやすく負けるわけにはいかない!!』
「……勝てませんよ、ジャンにはね」
『うる、さいッッッ!!!』
―――正面からだって、奇襲がやれた。
天井に恐ろしい蜘蛛のように張り付いた女暗殺者にも、それは成せる。
レイチェルに視線も意識も取られ過ぎていたから、出遅れてしまったんだ。
跳躍した『巨狼』の牙が、女暗殺者を噛み砕くために閉じていく……。
―――牙の歯列の閉鎖が生み出す破壊、それに対して女暗殺者は増えた腕を使った。
『寄生虫』で編まれた、巨大で長い腕どもだ。
三つ四つ五つ六つと、それらが次々に彼女の胴体を突き破りながら増設される。
ジャンの牙の一本一本を受け止めて、破壊から逃れようと必死になった……。
「その程度の抵抗では、無意味でしょうに」
―――レイチェルは『挑発』する、女暗殺者の耳には突き刺さるような鋭さで届いた。
腹が立つ、腹が立つ。
感情の観察を好む彼女は、どこまでもレイチェルと相性が悪い。
小さな囁きまでもが、癇に障ってしょうがない……。
『わざわざ、自分を噛ませてまで『見た』んだ!!強くても、速くても、単調な攻めなら、負けるはずがないでしょう!!』
『が、るうううう!!?』
『わざわざ、天井に張り付いたのも……このためだ!!』
「……あら、意外とやるじゃありませんか」
―――『巨狼』の体躯を、虫けらと融け合った彼女は投げ捨てる。
天井を走りながら、ジャンの鋭すぎて速過ぎる素直な突撃をいなして。
見事なものだった、見事なものだっただけに。
レイチェル・ミルラには、やはり読まれてしまっていたのさ……。




