第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その七十三
「死地に赴く覚悟をしていた……ストラウス卿の先祖でも、そこまでの覚悟が必要だった相手……」
「いつどこの戦場で死ぬかは、誰にも分からん。強かろうが、弱かろうが、大して関係のないことだ」
「……そう、よね。そうだ。それは、確かにそうだけれど……ストラウス卿は、しぶといもん」
「簡単に死んでいる場合ではないからな。帝国を、倒さねばならん。ご先祖さまも、同じように考えていたのだろう。彼にとっては、妻子の命が自分よりも大切だった」
―――歌となった伝説たちが、その祝福を編んでいく。
男の目論見は当たっていたのだ、勇敢さと恐怖で飾られた強い物語が力を成した。
人々は記憶している、竜騎士姫と仔竜が成し遂げた勝利を。
ガルーナの守護神である者たちを、敵からすれば最悪の破壊者を覚えている……。
―――『歌喰い』の力も無限ではない、喰えないほどの大きな歌を紡げばいい。
決戦の土地へと向かう道すがら、男は過去と現在をつなぎ合わせて因果を縫った。
生きた者と死んだ者たち、歌と歌が融け合いつながり合っていく。
強大な悪神の力に挑めるほど、その歌は強さを持った……。
―――北の村々を踏み潰し、数多の偉大な戦士たちの存在を喰らったあとで。
『ラウドメア』はガルーナの国境線へと到達し、戦士たちと相対する。
翼将の地位にある男は、城塞に陣取り悪神との戦いの指揮を執った。
空を貫くように高く伸びた、邪悪な敵をにらみつけ……。
―――『ラウドメア』は巨大であり、その姿は悪夢のように定まることはない。
おぞましい滅びの化身、異なる世界をいくつも渡った世界を穿ち喰らう淀み。
竜たちが空を飛び、騎士が野を駆け振り上げた鋼を投げつけた。
炎を浴びても矢と槍に貫かれても、滅びの怒涛は止まることはなし……。
―――ガルーナの戦士たちが呑まれていく、消えて行く若い命が男の耳を突く。
呼ぶべき名さえ『歌喰い』の力に奪われて、全てが無になった。
奮ったはずの勇気も、死と消滅への覚悟さえも。
父親になったばかりの男は、消えていく若い命を守りたくもなった……。
「当然だよね。ガルーナの戦士は、きっと、そうなる。ストラウス家の血なら、そうなるんだよ!」
「で、ですよね。団長の、ご先祖さまなら……きっと、歌まで奪われることに、激怒する……生まれて来なかったことに、されるなんて……」
「子供が生まれると、男性もまた変わるのですね。きっと……あの人も…………」
「いいことさ。命のことを知って、より強くなれるってのは」
―――誰かの夫であり、誰かの父親であり。
ガルーナの翼将であり、戦士であった。
男は前に出る、半ば衝動だ。
歌も命も奪い取る、その悪神を許せるはずもない……。
―――無数の眼で、悪神は片腕の男をにらみつける。
巨大な塔のような悪神に比べれば、あまりにも小さなその姿。
恐れるべきはどちらであったのか、巨大な口があざけるために歪みを帯びる。
破壊の津波へと化けて、男を滅ぼすために身を踊らせた……。
―――ストラウスの本流ではない家に生まれ、貴族でも騎士でもなかった。
土仕事をして育ち、空を駆ける風の自由に憧れを抱く。
旅をすることを好み、かつての旅の果てに白竜と並び悪神を封じた。
年を取り父親となった男は、蘇った悪神に向けて襲い掛かる……。
―――かつて以上の勇猛さと、迷いの無さで。
魔術で風を編み、滅びを打ち破るほどの鉄槌を成した。
悪神の津波のような巨体がえぐれ、打ち抜かれる。
隻腕と加齢で弱まったはずの男は、ありえないことに以前より強かった……。
―――『ラウドメア』は、恐怖を刻み付けられる。
自分が喰らった英雄たちを、忘れ去られた者たちの力も思い出したのだ。
神さえも倒してみせた、歌に残らなかった者たちの力を。
恐怖の在り処を知ったのだ、それは悪神の心のなかに在る……。
「『ラウドメア』と戦った昔の戦士たちは、怖くなかったんだね。ちょっとは、怖かったかもしれないけど。それよりも、もっと……勇敢だった」
「ああ。『歌喰い』に挑めるような戦士たちだ。勇敢さは、桁外れだぜ」
「き、きっと。その戦いで、誰よりも怯えていたのは……『ラウドメア』だったんですよ。つ、強いはずの自分に、挑んで来る力を感じて……思い知ったんです」
「……恐怖と感動は、不知と罪悪感から生まれますから。自らの不全を感じたのですよ。ありえないことを理解して、動揺した。神さまよりも強い者がいる。それを彼が示したことで、神としての罪を背負った」
―――想像力が『ラウドメア』を捕らえ、恐怖はふくらんでいく。
絶対の自信はその瞬間に崩されて、命を燃やし尽くしながら魔術を使う男に怯えた。
男はにらみつけたまま、残っていた方の腕まで失う。
全てを捧げた魔術が一つ、悪神を打ち据えて恐怖を完全に叩き込んだ……。
―――死んだはずの男にさえ、『ラウドメア』は怯えてしまう。
喰らってしまえるはずなのに、その死体にさえ逃げてしまった。
男はその死で、祝福を完成させていた。
ストラウスの血から『ラウドメア』が逃げたとき、血筋の破滅は防がれる……。
「そうだ。竜騎士姫は、『ラウドメア』に殺されてしまうが、オレたちストラウス家は遺った」




