第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その百二十八
―――無駄に長い苦しみを与えるのは、戦士として正しい判断とは言えない。
やさしさであり、職業倫理でもあった。
『巨狼』が動き、レイチェルは踏み出す。
ジャンを守りたいのさ、この女暗殺者に牙を使わせたくない……。
「乗せられないでください。ジャン。この女は、貴方を傷つけたがっているのです」
『……大丈夫です。ボクは、傷ついたりはしません。だから、下がってください。この女性は、自爆だって……するでしょうから』
「……私を、気遣いますか」
『団長の、『騎士』になるんです。だから、女性には、やさしくならないと』
―――牙を剥いて、赤茶色の毛並みを逆立たせる。
この場にいる戦士ではない市民の三人たちは、人生で最も恐ろしい獣を目撃した。
ジャンを猟兵だとは理性が認識していたけれど、恐怖は本能的だから。
レイチェルは見守ることを決め、その場から一歩だけ引き下がる……。
―――『巨狼』が、歌声を放った。
加速して女暗殺者に襲い掛かる、苦しみを終わらせてやるために。
慈悲深い牙にするため、自爆の攻撃を受ける覚悟もした。
ジャンの毛並みには、さっきの数倍の威力が無ければ通じない……。
「ああ、大きな口だわ。本当に―――」
―――牙の歯列が命中し、女暗殺者の身体の奥深くへと入った。
女暗殺者は悦楽の顔をして、その鍛錬に絞られた姿がガクンと踊った。
圧倒的な破壊に噛み潰されながら、『巨狼』の鼻先を抱き締める。
おぞましい情熱が込められた抱擁であり、愛情めいたものさえあった……。
「さあ。知りなさい……血と、肉の味を……しっかりと、味わえ……」
―――今夜のジャンの研ぎ澄まされた感覚が、肉を喰らう感触をより伝える。
悪夢めいた記憶がよぎったのは、一瞬だけだ。
『巨狼』が踊り、その巨体が高く跳ね上がった。
即死の強打を与えてやるためで、戦士として正しい行いだ……。
―――そう、戦士として正しすぎたからこそ。
ジャンは、この駆け引きに負けてしまう。
爆発を浴びることは覚悟していたけれど、失念していたリスクがあった。
牙の列の奥で、『何も味がしない部位』に出会うまで気づけなかったんだ……。
―――ジャンは必死になり過ぎていたし、集中は視野狭窄を招く。
『それら』が、鳴いた。
ガギガチギギギギイイイイイイイ、目新しさもない再会だったよ。
『寄生虫』を大量に、その身へ宿していたんだ……。
『こ、これ……は……ッ』
「あは、あははは。肉への、冒涜だけど……ッ。趣味よりも、やっぱり……私たちは、仕事を優先しなくちゃね……ッ」
「ジャン!!背骨を、嚙み砕いてしまいなさい!!」
―――『寄生虫』との戦いは、慣れている。
それらは背骨の周りに巣食って、宿主を操る。
狙うべきは、そこだった。
それで正しいからこそ、女暗殺者は対策を考えてもいる……。
―――ジャンの口に見入っていたのは、趣味でもあり仕事でもあったのさ。
誘導して、噛ませた。
自分がこの『攻撃』で、ジャンに打撃を与えるために。
計算していたからこそ、破滅的なダメージにさえ耐えて策を放つ……。
―――噛み潰そうとしたジャンの口が、爆発の力でこじ開けられる。
想定していた以上の力であり、ジャンを傷つけるまでは足りなかったけれど。
口を開くまではやれた、十分に想定以上の力だよ。
使われた魔力の量も少なく、火薬だって少量なのにね……。
「……反射、させた……」
―――レイチェルの洞察は、このときも正しい。
爆破の力は、寄せて集められたら数倍にも高められる。
ミアが『風』で爆破を強めるのと、似たような技巧だよ。
女暗殺者は、それを自分の肉体の奥で行っていた……。
―――クレイジーな行いであり、それゆえに読まれなかった。
『寄生虫』の硬い外骨格に対して、体内の火薬の爆発を反射させる。
それを行いながら、『寄生虫』と自分の筋力を合わせた。
ありえないレベルの即興だけど、この天才はやり遂げて『巨狼』の筋力に勝った……。
―――一瞬だけの敗北に過ぎないが、一瞬でもあれば手練れの暗殺者には十分だ。
ジャンの口からすり抜けながら、彼女は天井に向けて飛ぶ。
そこに張り付いたときには、もうヒトの形から逸脱していた。
『寄生虫』が彼女を内側から貪りながら躍り出て、蟲と融け合った怪物になる……。
『あはははははは!!あははははははッッッ!!!楽しいわね、これ!!あまり、やりたくなかったけれど……やってみると、気持ちいいじゃない!!』
『き、『寄生虫』を飼っていた。あ、あいつらみたいに……リヒトホーフェンたちみたいに、使いこなしている……っ!?』
『そうよ。その通り!!私たちは、あいつらと協力関係にあったんだもんねえ。これぐらいは、してもらっているのよ!!』
『……ま、まだ、終わりじゃなかったということですね。『ギルガレア』……貴方は、多くの災いを、まだまだ残している……ッ。『ゼルアガ』の、災いは、や、やっぱり、カンタンに消えてはくれないんだ……ッ』
「ひ、ひえええええええええええええ!!?な、なにあれ!!!?」
「ひ、ヒトが魔物に化けたか……ッ」
「なんて、夜なんだい……ま、また……さっきみたいに、町中に、バケモノが……出て来るっていうのかいっ!?」
「下がりなさい!!この部屋から全力で避難を!!今ならば、逃げられます!!こいつは、猟兵が仕留める!!」




