第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その七十六
―――黒い仔竜の鼻が気づいていた、約束を交わしたはずの男は死んでいる。
『あいつは、しんだぞ』。
悲しみと怒りに歪めた貌で、背にいる竜騎士姫に告げるのだ。
夫が戦士したことを聞かされた彼女は、泣くことはない……。
―――うなずいて、口を開いた。
竜のように鋭く、牙の歯列を見せつけながら。
「そうか。そうだろうな、英雄らしく見事に歌となった」。
悲しみと怒りもあるが、果たすべき使命がある……。
―――「これ以上は、誰も殺させはしない」。
竜太刀を引き抜いて、片目の仔竜に命じる。
歌え!と叫び、仔竜は歌と共に火球を放った。
悪神は歌に恐怖を呼び覚まされて、戦場に現れた者たちを見る……。
―――火球が黄金色の爆発を呼んで、怒りにあふれた翼が疾風を射抜いた。
またたく間に距離を詰めると、竜騎士姫は仔竜の背を蹴って飛ぶ。
魔を帯びた竜太刀の乱舞で、夫と戦士たちを殺した敵を斬りつけた。
無数の斬撃に刻まれながら悪神は、その威力に恐れを抱く……。
「『竜の焔演』を、空中でやったか……竜騎士姫め」
「ウフフ。悔しそうですわね、リングマスター」
「負けているからな。オレでも、そんなことは……『まだ』やっちゃいない」
「今ならばやれるでしょう。リングマスターは、技巧を覚えるのが早いので。歌で聴いたのであれば、貴方ならば見えもする」
―――竜騎士姫と仔竜の攻めは続き、『ラウドメア』はまたたく間に追い詰められた。
戦士たちとの長い戦いで、無限に近しい生命力も枯渇していたことにも気づく。
ガルーナで最強の竜騎士と、ガルーナで最強の竜。
この二人をしのげるほどの力が、もはやないことに気づいた……。
―――自らが滅ぼされる、その恐怖は悪神の心をはげしく揺さぶる。
ありえないことが起きようとしていることを悟り、敗北を恐れた。
記憶を探るのだ、奪い取って来た無数の歌から力を引き出そうと藻掻く。
選んだのは、かつての宿敵の姿であった……。
―――翼将と共に自らを封じた竜の姿、仔竜の母竜の姿。
竜に恐怖した記憶を選び、自らの姿を偽りの竜へと変える。
白竜の姿となって、戦場から飛び去ることを選んだ。
不屈の戦士たちがいるこの場から、ガルーナの王都を目指す……。
「戦術を使ったんだね。戦士たちと竜騎士姫たちが連携することを、嫌がったんだ」
「な、なるほど。そのまま戦場にいれば、ガルーナの戦士と、ほ、北方諸国からの義勇兵に連携されちゃうから……っ」
「……『ゼルアガ』なのに、そういう判断をしたんだ」
「ヒトの戦術を真似たのでしょう。『ラウドメア』は、歌を喰らう悪神。戦士たちの記憶を奪い、融け合っていたのならば……ヒトの戦術も理解するようになる」
―――逃げ去る『ラウドメア』に、傷つき疲れ果てた戦士たちは追いつけない。
竜騎士姫と仔竜だけで、戦わざるを得ないのだ。
そうしなければ王も殺され、王都も焼かれるかもしれない。
孤独な戦いを強いられことになったが、竜騎士姫と仔竜が恐れるはずもなかった……。
―――故国を失ってまで馳せ参じた義勇の戦士たちも、悔しそうに歯ぎしりする。
ここまで来たのに、まだ生きているのに。
最後の戦いに参加することが出来ない、死に場所まで失ったことが悔しかった。
悪神の去った空を追いかける前に、竜騎士姫は彼らと約束を交わす……。
―――彼らがこの戦場にいる意味を、竜騎士姫は理解していたからだ。
孤独になった戦士らへ、約束を与える。
「ガルーナを第二の故郷とするがいい、私がお前たちの『母親』になってやろう」。
疲れ果てた戦士たちの心に、その言葉は深くまで伝わった……。
「こ、国外の戦士たちを……う、受け入れたんですね」
「……古い時代のガルーナ周辺諸国は、種族ごとに分かれていた国が多かったはずだ」
「じゃあ、たくさんの亜人種の戦士たちの、ママになったんだね」
「祖国から離れた戦士たちには、そういうの、とても嬉しかったはず。異なる種族の戦士たちにも、新しい家を与えたのね。ストラウス卿のご先祖さまらしい」
―――北方諸国から集まった義勇の戦士たちは、彼女からの提案を受け入れた。
彼女の死後も長らくストラウス家に仕えた亜人種の戦士たち、その源流となる。
かつて戦場で殺し合った恨みより、この約束の方が大きかった。
悪神へと挑む彼女のために、祈りを捧げる……。
「……オレの育った村は、そうやって生まれたわけだ。竜騎士姫の約束に応じてくれた者たちが、そのまま、世代を超えて……」
『えへへ!すごいね、『どーじぇ』!』
「ああ。まったくだぜ。ガルーナが滅びる日まで、アーレスが死んだあの9年前の日まで。ストラウス家と、ずっと一緒にいてくれたのだからな……二百年以上も!」
「お兄ちゃん、とっても、嬉しそう!」
―――敵であったはずの者たちが、そのとき種族も越えて一つに融けた。
政がもたらす複雑な感情を取っ払い、竜騎士姫の血に仕える。
彼ら異なる出自を持つ者たちの祈りも、祝福の力を成していた。
『歌喰い』に抗うために、翼将が組み上げた認識の連なりを強めていく……。
―――ストラウスの戦いが紡いだ歌に、悪神さえも退けた英雄の骸。
新たな同胞となった異種族たちの祈りと、戦い抜いたガルーナの戦士たちの激励。
それらが祝福を組み、『歌喰い』の忘却を遠ざける力をも組み上げていった。
竜騎士姫と仔竜は、敵の背を追いかけ空を駆ける……。
数千の軍勢でも倒し切れなかった悪神に、二人だけで挑むのだ。




