第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その百四
―――復讐を企むとき、男の顔はかがやくものだ。
一番早く名乗り出たい、ブッチはそれを望む。
トーリー・タイズンは、どうせ他の食材屋にも手紙を出しているだろうから。
商いは早さも大切で、他の連中を出し抜かねばならない……。
―――巨人族の大きな体を揺らして、ブッチは家に戻った。
暑苦しい復讐者から逃げるタイミングを得たと感じた少年は、立ち去ろうとしたものの。
少年の細い足が動き出すよりも先に、ブッチは帰還する。
その腕には分厚い帳簿が抱えられていて、牙を剥くような満面の笑みだ……。
「おい!オレを、トーリー・タイズンのところまで案内しやがれ!!」
「……えー。知ってるでしょ?リヒトホーフェンの屋敷だよ。そこに行けば、いいんだ」
「オレはな、仕事しながら歩くことになる!!」
「仕事って、何だよ?」
「こいつだこいつ!この帳簿を読み漁りながら、ボロボロにぶっ壊れちまった街並みを歩くとか……不可能だろうが!!」
「オレに怒るなよ。街が壊れたのは、帝国軍のせいだろ」
「とにかく!お前が、持ち込んだ仕事なんだ。最後までちゃんと付き合え!!」
「えー……銀貨は、もらったけど…………」
―――少年もまた笑みを浮かべる、『オルテガ』は迷宮都市であるが。
商人たちの街でもあり、少年も無償の労働をする気はない。
十分な銀貨は確かにもらっているものの、運ぶのはあくまで手紙が対象だ。
肉屋のブッチの道案内をする費用は、もらってはいない……。
―――抜け目のない狐のような笑みが、ちいさな手を差し出していた。
巨人族のブッチは唇を突き出したものの、納得はしている。
彼も『オルテガ』商人の一員であり、タダ働きほど嫌なものはない。
仕事には報酬で応じるべきだと、商人の職業倫理も囁いた……。
「ほらよ。銀貨、5枚だ!!オレを引きずって歩けというわけじゃないんだ。ただ帳簿を確認しているオレのことを、迷わずに導けばいい。十分だろ?」
「まあね。重労働になったら、後からせびるよ」
「ふん。そんな商いの仕方じゃ、信頼は得られんぞ」
「わかったよ。銀貨5枚で、おっちゃんを案内する。手をつなごうか?」
―――ブッチは断ろうとしたが、巨体なイバラやツタに破壊された街並みを見る。
子供に手を引かれるなんて、150キロの牛の肉塊を片腕抱える男には屈辱だ。
屈辱ではあるが、この混沌とした破壊のなかを進むには適した選択だった。
ちいさな右手に銀貨を落とし、ちいさな左手にいかつい男の手を伸ばす……。
「毎度あり。さあ、手を引いてあげるよ。おじいちゃんみたいにさ!」
「うるせえ!オレは、まだまだ若いんだよ!ストラウス卿のお呼びがあれば、戦場にだって出かけてやるぜ!」
「はいはい。ナンとかの冷や水って、聞いたことがあるよ」
「口の減らないガキだぜ。まあ、いい!仕事をするぞ、仕事を!」
―――ちいさな手に引っ張られ、ブッチは進む。
もう片方の手で仕事道具を器用に広げたまま、強い視線でにらみつけながらね。
最近の仕事は、とても少なくなっていた。
悲しくなるほどの空白が並び、余白に怒りと苦悩によって書かれた文字がある……。
―――『くそったれ!』、『どいつもこいつもオレから仕事を盗みやがる!』。
意味のない線も、ストレスのせいで描かれていた。
落ちぶれた自分の行動が、情けなくてはらわたが燃え出してしまいそうだ。
それでも、トーリー・タイズンが選んだ男は凡愚ではない……。
―――入札のために培った耳がある、商人と農家と顧客の心を覗く熟練の洞察もね。
余白に書かれていた愚痴めいた落書きには、ブッチが独自に作り上げている暗号もある。
市場や農園、あるいは深酔いした酒場で交わされる噂話。
船乗りたちの荷揚げも観察し、小麦を運ぶ馬車の数だって指折り数えた……。
「さすがは、オレだな。マジメだ。仕事を奪われていても……ちゃーんと、仕事しているぜ」
「どういうコト?おっちゃん、仕事無かったんじゃないの?」
「仕事が無いなら、無いなりに、商人は努力をするってことだ!……いつか、世の中に、舞い戻るために……オレは、ちゃんと、目も耳も、アタマも使っていた!!」
「……そうなんだ。あ。そこ、ひび割れ深いから、足を取られないようにね!」
―――亜人種が生きるには、『オルテガ』も快適な場所ではない。
ずっと昔から、それは変わらなかった。
ブッチは有能であり、幸運にも恵まれた努力家だ。
トーリー・タイズンの期待以上に、食材関連の動きをにらみつけ把握していた……。
「肉の仕事が、他のモン売るよりも好きだった。分かるか?肉屋のことを、嫌うバカもいる。美味い肉には財布のヒモがゆるくなるし、貧乏な家の奥様方たちは、スープに使うくず肉をより安く買おうと努力を欠かさねえんだぜ」
「うちも、おっちゃんところの肉、好きだったよ」
「良心的なビジネスしていたからな。オレはな、肉が好きなんだよ。食うのも、売るのも。お前ぐらいの時分には、肉で腹いっぱいにするのが夢だった」
「夢、叶えたんだね。すごいよ」
「ふん。叶えた夢を……取り戻すんだ。バカにされながらも、あれだけ働いた。好きな仕事なんだ……オレは、追い出されても……ちゃんと、見抜いているぞ」
「……カニンガムの居場所、知ってるんだね?」
「ああ。あいつは、飯を食わせる相手に合わせる。料理の仕方も、料理の出し方も、部屋の飾りつけも……ほとんどのヤツの舌には、分からねえ産地の違いもな」
「天才料理人って、カッコいいかも」
「憧れるべき対象は、選ぶもんだ。さっきも言っただろう」
「……カニンガムが、マフィアって、本当?」
「乱暴者の手下を数多く抱えている。元々は金払いがいいヤツだが……もめた相手は、エビ網で引き上げられるのがオチだ」
「……それ、海に捨てられたって意味?……つまり、殺されたって…………」
―――分かり切った問いに、ブッチの口は反応しない。
かつての時分が書き記した情報へ集中し、カニンガムの行いを炙り出していく。
二か月前には、ずいぶんと豪華な宴を開いたようだ。
大陸東海岸から、わずかにだけ届くワインビネガーを買い集めている……。
「クイント農園の、ホワイトヴィールもな……」
「ヴィールって、仔牛の肉?」
「そうだ。こいつはミルクだけを飲ませて育てた、特製品の仔牛の肉だぜ。草の風味がまったく肉に融けてねえんだ。高いし、何より、手間がかかるから珍しい」
「さすが、肉屋だね。何でも知ってるんだ」
―――子供の素直な感心に、ブッチはいくらか気を良くした。
気を良くしたが、彼の想像力は危機感も抱く。
邪悪な天才料理人は、本気の接待を行っていたのだ。
買い集められた食材たちが、ブッチに悟らせる……。
「ああ、この食材の組み合わせってことは……カニンガム、お前は……リヒトホーフェンに、どんな厄介な人脈を与えようとしていたんだ……『オルテガ』には、『血狩り』がやって来ていたというのに……」




