第二話 『無償の罪に、この手は穢れ』 その百八十四
『暗殺妖精』のステップは、完全な無音を帯びることも可能ではあるが、今日のミアは怒っている。圧倒的なまでの殺気を、あえて浴びせていた。帝国兵は、その瞬間に凍てついたかのように動きを止める。
蛇ににらまれたカエルのよりも、さらに明確な恐怖だ。この帝国兵どもはそれなりに実力があったからこそ、恐怖を深く味わえる。
だが、ミアはやさしい。恐怖を与えたのも、一瞬に過ぎなかった。敵兵の背後に飛びついて、逆手に握り締めたナイフを精密な軌道で使う。右側の頸動脈を斬り裂きながら、心臓の上端近くまでの深さで鋼が到達した。悲鳴も上げることなく、そいつは死にながら内側からあふれた血で喉を満たし、立ったまま死に呑まれる。
ミアに抱き着かれたまま地面に転がるころには、ナイフは獲物の体内をえぐりながら引き抜かれ、全てが終わっていた。
「ひ―――ぐえ!?」
相棒を殺されたことに気づいた帝国兵に襲い掛かる。背後から取った右腕を、腕力任せに捻りながら投げ飛ばす。肘を作る関節が折れながら脱臼し、そいつは首から地面に叩きつけられる。
「ぐふ!?」
側頭部を強打して、意識が飛びかけるだろうが……それは許さん。鉄靴の底で、左肩の付け根を粉砕してやることで、激痛の気付けをくれてやる。
「ぐああ……ッ!?」
両腕が動けなくなったから、右の足首も踏んで壊したおいた。
「……い、いてええ……ッ。な、なに、するんだよお……ッ」
「罰を与えてるだけだ。ミア」
「うん」
口を手で覆い隠したまま、ミアは『風』の魔術を放っていた。怪しげな呪毒の煙を吐き散らす焚火を吹き飛ばしてやったんだよ。呪毒の煙は、こうして立ち上らなくなる。
それを確認すると、帝国兵の足首を引きずって、焚火から離れた。呪毒の効果から逃れるためでもある。
「はあ、はあ……うう、ぐうう……た、助けて……くれえ……」
「死にたくないなら、情報を吐け。貴様が使っていた呪毒の詳細を告げろ」
「……お、オレは……命令に……従っただけ」
「誰の命令だ」
「……め、メロさま……っ」
「マルド・メロか?」
「あ、ああ……マルド・メロさま……こ、ここの責任者だ……り、リヒトホーフェン伯爵お抱えの、錬金術師だと……しょ、将軍並みの待遇で、尽くせと……言われている」
「それで。どんな呪毒だ?」
「……詳細までは、知らん。こ、高度な錬金薬だというが……か、彼は、天才的な錬金術師だ……オレに、天才が作ったような薬が、理解できるはずもない……」
「危険物だとは知っていたな」
「……あ、ああ……」
「緊急事態には、どんな対処がある?ここは、地下の閉鎖空間だ。あの怪しい呪毒の運用を間違えれば、ここにいる全員が危険になるだろう」
「……ちゅ、中和剤が……ある……っ」
「どこにあるんだ?」
「へ、兵士の分は……そ、それぞれに、渡されている……オレも、相棒も……それを、使ってはいたんだ……」
「警戒していたように見えたぞ」
「当然だろう……ゆ、ゆっくりと呼吸を壊してしまう毒なんだ……」
「無抵抗な奴隷たちに使ったな」
「命令だ……命令だから」
「命令されたら、貴様は無罪になるとでも?」
「……う、うう……お、お前は、誰だ……人間族だろう?て、帝国人じゃないのか?ドワーフは、亜人種なんだぞ?オレたち、人間族と同じじゃない……っ」
「ソルジェ・ストラウスだ」
「ッッッ!!?」
「知っていてくれているのなら、ハナシが早く済む。オレはドワーフたちを助けるためにここへと乗り込んだ。彼らを何としても助けたい。貴様を拷問してでも、その手段を見つけたいんだよ。どうだ?死にたくないなら、有意義な発言をしろ」
「ひっ!?」
ナイフを指の間で躍らせながら、帝国兵の目玉の近くに差し向ける。
「オレを見るのが怖いのならば、少しだけ見えにくくしてやってもいいんだぞ?」
「わ、わかった!!やめて、くれ……っ」
「この呪毒を、無効化する方法は?中和剤以外には、ないのか?」
「……あ、ある。換気するんだ……っ」
「換気か……空気よりも、軽い呪毒らしいからな」
天井を見上げる。閉ざされた天井が見えるが、錆び付いたハンドルも見えた。
「ここの天井は、開くのか?」
「……そうだ。も、元々は、採掘のための空間で……地上に、鉱石を送るためと、換気のために、巨大な窓があったんだ……普段も、ときどき、使っている」
「開け方は?」
「ハンドルが見えるか……?あれを、回すんだよ」
「毒の煙が、たまっているわ。階段を、かなり登らなくちゃならない……他に、手段はないの?」
「な、ない。これは、本当だ。嘘は、つかない。本当だ……って、な、何をする気だっ!?」
「息を止めていろ。ハンドルの途中まで、毒の煙のなかを走る。貴様は途中で置き去りにして、オレが窓を開きにかかる。もしも、その発言が嘘ならば、貴様は死ぬことになる。ドワーフたちと同じ運命をたどるんだ」
「そ、そんな……ッ。ひ、ひどい……毒のなかに、お、オレを置き去りにするのか!?」
「そのセリフを、貴様が口に出来る資格があるとは思うなよ」
「……っ」
「貴様が苦しめた彼らと同じ目に遭え。真実を吐いているかどうか、確かめることになるな。嘘だったら、死ぬ。真実ならば、助かる。それだけだ。行くぞ」
「う、うう……オレは、オレは、悪くない……軍人として、命令に従っただけだ。オレは……っ」
「黙っていろ。ムダに呪毒を吸うぞ」
「……ッ!!」
口をつぐんだ帝国兵を、肩に担いだ。心配そうなミアとルチアと出会うが、オレも無策で挑むわけじゃない。『風』の球を片手で作り、そいつを口に当てて呑み込んだ。
「……空気を、肺腑にため込んだ!」
ミアにうなずいた。そう。しばらくは、息を吸わなくて済む。肺腑に負担がかかりはするが、これで呪毒の煙を吸わずに、あのハンドルがある場所まで駆け抜けられるというわけだ。




