第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その五十四
本物じゃない。
本物ではないが、その速さに本物との違いは全くないときたか!!
猟兵団長として、うれしくなるぜ。
『諸刃の戦輪』による左右の乱打か。悲しい微笑みのままだが、動きによどみはない。美しさをも意識した武術……いいや、殺せる強さを持っただけの芸術か。
見せることを意識している。
斬撃の嵐を回避しながら、後退していく。
「あら。私の腕に恐れを抱いてくれているのです?」
「いつだって、猟兵の技巧には敬意と畏怖を覚えているものだよ」
「嬉しい言葉です。でも、あまり、油断していてはいけません」
「ああ。そうだな。だって、君は……」
……本気で戦いに没頭すれば、もっと強くなれるだろうからね。芸術を捨てて、武術に全てを注ぐことを選べれば、レイチェルは芸術の束縛を越えられるだろう。
この距離で。
殺気を込めた斬撃を見つめていると、理解していく。
「私にとって、戦いとはサーカスほどの歓喜も興奮も与えてはくれませんので」
「知っている。知っていたよ」
当然だ。レイチェル・ミルラは、サーカスのアーティストなのだから。武術はね、自分のためにやるものだけど……芸術は、とくにサーカスの芸術は、観客のためにするものだ。
殺すための技巧では、レイチェルは満たせない。
本物の彼女であれば、芸術を捨て去ることはやれないけれど。この悪神が作った幻は、違うのさ。
オレを殺すための刺客として、全力で動ける。
美しさが、欠けていく。
悲しい微笑みが、獣の貌へと変わった。
動きが雑になる。原始的な気配を、レイチェルの動きが放ち始めるんだよ。普段は、使わない。いつものレイチェルの技巧ではない。サーカスの技巧を捨ててしまった。
悲しい獣の貌になる。
不本意だろうさ。
芸術を捨てて、武術に堕ちる。
……優雅ではないが、とんでもなく速く。とにかく合理的で。とてつもなく強い。
速さも増した。鋭さも増した。筋力も、増している。
『人魚』が戦闘だけに、その戦闘能力の全てを注いだ。ガルーナの野蛮人も、身体能力には自信がある方なのだけれど。それでも、前に出るタイミングさえも、潰されてしまう。
「はああああああああああああああああああああッッッ!!!」
褐色の肌が踊り、左右の腕が荒々しく鋼の怒涛を組み上げた。必死にこちらをにらみつけて、殺すためだけに腕を振る。獣のようだ。とても荒々しい、原始の獣。つまり、これはこれで、戦士の視線からすれば最高の美しさを放ってはいるのだが……。
どうにも。
レイチェル・ミルラらしくはない。
だから、当たらないんだ。
本物のレイチェルなら、この紙一重で逃げ続けられる隙なんて、無かっただろうよ。
『……『人魚』の身体能力に、人間族が勝るのか』
「違うぜ、『ギルガレア』よ」
『その幻に、迷いはない。現実の彼女よりも、強いはずだが。お前は、彼女に全力を出せないだろうしな』
「レイチェルは、サーカスのアーティストさんだぜ。それを、否定してしまえば、動きの鮮度を失ってしまう」
『ギルガレア』には分からんだろう。というか、レイチェルを知らない者には、通じない考えだ。レイチェルはね、とても『自由』な魂の持ち主なんだよ。
「狭苦しいだろ」
「……ええ」
「そんなに必死な武術は、君には似合わんよ」
「知っていますわ」
だから、避けられる―――まあ、それでも、ギリギリだがね。紙一重まで迫られている。ステップを踏み間違えれば、肉を刻まれることになるだろうさ。でも、そうはならない。
読めるからだ。
「武術は、することが決まっているんだ。オレの動きに、反応して、誘われてもしまう。逃げるだけじゃないぞ。オレは、君の動きを操っているんだ」
「さすがは、リングマスターですわね。強くなっても、読まれてしまえば―――」
「―――当たらんよ」
竜太刀を、レイチェルの動きに、『入れる』。こちらに近づこうとしていた彼女の目の前に、鋼が立ちはだかった。直進すれば、刃に当たるだろうが……レイチェルが、そんなヘマをするはずもない。
ニセモノであったとしても、レイチェル・ミルラだからだ。身を貫くギリギリで止まる。サーカスらしく、危険さをも演出として使いこなすために。昔ね、させられたことがある。サーカスの真似事をね。
「あら……止められてしまいましたわ」
「武術で挑むと、オレには勝てんよ」
「少しだけ。勝てるんじゃないかと思っていましたのに」
「ククク!……君らしい自信だ。本物の君なら、オレに届いたかもな。芸術を捨てなければ、もっと強い。動きが豊かになるから、見惚れてしまう」
「ええ。本物の私なら、そうなのでしょう。でも、私は……違う。『私たち』は偽りの存在ですが……貴方にとっては、本物の刺客なのですよ」
影が……。
動く。
レイチェルの動きの裏側に、潜んでいたのだ。
疾風の勢いをまとい、影のように低く、長く伸びるような突撃。背筋に寒気が走ったよ。こんな完成度のある技巧は、滅多と出会えない。知っている気になっていたが……やはり、関係性が誤認させることだってある。
嬉しくもなった。
当然だろう。
全力で避けなければ、当たっていたからだ。オレの首が一瞬前まであった場所に、ピュア・ミスリル・クローの斬撃が走っていた。
オレの妹が、笑う。
「外されちゃった。でも、次は、当てるね」
ミア・マルー・ストラウス。
もちろん、本物じゃない。だが、実力は模倣し切っている。レイチェルとは違い、刺客としての適性に優れているよ。『暗殺妖精』が、レイチェルのそばに立った。オレの最愛の妹が。




