第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その百十
―――この三人は戦場の英雄ではなく、ただの市民だったから。
破壊的な作戦よりも、融和的な選択を好んでいた。
正しい行いだよ、帝国軍はソルジェよりもずっと残酷だからね。
勝利が続かなければ、どれだけの亜人種が死ぬことになるか……。
―――強気なブッチは、歯がゆそうに顔をしかめる。
商いのコツの一つは、耐え忍びながら続けることだ。
だから怒りっぽくもある彼にも、妥協を選べる力が備わっている。
最良の形にならなかったとしても、現実を受け止められるのさ……。
「……『人買い』ジーを、徹底的に……追い詰められはしないか」
「悔しがらないでよ。そりゃあ、嫌いかもしれないけれど。でも……でも…………」
「……どうした、青い顔をして?」
「大丈夫かい、少年……?」
―――夏の夜の蒸し熱い空気と一緒に、少年の細腕が自分を抱き締める。
震えていた、出遭ってしまったからね。
もちろん、想像力にだよ。
恐怖の根源は、少なからずそこにある……。
―――極限状態は心を鈍感にさせるものだけど、少年は頭を使い過ぎていた。
やわらかな想像力は、大人たちよりも正気に戻りやすい。
彼の想像力は、途切れた言葉の先を脳裏に描いていた。
『でも、殺されるよりマシだもん』……。
「……し……死にたくない。た、たくさん……死んでたもん……っ。あ、あんな風に……道ばたに転がるなんて……い、嫌だよ……っ」
「今夜の戦で、死体を見すぎてしまったんだね……かわいそうに。怯える必要はない。ここは、安全だよ。ストラウス卿の部下たちが守ってくれているんだから」
「そうだとも。大丈夫だ。ここには帝国兵はいない」
「……う……うん。うん……でも……カニンガムは、来るかも……ッ」
―――死の想像力に囚われた少年は、カニンガムへの恐怖も思い出す。
商人たちも、目を見開いた顔を互いに晒した。
ブッチもトーリー・タイズンも、カニンガムへの恐怖が再燃してしまう。
二人は自分自身よりも、この瞬間そばにいない家族のことを想った……。
「大丈夫だ。ここは、守られているし……それに、家族のもとには戦士たちを、派遣してもらったんだから……大丈夫だよな?」
「あ、ああ。もちろんだとも。あ、安心したまえ」
「……タイズンさん、笑顔が引きつってるもん……」
「……い、色々と、不慣れな思考をしたからだよ。わ、私は政治屋では、ないんだ。商人なんだよ……戦闘経験も、若いころにしかない……」
―――トーリー・タイズンは、室内を見回した。
リヒトホーフェンが飾らせたフルプレートの鎧があり、武器もある。
槍を握り、長剣を下げていた。
商人は自信の足りないまばたきをしつつ、その鋼へと歩み寄る……。
「これを、持っておくとしようか……っ。ブッチ、君は……」
「ああ。槍を、借りておこう。あくまでも、用心のためだからな。そう怖がるもんじゃないぞ」
「う、うん。二人は、オレを守ってくれる?」
「……守るよ。昔取った杵柄というものがある。青年だったとき、戦いで敵を斬ったこともあるんだから」
―――少年は商人の言葉を素直に信じられず、疑ってしまう。
だがトーリー・タイズンにも、若く血気盛んな時期があったのは事実だ。
『オルテガ』の市民として徴兵をかけられ、ずっと東の国境線で小さな戦いを経験した。
混乱したまま剣を振り回し、偶然ながら敵の頭に命中したことがある……。
「……守るよ。守るけど……もしものときは、ブッチと一緒に逃げた方がいい」
「ブッチのおっちゃん、強いの?」
「肉屋だ。巨人族だからって、全員が戦闘奴隷出身なんてことはねえからな」
「何だよ、頼りにならないじゃん……オレも、いつでもナイフを投げつけられるようにしておこう」
―――三人は、それぞれ弱々しくも不慣れに武装した。
トーリー・タイズンは長剣を抱き締めるようにしたまま、テーブルへと着く。
不安げな視線でドアを確認したあとで、ちいさなため息を吐いた。
帝国兵やカニンガムが、あそこを蹴破りながら現れることはないはずだ……。
「どうにも、神経質になっているようだね。私……いや、私たちは。でも、安心すべきなんだ。カニンガムは……きっと……『オルテガ』には、もういない」
「……そう、だな。カニンガムが人間族の肉屋たちを『口封じ』した理由は……追われないためだ……わざわざ、『オルテガ』に残りはしない……今ごろは、きっと…………」
「……おっちゃん、見当がついてるの?」
「……まあ、そうだな。『ルファード軍』や、『自由同盟』の影響力が届きにくい方角へと、避難しているだろうよ……東か、あるいは……西」
「何だよ、それ。真逆じゃないか……」
「どっちにも、身を隠すには丁度良さそうなレストランがある。あいつの経営するレストランがな……手下を引き連れて、どっちかに逃げ込んでいるに違いない」
「どっちにいるだろうか?……ハッキリ分かれば、ストラウス卿に伝えて、クリア・カニンガムを捕らえてもらえるかもしれない」
「…………地図は、あるか?」
「あ、ああ。あそこに……壁に、掛かっているから。拝借するとしよう」
「帝国製の地図かよ。気に食わねえが、まあ、他にないから使ってやるか」
「……ねえ。おっちゃん、好き嫌い言ってるときじゃないでしょ」
「職人の技が通ったモノが、いつだってベストなんだよ。だが、必要なら妥協はする」
―――三人は帝国軍の地図を広げ、そこに視線を集めた。
ブッチは家から持ち出した帳簿に目を通しながら、帳簿に備え付けてあった鉛筆を動かす。
大きな巨人族の手には、小さすぎるように見えるが慣れた手つきだ。
市場で商品の値段や質をメモするときと同じ要領で、鉛筆は地図の上で踊る……。
「……日にちを、書いてるの?」
「その通りだ。ついでに、天気もな」
「それで、何が分かるの?」
「気温に応じて、運ぶべき食品は決まる。移動にかかる距離や時間と、戦いになるんだ。リヒトホーフェン主催の接待に使うのなら……いや、そうでなくても。カニンガムは、ヒトの命よりも大切に食材を扱う」
「ヒトの、命よりも……って」
「そういう職人なんだ。狂ってるし、とんでもない乱暴者だが……料理のためには、他人の命なんて気にしない。漁師に嵐の海へ船を出させたこともあるし、魔物が出た山道に、馬車を向かわせたことだってある……クズだが、食材の質には、誰よりもこだわる」
「……つまり。いつどの食材を、どれくらいの距離運んだか……おっちゃんには、見えてるんだ?」
「そうだ。『次の接待』の用意をしていた方のレストランに、逃げ込んでいるかもしれん。それを推測できれば……カニンガムを、逮捕できる」




