第四話 『ザシュガン砦の攻防』 その二十七
湯泉のなかに、耳元近くまで体をつけることの楽しさを、どういう言葉で説明できるというのか……。
ああ、至福の快楽の一つと思しきものに、オレは包まれている。お湯に抱かれて、脱力した五体を伸ばしきる……こんなに楽しいことは、罪にまみれたこの地上には、それほど多くは存在しちゃいない。
ただただ肉体に与えられる、やさしくて、そして圧倒的でもある快楽。根拠不明の安心感に包まれていしまうのは、温泉というものがヒトの本能に語りかけてくる力を有しているということの証明になるだろう……。
ガルーナ人でなくとも、耳元近くまで温泉につかったことがある者ならば、この瞬間が一体どれだけヒトの顔を脱力させてしまうか、理解してくれるハズだ。
オレは温泉に融けてしまいそうになりながら、血肉の隅々までが濁り湯の持つ熱量に近づいていく快感を楽しんでいたのさ……ああ、脱力しちまった自分が、お湯サンになってしまいそうだぜ……。
ドワーフの愛する湯の温度は、なかなか高く、この浴室にも湯気が満ちている。だからこそ、ときおり岩を掘られて作られた荒削りの天井から、湯気の集まって、少しだけ冷えた滴が降り注ぐことも愛おしい。
冷たい滴を、赤毛に当てたら、熱が少しだけ頭から遠ざかり、もうしばらくはこの全身をお湯に浸すという行為を継続する余裕が湧いてくるってもんだ。
「……ククク!……ほんと、良い湯だぜ」
耳が、温泉の歌を拾ってくれるのさ。地下からミスリルの鋼管を伝い、気泡と共に浮かび上がってくるお湯は、ごうごうごうと、鋼管を鳴らすのだ。
弾ける泡の放った歌は、ゴポゴポという楽しげな音階を転がって行く。
濁り湯のなかに耳までつけてしまうと、今度はそれらの音楽に自分を交ぜることも出来るのだ。
体内を流れる血潮のざわめきを聞ける。
蛮族の体を暴れるような強さで奔っていく、血潮のざわめきだ……オレたちガルーナ人は耳もいいからな。耳を流れる血潮の音を、温泉の湯に反響させながら感じ取ることぐらいは容易いものだ…………ふむ。さすがに、熱さが過ぎる。
あまり、頭に熱を回すと、深く酔っ払った時みたいに思考の速度までもが落ちてしまう。ただでさえアホ丸出しな蛮族が、選択すべき自虐じゃない。
これ以上、アホになってしまわないうちに、ガキみたいな行動を止めにして、濁り湯から全身を浮かび上がらせるのさ。
赤毛から濁り湯を垂らしつつ、オレは温泉の底に座り直していた。
「……はー……っ。たまらんな……こういう高温の温泉ってのも、文句ナシに気持ちいい場所だ……『メイガーロフ』にも、まさか、こんないい湯があるなんてなぁ……どんな土地でも、実際に足を運んでみなければ、分からないものだ」
……砂漠と荒野しかないだって?
たしかに、パッと見ではそうでしかない。しかし、ちょっと数十メートルばかし地下に潜れば、こんなに素敵な場所が存在したりしているのだ。
『ガッシャーラブル』の風と水の通路と、色彩豊かな天幕を張り巡らせることで作り出す涼しさというのも、ハナシだけでは理解することも難しいことだろう……世界は、不思議と発見に満ちているな、ガルフ・コルテスよ……。
たしかに、アンタの言う通りだったぜ……。
―――だろう?ワシは、いつだって正直者だったんだよ。
……そんな言葉を、思い出が語りかけてくる。あのドワーフみたいに強くて太い歯を見せつけながら、ガルフ・コルテスってヤツは、いつだってユーモアたっぷりな言葉を口にした。アルコール臭い息を吐きながらな。
「……オレも、少しぐらいはアンタに近づけているか……?偉大なる、猟兵たちの、初代団長サマよ……」
天井から落ちる霊泉の滴が湯泉に落ちて、小さな波紋を見せてくれるのさ。そいつは、ガルフ・コルテスからのメッセージじゃないのだろうが……温泉に心を奪われているオレは、ガルフからの言葉だと思うことにした。
「……そうか。そうだろう?……オレも、それなりに苦労しつつ、団長ってものが、どんなことをするべきかを学んでいるんだよ……」
久しぶりに死者と話しながら、オレはニヤリと笑う。クールでマジメで真顔ばかりの死神も、こんなにガルフ的な自由人の笑みをマネすることが出来るようになったんだぜ?
……なかなか、人生ってのは面白い。つい先日は……姉貴と戦場で再会して、初めて会った甥っ子にケンカ売られるなんてコトもあったぜ。
ガルフよ。
アンタが生きていてくれたなら、少しばかり相談に乗って欲しい懸案じゃあるだろ?オレだって、血の繋がった親族と殺し合うのは……それなりに覚悟ってものがいるし、どうにも振り下ろす鋼に迷いが出ちまったりもするんだよ。
……ガルフは、クソみたいな義理の息子がいたし、ヤツとは絶縁状態のままだったよなあ。
あっちはガルフを傭兵の王と崇拝していたが、お前はヤツに……オレがグラーセス王国の城で、ぶっ殺してしまったガラハド・ジュビアンにドン引きしていたよなぁ……。
だから……家族同士での戦い方とか、距離感っていうのかね。
そういうものを……もしも、今、アンタが生きていたら、オレにしてくれそうだったんだがな。
ガルフ・コルテス。やはり、アンタはもっと長生きしておくべきだった。そうすれば、オレたちは今ごろ、三つぐらいは多くの帝国軍の師団を潰しているような気がする。
猟兵の祖……あらゆる傭兵の王。『白獅子ガルフ・コルテス』……アンタが数千の戦士を使いこなす、本領を発揮してくれたら……オレは、もっと楽が出来たんだがな……。
「……ふう……温泉ってのは……心を癒やしてくれるもんだな…………」
両腕を天井目掛けて突き刺す伸ばして、首を左右に動かす。
敵を殺すのに疲れた首が、バキバキバキリと鳴らした。そして、深呼吸をしながらうなだれる……瞳を閉じて、しばらく気配を探る。
……しばらく前から気づいていたんだが。
せっかくの温泉だし、放置しておいた。
取るに足らん気配ではあるが……鋼を抜いたのならば、赤毛の愉快なお兄さん猟兵は、ちょっとは遊んでやる必要があるらしい。
目を閉じたまま、濁り湯で顔を洗いつつ……オレは言葉を使うのだ。
「……よう、ガキんちょ。客人相手に、何をしでかしに来やがった?」
「……っ!!」
無音を目指していたが、まだまだ甘さが残る足音が、ピタリと止まった。悪くはない隠遁の技巧。さすがは、山賊ドワーフたちの一員か……たとえ、それが戦士と呼ぶには、あまりにも幼かったとしてもな。
右目を開きながら、オレはそいつを見た。
そいつは、まだ小さなドワーフだった。10才とかか?……クソ生意気そうで、やんちゃそうな顔をしている。左のほほに、仔犬にでもかじられたような小さな古傷を持つドワーフの子供が、そこにいた。
その手には、よく磨かれたミスリル鋼の手斧を握りしめていた。
どんな顔で応えるべきか?
ああ。頭じゃ考えにくいことだから、顔面が勝手に動くままにしていたよ。オレは、笑うんだ。その勇敢なる未熟な戦士に、魔王としての貌を見せる。
「……で。どうするんだ、ガキんちょ?……このまま、逃げ帰るのか、ドワーフの男として生まれてしまった者が?」
「……う、うるさい!!皆の仇を取ってやるんだ!!この人間族の、極悪人がああああああっ!!」
幼い声が殺意に歌い、小さな足は隠遁を止めて勢いよく踏み込まれた。ドワーフの力強い踏み込みを、この幼き戦士もマスターしつつあるようだ。良いことだ。大穴集落の次世代の戦士は、見所があるようだ。
振り落とされてくる手斧の鋼の鋭さを見つめながら、魔王はやはり笑ったまま動くのさ。
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