004:交わる者たちの世界
二人は落下地点から少し離れた所の岩陰に身をひそめた。
大きく距離をとらないことが才蔵には気がかりだったが、追っ手の人相を確認できるならそれも良しとして一緒に腰を下ろした。
「なあ、童よ。少し……、いや、たくさん、確認したいことがあるのだが、よいか?」
「……そう……だろうね。……だって、この世界は知らないものばかりだろう?」
才蔵はギョッとした。
「な、なぜそれを知って──」
「あたし、『探究者』だから」
童は退屈な質問をあしらうように被せぎみに答えた。
──知っているのか──。
この童は、自分の中に渦巻く無数の疑問の答えを知っている。
童の態度に才蔵はそう確信した。
ここはどこなのか? なぜおかしな神通力が使えるのか? あの化け猪はなんなのか?
昨晩からの不思議な出来事の答えが全てここにある。
才蔵は気持ちがはやり過ぎて、いったい何から聞いたものかとしどろもどろになっていた。
「少し聞いて」
そんな才蔵を横目に童のほうから口が開かれる。
才蔵も気恥ずかしそうに「……う、うむ」と咳払いして黙って耳を傾けることにした。
なにせ疑問が多すぎる。ならば一問一答していくよりも、概要を聞いて、そこから類推したほうが早いとも考えた。
「ここは『交わる者たちの世界』と呼ばれていてね。あんたがいた世界とは別の世界なんだ。残念だけど、もう、戻ることはできないと思う。きっとあんたは、「いつの間にかここにいた」んだろう? 来る方法がわからないのと同じで、帰る方法もわからないんだ。」
「そ、そんな馬鹿な。それではまるでお伽噺に出てくる『遠野の里』ではないか、拙者が『神隠し』にあったとでも──」
あまりにも突拍子もない話に才蔵は思わず口を挟んでしまった。
だが童は沈黙をもってこれを是とした。
「──拙者は神隠しにあったのか……」
「その、あんたが言う『トオノ』とかいう世界は知らないけど、似たようなものだと思う」
「この世界には、他の世界から色々なものが渡ってくるんだ。”物”から、”動物”や、あんたのような”人間”までさまざま。一番大きかったのは、”国”かな?」
「国だと……」
「ああ、今は『ライザース帝国』という国になってる。渡ってきたのはもう1000年も前だ。一夜にして世界の三分の一が入れ替わったそうだ」
才蔵の経験した戦の中でも、一晩の内にすぐ近くまで敵軍が領土を広げてくることはあった。そのため「なるほど」という表情で聞いてはいたが、もちろんライザース帝国の話とはまったく規模が違う。
才蔵の中にある国という概念はあまりにも小さすぎた。
「もっとも、”人間”が渡ってくるのはとっても珍しいことなんだ。もちろんその人間に実際に会って、世界と和合させたのなんて初めての経験だし、一生経験しないまま引退する探究者がほとんど」
「ちょっと待ってくれ、『世界と和合させた』とは何のことだ?」
「何って、さっき話ができるようにしただろう? それのことだよ。この世界にあんたの存在を認めさせ、あんたを世界の一員として迎え入れたんだ」
さすがに荒唐無稽すぎて理解しがたい内容だったが、とにかく知らない言語でも会話ができるようになる便利な術だと才蔵は飲み込んだ。
確かに薩摩の者などのように、訛りの強い地方の者と会話するときには便利だろう。とも思った。
「それが『探究者』の『和同』っていうスキルさ」
「すきる……とは、その妖術のことを指すのか?」
「『スキルが、スキルのことを指す』ってどういう意味……?」
一瞬、二人の間に沈黙が産まれた。
「そっか、”あの国”の住人じゃないから『スキル』じゃ翻訳されないのか!!」
白装束の童は気が付いたが、才蔵は首をかしげたままだ。
「スキルじゃなくて、えーと、特殊能力!! と言えばいいのかな。そう『和合』は特殊能力なんだ」
「な、なるほど、特殊能力か……」
「やっぱり通じた!」
良くわからないままにはしゃぐ相手に、才蔵はやや引き気味に様子を眺めていた。
「さっき”国”が渡ってきたって言ったろ? 『スキル』は、元々その国の古い言葉だったから翻訳されないんだ!」
つまりはこういうことらしい。
『この世界』と、『ライザース帝国』の言葉は、和合で翻訳されるようになった。
『この世界』と、『渡ってきた才蔵』の言葉も、和合で翻訳されている。
でも、『ライザース帝国』と、『才蔵』の間では翻訳が成り立たない。
だから、その国の言葉であるスキルは才蔵には通じなかったのだ。
白装束の童は新しい発見を興奮気味に紙に記していた。
もはや才蔵はほったらかしである。
才蔵は『探究者』というのはこういうものなのかと思うほかなかった。
「あれ、ちょっと待って! スキル、いや特殊能力を知らないってどういうこと?!」
「い、いやもう意味も分かったしスキルで良いが、拙者のいた世界にはスキルを持ったものなどまずおらぬ。たまに妖しい術を使うという者もあるが、大抵は見世物まがいのまやかしだ」
「だって、あんなに高く跳んでいたじゃないか、あれがスキルじゃないっていうの?!」
才蔵はハッとした。疑問だった神通力の正体が瓦解したのだ。
白装束の様子から、てっきりスキルとは、光ったり、何か出たりするものだと思っていたからだ。
「そうか、あれも『スキル』なのか……」
小声でこぼすと、ジャンプするたびに聞こえていた囁きを思い出した。
(はいふぁじゃーんとか言っていたような……)
確認すると、スキル使用時に確かに声が聞こえるという。『精霊の囁き』と呼ばれているそうだ。
「びっくりしたよ。スキルも使わないであんなに飛べるのかと思ったじゃないか」
スキルもなく、何十メートルも跳ぶ方法があるならまたまた大発見だったのだが、残念、当てが外れた。
童は急につまらなそうな顔になってしまった。
表情がコロコロ変わる辺りはまだまだ子供のようだ。
(──はて、そういえば、癇癪玉を投げたときも『精霊の囁き』が聞こえてきたような……)
つまりは、あの巨木を飲み込んだ大爆発が才蔵のスキルである可能性が出てきたのだ。
才蔵は急に背筋が寒くなった。
癇癪玉の残りがまだ、懐の竹筒に無造作に入っているからだ。
そおっと懐に手をやり、癇癪玉を取り出してみると、残りはあと8発。
化け猪と対峙したときは2発同時に使ったので、あの大爆発4回分が手の中にあることになる。
(ま、まさかな……こんな小さな癇癪玉に、あれほどの爆発力があるわけがない……)
過去には調合を間違えて暴発させたこともあるが、そもそもがビー玉程度の大きさだ。暴発したところで破壊力などごくわずか。
だからあの大爆発において癇癪玉の破裂はきっかけにすぎず、可燃性のガスが窪地にたまっていたとか、火山の部分噴火があったとか、その他の外的要因が主となるものだと考えていた。
しかし、ジャンプ力が数十倍にも強化されたことと、童の使うスキルがさまざまな多様性を持つところを考えると、”まさか”が現実味を帯びてくる。
そう考えると思わず手が震え、癇癪玉がこぼれ落ちそうになる。
才蔵は「そんなはずはない」と自分の手に言い聞かせ、そそくさと癇癪玉を竹筒に戻し懐へとしまった。
「どうかしたのか?」
才蔵の不審な動きに白装束の童も気が付いたが才蔵は「なんでもない」とだけ答え、衿を整える。
「と、ところで、お主、年はいくつだ? 名もまだ聞いていなかったな」
話をそらすために才蔵が適当な話を振る。
「レディーに年を聞くなんて失礼なおっさんだな」
童は頬をふくらませて、悪態をついた。
「む、『れでぃ』とはなんだ?」
「女だよ。お・ん・な──。あたしみたいな大人の女を言うんだよ」
そう言うとちょんと立ってポーズを作ってみせる。
妙齢の女性が同じことをしたならばさまになるのだろうが、いかんせん眼前の童には齢8~10程度の背丈しかない。
ニッと作った笑顔はかわいらしいが、それは背伸びしてみせる小さい子供の仕草がかわいいのと一緒で、女性らしい美しさとはやはり違う。
おまけに言うと、前歯が1本欠けている。
思わず才蔵が吹きだすと、童はついに怒り出した。
「んだよこのジジイ!! お前こそ古い言葉を使いやがって、実は300歳とかなんだろ!!」
才蔵の使う江戸言葉は、この世界では古文のように翻訳されていた。
発言は全て古めかしいものに置き換えられていたのだ。
「な、何を言う! 拙者、名は才蔵! 年は数えで22になる! 300など”もののけ”ではないか」
才蔵の反論に驚いたのは童のほうだった。
「え、年下……。」
「なに……?」
「……あたしは『コレン』、今年で26だよ。見ての通りハーフリング──小人族だからね」
26が本気なのか冗談なのかわからないが、冗談を言う空気ではないのは確かだ。
才蔵はなんと返していいものかわからずに固まっていた。
しかし黙っていてもしかたがないと、おそるおそる口を開いて疑問をぶつける。
「すまんが、その『はーふりん』とかいう小人族とはなんだ……?」
「そこもかよ!! あんたの世界、常識違いすぎだろ!! だいたいなんだよその黒づくめ!!」
「これは黒ではない藍色だ! お主とて白装束など着おって! 勘違いするではないか!」
ハーフリングは人間に良く似た亜人種。
身長は人間の半分ほどだが、その分敏捷性が高く、手先も器用だ。
性格も明るく陽気なことが多い。
才蔵は当然そんなことは知らないので童と呼んでいた。
コレンもコレンで、産まれた時から忍びを生業としていた才蔵の顔は同年代よりも数段険しく、大人びた表情だったため、ずっと年上であると思っていた。
コレンは怒りながらも、まくし立てるように種族の違いについて説明した。
内容はこのような感じだ。
『人間』は自分たちを『始祖』と呼び、この世界が生まれた時から存在しているとして、世界の主権を主張している。
『ハーフリング』のような亜人種は複数あって、どれもこの世界に渡ってきた存在である。
ライザース帝国が渡ってくる前からいた亜人種は、『古生亜種』と呼ばれ、後のものを『新生亜種』と呼んでいる。
『人間』は、人口、領土、政治力、経済力などのほとんどで他種族圧倒し、実際に世界の主権を握っているといっても過言ではない。
『ハーフリング』を含む『古生亜種』は、人間世界の片隅でしいたげられた生活をしている場合が多い。
『新生亜種』はライザース帝国から出現したものがほとんどで、種族は多用なれど、主権を主張する人間とは対立関係にある。
「そんなにあるのか……、拙者の世界は、そうだな──
才蔵はコレンの緑色の瞳をちらりと見やった。
──目や、肌の色に多少の違いはあっても、人間しかおらん。皆、同じだ」
「そんな世界もあるのか……、やはり”人間”はどこでも強いな」
わめき散らしていたコレンが、火が消えたように消沈した。
この話は明らかに失敗だった。
自らをしいたげられた種族と述べたのちに、さらなる人間種の繁栄を知らされたのだから当然だ。
「し、しかしだな、同じ人間だからといって、軋轢がないわけではない、戦も絶えないし──」
取り繕う才蔵にコレンが割って入る。「──いいや」
「まだ、あんたが”人間”と決まったわけじゃない。人間そっくりの”新生亜種”という可能性もあるだろう?」
「ま、まあ、そうか? ……確かにそれ──」
「だから、ちょっと調べさせろー!!」
コレンが才蔵に襲い掛かろうとした瞬間だった。
落下地点の方向から、ぽきぽきと小枝を折りながら歩く人間の足音がかすかに聞こえてきた。
コレンの言っていた追っ手がせまっていた──。
すいません。大幅修正しました。