第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その八十
「竜騎士姫は、死んじゃいそうなんだよね?」
「そうだ。この戦いで死ぬことになる。『ラウドメア』に殺されたから、彼女の存在は奪われている。どんな戦いをしたのか、どんな名前だったのかさえ……『歌喰い』の力のせいで、後世には残らなかった。今このときまで」
「か、彼女は……死んでいきながらも、消えてしまいながらも。しょ、勝利を確信していたんですね。ま、まるで、ヴァシリ・ノーヴァさまたちみたいだ……」
『……あれさ・すとらうす…………あーれすは、なにを、しているの……ッ』
―――『歌喰い』の力が始まり、瀕死の竜騎士姫の姿が薄まっていく。
指先が消えてしまい、仔竜ザードは鼻先から感じられる体温もいなくなった。
『いやだ、いやだ!いやだ、いやだ!!おれは、おまえがいないといやだ!!』。
気高いザードも素直になってしまう、この別れはあまりにも苦痛を伴った……。
―――『おれは、つかれているんだ!!ぼろぼろだ、『ラウドメア』にかてん!!』
『おまえがいなければ、あいつにはかてないんだ、あれ……っ』。
忘れられるはずもない名前さえ、心から奪われていく。
歯ぎしりして頭を振って、どうにか無理やり思い出しつづけなければならない……。
―――『歌喰い』の恐ろしさに、仔竜の心は引き裂かれていく。
どれだけ大切であっても、どれほど重要なことであっても。
覚えておくことさえ、許されないのだ。
雄々しさとは真逆の弱さを帯びた、あまりにも悲痛な歌を仔竜は放つ……。
―――竜騎士姫はしかりつけるためではなく、異なる言葉を使おうとしたが。
声を出すことさえ、もう彼女には許されなかった。
彼女を構成するあらゆるものが、何処かに遠ざかる。
死後に魂が行くべき場所ですらない、完全なる虚無……。
―――悪神の腹の奥底に、彼女の魂は呑まれるのだ。
悔しくはあり無念ではあったが、竜騎士姫が最期に選んだのは微笑みである。
勝利を信じる彼女は、人生を振り返った。
十分に戦い抜いた人生であったことは、疑う余地はない……。
―――その戦いの全てが、歌として残らなかったとしても。
あこがれた英雄たちの連なる場所に逝けなかったとしても、彼女のとなりには竜がいる。
泣きじゃくってくれるその顔が、あまりにも愛おしい。
気高くて勇敢な者が泣くための痛み、その始まりには愛があるのだから……。
―――誰よりも竜に愛された姫君は、微笑みを風に残して。
仔竜の前から去り、仔竜の左眼は蘇る。
竜騎士姫に『斬られた』ことさえ、『歌喰い』の力は奪ったのだ。
仔竜は誰よりも遠くを映せる双眸を取り戻したが、涙に揺らぐ視界に彼女はいない……。
―――悲しみに襲われながらも、仔竜は戦い抜いていた。
奪われていく実感を、自らにとどめる方法を模索する。
彼女のことを忘れたくないのだ、消滅に荒されていく記憶を守りたい。
誰も知らない方法を探す、どうすればいいどうすればいい……。
「……ザード、かわいそうだよ。竜騎士姫のこと、こんなに大好きなのに……っ」
「『歌喰い』の力は、それほど圧倒的なものなのですね。ヒトどころか、竜の心からさえ記憶を奪う……」
「死者への想いさえも、奪われる。あまりにも邪悪だわ……」
『…………それでも、ぜんぶは、わすれなかったんだ。あーれす……』
―――仔竜ザードは思い出せなくなる、竜騎士姫の顔さえ分からない。
あれだけ一緒にいたはずなのに、誰よりも見た顔のことも思い出してやれない。
発狂しそうになるほどの大きな孤独に囚われて、空に向かって吼える。
爪を使って大地を引き裂き尾で叩き、痛みと怒りに世界を揺らした……。
―――闘争を最も喜ぶのが竜であるが、それだけが大切ではなかったと悟る。
もはや思い出せない多くのことが、記憶にすら残らない痛みの重さが。
それらの価値を、知らせてくれるのだ。
仔竜ザードは大きな怒りに牙を剥き、去り行く全てに抗った……。
―――『ラウドメア』は仔竜の苦しみの裏側で、大地の深くへとたどり着く。
地の底に残していた、自らのあらゆるものを。
力の全てを集め、その身を肥大化させていく。
あらゆる『歌喰い』で奪い取った力が、この悪神を復活へと導くのだ……。
―――奪ったばかりの竜騎士姫の歌さえも、『ラウドメア』の力に融ける。
死に絶えようとしていた力が、復活していく。
仔竜ザードが叫ぶ場所の奥底で、大地の底で。
邪悪な笑みに『ラウドメア』は愉悦した、再戦と勝利を確信したのだから……。
―――『わすれない……ッ!!わすれる、ものか!!うばわせはしないぞ!!』
『おまえのたいせつだったもののすべてを、おれがまもる!!』
『がるーなを、このとちを、すとらうすを……ッ!!』
『……おまえに、おれをくれてやる!!おまえのなを、おぼえておけないなら!!』
『おれのなまえに、おまえをやどす!!』
『おれは……おれのなまえは、ざーどにあらず!!』
『きけ!!きけ、がるーなよ!!すべてのりゅうよ、すべてのせんしたちよ!!』
『おれのなまえは、このしゅんかんから、アーレスだッッッ!!!』




