第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その七十七
―――偽りの竜の姿を選んだのは、恐怖の記憶ゆえのこと。
『ラウドメア』が心に抱く、最強の存在はすでに自身ではなくなっていた。
かつての竜騎士姫の愛竜であり、黒い仔竜の母竜の『最盛期の姿』だ。
それに悪神の力を捧げれば、背後を追いかけてくる敵にも勝てると信じる……。
―――計算高く戦術的であり、それはヒトを学び過ぎた結果であった。
かつての敗北を繰り返さぬようにと、悪神はヒトの戦いを学ぶことに傾倒する。
『歌喰い』の力で集めた記憶の力に、異界から来たこの神は純度を奪われていた。
『ラウドメア』はその事実が歯がゆがったものの、勝利のためには頼るほかにない……。
―――勝者とは程遠い妬まし気な瞳となって、獲物を見下ろした。
当たり散らしてやろうと考え、王都を守るガルーナの王と近衛に悪意を向ける。
楽し気な妄想な時間であった、自分を苦しめたガルーナの戦士たちの頂点。
王を殺せれば、どれだけ心は晴れることになるのか……。
「ヒトのような心理構造ですね。『歌喰い』を続けて、多くの戦士を喰らったせいで……強く影響を受けてしまった。『ゼルアガ』とは、ヒトを取り込み続けると、そうなる種類もいるのですね」
「『ギルガレア』さまも、同じ……『蟲の教団』や、リヒトホーフェン一族の記憶を取り込むことで、変わられてしまった……」
「か、神さまも、人々に影響されてしまうんですよ。ぼ、ボクたちと同じように、心を持っているんですから」
「それでも、『ギルガレア』のおっちゃんは誰かのために戦ってる。でも、『ラウドメア』は、そうじゃないよ。自分のことしか、考えていないんだ」
―――嗜虐の妄想が、『ラウドメア』を満たしていく。
戦場から退かざるをえないほど追い詰められた、自分のみじめさを癒すために。
ガルーナの戦士たちの大切な者を奪う、王を殺してやればいい。
どれだけ口惜しがって泣くことか、それを妄想すると歓喜に口もとが歪んだ……。
―――意地の悪いヒトじみた性格となりながら、王へと向かい悪神は向かう。
竜を模した偽りの姿でならば、王も近衛たちも傷つくだろうとも考えた。
かつての国守の要であった白い竜の姿に殺されたなら、どれだけ悲しむか。
うろこが揺れて瞳がゆがみ、邪悪な笑みのまま王を狙う……。
―――追いつけるはずがないと、たかをくくっていた。
竜の姿を模して、先手を取れてもいるのだから。
空を飛ぶ速さであれば、黒い仔竜などに負けるはずがないと。
知らなかったのだ、竜騎士姫ほどの知識を喰らってはいないのだから……。
「追いつけるよね、お兄ちゃん」
「当然だな。竜騎士を乗せた竜の方が、速いに決まっている」
『……うん。ぼくも、そうだとおもう!』
「だよね。だって、空を飛ぶときに必要なのは、翼だけじゃないんだもの!」
―――北方の冬の青い天空を、白い雪が混じった風が吹いて荒む。
竜騎士姫は竜乗りのための技巧と知識を、共同研究者と共に作り上げた始祖だ。
あらゆる竜騎士の祖であり、母だ。
青い瞳が風を読み、炎のような赤い風を揺らす……。
―――北から来る風は、空を支配する二人のしもべのようだ。
大きく広がった漆黒の翼が、風を受け止め加速を深める。
小賢しい悪神が想像することもできないほどの速さが、時間を撃ち抜いた。
王を殺すために下降したはずなのに、竜騎士姫と仔竜に追いつかれる……。
―――その襲撃はくじかれて、王と近衛たちは二人を讃えて歌をたける。
驚愕の電流が悪神の賢さを焼き尽くし、知性を乱暴に揺さぶった。
ありえないと考えていたことが、また起きてしまう。
恐怖を与えるはずの自らが、どうしてこれほど恐怖させられているのか……。
―――地上から響く歌を浴びながら、戦士たちの蛮勇さを思い出していきながら。
『ラウドメア』は英雄が人々に与える効果を、読解していく。
王ではないのだ、自分が殺さなくてはならない存在はガルーナの王などではない。
殺すべきは竜と竜騎士の歌の中心、ストラウスの血脈……。
「お、王さまよりも、戦士たちの中心にいたんですね。す、ストラウス家は」
「アーレスや、その血族の竜たちと共に、数多の戦場に突っ込んでいくのがストラウス家だからな……」
「だから、狙われちゃったんだ。竜騎士姫にも、『弱点』があるもんね」
「ストラウスの血の象徴……竜騎士姫の、子供たちを狙うべきだと考えた。何とも、ヒトの考える悪意をなぞる。強者の不在を、狙うのです」
―――『ラウドメア』は目標を変えたのだ、ストラウスこそを滅ぼすと。
その他に負ける気はしない、竜と竜騎士と歌の中心を滅ぼせれば勝利は確実だ。
竜騎士姫がどうしても焦る対象を、攻めてやればいい。
生まれたばかりのストラウスの双子を狙えば、母親である彼女は揺らぐと計算した……。
―――飛び去る『ラウドメア』の軌跡から、二人はその意図をすぐに読み取った。
仔竜は竜騎士姫の心臓が、それほど激しく揺れることを知らなかった。
どれだけの強敵に挑んでも、自らと戦い合ったときよりも。
こんなに不安げに揺れることなど、なかったというのに……。
―――ガルーナで最も偉大な戦士が、恐怖している。
愛する子らを悪神が襲うことを思えば、血でも吐きそうなほどの恐怖に苛まれた。
それでも彼女は、疑わない。
自分たちで組み上げてきた強さを信じている、愛しき仔竜の首を撫でささやいた……。
「もう一度、追いつけばいいだけだ。『ラウドメア』を倒すぞ、私の『ザード』よ」




