第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その百十九
―――ジャンとレイチェルの想像力は、隠された敵の気配を探っていく。
『蟲の教団』が、この迷宮都市の何処に隠れた信仰と呪術の根を張っていたのか。
二人の知的な追跡は、真実の回廊を駆け抜ける。
ガラス職人たちのなかには、どうやら『蟲の教団』の信徒もいるようだ……。
「どれだけの数がいるのか、それも問題です」
『は、花の……においもするんです。こ、これも炭のにおいと、同じぐらい新鮮で……き、きっと、職人たちが……お供えした……』
「……追跡可能ですね。貴方の鼻なら」
『も、もちろん。やれます……や、やれますが……今は……っ』
「この屋敷から、離れたくないのですね」
『え、ええ。た、隊長として、戦士たちの命を、あ、預かっている身ですから』
「正しい判断です。私が、先走りかけていました。トーリー・タイズンも、『調整役』について探っている。職人たちを追いかけるよりも、彼が見つけ出す情報の方が、有益であるかもしれません」
『そ、そう、ですね。何か分かったら、つ、伝えてくれるようにお願いはしているのですが…………』
―――焦りたくなる気持ちを抑えながら、ジャンは集中力を操った。
報告が無いのであれば、トーリー・タイズンはまだ調査中なのかもしれない。
それなら自分にやれる最善は、嗅覚を使い続けることだ。
猟兵として成長し続けている若者は、石像たちに鼻を再び近づける……。
『……つ、続けます。な、何かを、もっと見つけられるかもしれませんからっ』
「ジャン……いい傾向ですね、褒めたくなります」
『団長の……き、騎士になるんです。ゆ、有能な男に、ならなくちゃいけません。だから、そ、その、アドバイスも……お願いします』
「今の貴方は、集中力が研ぎ澄まされている。長い戦いでの疲弊もあって、良い意味で力が抜けてもいます。呼吸を、ゆっくりとしなさい。自分の体から、緊張を抜き去るんです。集中力以外を、排除しなさい」
―――レイチェルの教えは、武術とは異なる。
芸術だからね、動くための教えではない。
ただひたすらに、感じ取るための技巧なんだ。
戦闘向きというよりも、間違いなく捜査向きでもある……。
―――ジャンの集中力の質が代わり、戦いに備えるような緊張が抜けた。
かなり高度な技巧で、普段のジャンなら使えなかったかもしれない。
そんな領域にも、今ならば届く。
レイチェルとの交流が、それを可能にしているんだ……。
―――芸術というものの本質の一つは、つなぐことだからね。
人と人が交流し合うことで、その力を強められる。
感覚というものは固有のものだけど、その使い方を示すのも芸術の仕事だ。
ジャンの超人的な能力が、レイチェルの細かな指導にあまりにも素直に応じていく……。
『……さっきよりも、広く……か、嗅げています……っ』
「感覚の輪、それを認識しなさい。嗅覚の届く、最果ての場所。感覚の最果て。そこが感覚の輪です」
『……はい。な、何となく、分かります……っ』
「それを、広げていきましょう。やわらかな集中力が、必要です。あらゆる情報を、抱きしめて受け入れるように……そう、力を抜いて……目を閉じて……試みてください」
―――『狼男』の鼻が、クンクンと鳴りながら空気を吸い込んだ。
それは普段よりもずっと、動物みたいな動きだったんだよ。
『狼』の体、その構造が持つ原始的な最良をジャンは選ぶ。
普段は『動物みたくなり過ぎること』に、本能的なブレーキをかけているのにね……。
「そうです。素直に……自分の持っている才能を、使ってあげるんです。そうすれば、感覚の輪を……広く、深く、使えますからね。ジャン……自分の本質や、本能を……許してあげなさい」
『……………うん』
―――罪深い血の味が、ジャンの口に広がる。
鼻にも広がっていく、かつての『家』を思い出した。
アリアンロッドに覚醒を強いられ、貪り食ってしまった孤児の子供たち。
その味とにおいが、記憶の底から蘇る……。
―――悲鳴だって聞こえたんだよ、「怖い怖い痛い痛いやめてやめて」。
「死にたくないよ、死にたくない」。
「どっかいけ、バケモノ」。
「お前なんて、拾うんじゃなかった!!」。
―――忌まわしい赤い記憶が、逃げられない罪科となって心に浮上する。
子供たちを喰い殺すなんて、あまりにも邪悪な行いだから。
たとえアリアンロッドのせいだったとしても、ジャンの殺りくは事実だ。
味が臭いが叫び食感が、亡霊の群れとなってジャンに絡みつく……。
―――今このときのジャンは、それらの全てを受け入れられた。
罪悪感の反省で、自分を拒絶してしまうこともない。
『狼』になって、かつて自分がしてしまった殺りくの記憶から逃げない。
抱きしめるように、血生臭く罪深い感覚だって受け入れる……。
『……ボクは、強くならなくちゃならないんだ……だから、『お母さん』……力を下さい』
―――芸術は心に力を与え、少なからずの啓蒙も与える。
罪や邪悪さや、幼稚さや野蛮さ。
罰すべき獣性さえも、悪神アリアンロッドを頼ることさえも。
今のジャンは、一切の拒絶を覚えないまま実行できるんだ……。
―――自分の恐ろしい本質を、罪深いとはまったくもって思わなかったんだよ。
普段ならば絶対に不可能なことだし、レイチェルの助けがなければやれなかった。
ジャンの『呪い追い』は、この瞬間にまた一つ進化する。
感覚の輪が、地下空間いっぱいどころか『それ以上』に広がっていくのさ……。




