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忍者という職業はまだない  作者: 菜香野はる
序章:神隠し
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002:神通力

 巨木の根元は大きな日陰となっているため、草木もまばらで少し開けている。

 謎の人物が近づいてくるにつれて、その様相も少しずつうかがえるようになってきた。


(なんと……、これは、人身御供か……?)


 女か子供かという背丈に、全身に白くたなびく装束。

 手に持つ杖には金属の装飾が施され、これがこすれてジャリンジャリンと物音を立てていた。

 違和感を覚えるほど清潔で真っ白な装束は、これが特別な儀式であることを物語っていた。


 同じ装束でも、くたくたに使い込まれ、着る者が屈強な成人男子となれば、『山籠もり中の修験者』という可能性もあったが、この幼顔ではありえない。

 軽装で、山々を渡るための備えもほとんど見受けられないという点も、この者の旅が片道であることを物語っている。


(不憫な……、この見知らぬ地にも、かような風習があったのか……、)


 しかし、この人物を知ることで才蔵はまた新たな疑問に直面することとなった。


(はて? あの身なりは、一体いずこの風習か?)


 さらに距離が縮まると、身なりの細部まで判別できるようになってきたが、着用している装束はいままでに見たことのないものだった。

 額につけられた紋様も、杖の装飾も、どの宗派とも流派ともわからない。

 少なくとも近隣の山村では、このような装束で人身御供に出すという風習などなかった。


 見知らぬものは草木ばかりに止まらい。

 この地の文化もまた、未知のものであると気付かされた才蔵は、酷い孤独感に身を震わせた。


(おかしい……、もしや、誤って北方へと出てしまったのだろうか? 北の方には『蝦夷』という未開の地があると聞いたことがある。そこへ迷い込んでしまったのかもしれん……)


 自分以外の人物を発見して、生きているという実感を得たのか、『冥府に落ちた』などという妄想はどこへやら、才蔵はあらためて自身の状況を分析し始めた。

 その目にはもう『あきらめ』の色はない。


 ただ、『蝦夷』へと渡るには海を越えねばならないのだが、その点については単に才蔵に知識がなかっただけである。


(そうだ、拙者が見つからぬとなれば、猟犬どもも根城へ帰るはず……、それをつければ、里の近くへと戻れるやもしれぬ……)


 才蔵は脇腹を押さえていた手を確認した。

 幸いにも流血は弱まっていたが、あまり長時間、長距離の移動は難しそうだ。

 ここまでの道のりを考えると、上手く事が運んだとしても、一か八かの賭けとなる。


(それとも、あの人身御供となったものに聞いて……、いや、自分の来た道すら覚えているかどうか、あやしいものだ)


 幼子の足で来たことを考えれば、距離としてはこちらのほうが圧倒的に近いはず。

 しかし不確定要素が多すぎる。

 この近くまで籠などで運ばれて来た可能性もあるし、見知らぬ里へ出たところで体を休められるような環境とは限らない。


 才蔵が、とりあえず猟犬の側へと賭けることを決めたとき、この巨木をも揺する地鳴りが響いた。


(──な、なんだ?!)


 びりびりと巨木の枝が揺れ、葉がこすれて騒ぎ出す。

 追いかけるように、大きな獣の雄叫びが響き渡った。


(──真下! だと?!)



 才蔵が驚くのも無理はない。雄叫びは先ほどから観察していたはずの木の根元から聞こえてきたのだ。

 近くに存在するのは、猟犬2匹と白装束の人物1人だけだったはず。

 つい先ほど人間の方を見落としたことから、さらなる緊張を持って気配を察知していたはずなのにこれである。


 超至近距離での雄叫びは、その大きさから牛や熊以上の体躯を持つことが明らかだった。

 そして、そんな巨大な動物など才蔵には覚えがなかった。


(これもまた、拙者の知らぬ『何か』なのか?!)


 咆哮には驚いたが、すでにそのような存在への驚きは薄かった。

 なにせ、追いかけてきた猟犬2匹以外は、周囲の全てが見知らぬ存在なのだ。


 才蔵は慌てて下の様子を覗き見る。

 するとそこにいたのは巨大な猪の化け物だった。

 口元から4本の長い牙を伸ばし、その巨躯は牛3頭分はあろうかという大きさ。

 黒い土煙をまとい、なにやら苦しむように頭や身体を振り回している。


(なんという大きさ! もしや土中に潜んでいたか……、ッッ!!)


 そこまで観察したところで、才蔵は変わり果てた猟犬の姿に気がついた。

 1匹は化け物の口の中に、もう1匹は踏みつけられたのか地面に臓物をちらしていた。

 どうやら、化け物の出現の瞬間に鉢合わせしてしまったらしい。


 これで、この世界における才蔵の見知ったものは何一つなくなってしまった。

 同時に生きて戻るための頼みの綱をも失ったことになる。


 才蔵が絶望の表情で放心していると、猪の化け物は次の標的に狙いを定めて動き出した。

 もちろん標的は白装束の人物だ。


 才蔵はハッとして気を取り戻した。


(人身御供はこのためかッッ!!)


 才蔵の中で一つの辻褄が合った。

 だが、その人物をそのまま人身御供にくれてやることはできないと才蔵は気が付いた。

 猟犬を失った今、最後の望みとなった人物をむざむざ失うわけにはいかない。


 才蔵が白装束の人物を見やると、咆哮に腰を抜かしたのかへたり込んでいる。

 幼い子供でなかったとしても、あの咆哮と巨躯に晒されてはこうなって当然だ。


(いかに……ッ)


 化け物の行動はすばやかった。救出方法を考える時間すらなく化け物は人間の眼前へと迫っていた。


 才蔵が最後の希望も失ったかと思った瞬間。不意な衝突音とともに、突進していた化け物が横に弾き飛ばされた。

 座りこんだ白装束の人間は無傷のままだ。


(何が起こった??)


 才蔵が目を凝らすと、なにやら透明な傘のようなものが朝日を浴びてきらめいていた。

 目をこすり、再度確認しようと見やると、氷のように解けて、跡形もなく消えていく。


(氷の傘だと……??)


 才蔵が戸惑っていると、化け物と対峙する人物の正面に再び透明な傘が現れた。

 そして再び化け物が弾き飛ばされる。


(な、なんなんだ、これは?!)


 最早、多少のことでは驚かなくなっていた才蔵だが、これには目をみはった。

 巨木も、巨大猪も、人身御供も、元となるような、似通った存在を知っていた。

 だがこれには『元』が存在しない。


(氷か? ぎやまんか? いや、そんなに頑丈なものは聞いたことがない。一体どこから取り出している? いやいや違う、もっと根本的なところがおかしい! そうだ、何故あれが『浮いている』のだ?)


 白装束の人間が何やら叫ぶ度にその傘は開いた。

 空中にとどまり、猪の進攻を阻害する。


 何度か繰り返すうちに猪も疲れたのか、無鉄砲な突進を止めて、鼻先で透明な傘を押し込みだした。

 白装束の人間はそれを抑えるように両手を伸ばしているが、こっちも疲弊しているようで、しばらく拮抗していたが、やがて透明な傘が音を立ててひびを走らせる。


「──いかんッ!!」


 才蔵は思い出したかのように枝から飛び出した。


 手の中には癇癪玉が二つ。

 才蔵自身、あの巨体がこれでおののくとは思えなかったが、わずかに隙を作れば人物を抱えて、逃げることはできると考えていた。

 『天狗の神通力』と認識している脅威のジャンプ力に賭けていたのだ。


 才蔵は落下しながら猪の足元に癇癪玉を投げつけた。


【 火遁 ・ 業火の渡り 】


 また、謎の声が頭に響いた。

 今度は才蔵の良く知る日本語だったため、才蔵もさすがに耳鳴りや風切り音とは考えなかった。

 ──何かが囁いた。と思った。

 だが今は、その何かを探している余裕はない。

 才蔵は集中を切らすことなく一直線に落下していく。


 さすがに癇癪玉の狙いは正確で、化け物の目の前に閃光が走る。

 閃光からわずかに遅れて才蔵が着地すると、白装束の人間を強引に脇にかかえ、間髪入れずに再び跳び上がった。

 今回ばかりは力加減ができない。全力でジャンプしてそこを離脱した。


【 ハイパー ・ ジャンプ 】


 神通力は健在で、人ひとり分の重さが加わったにも関わらず、まるで無関係のようにぶわっと空中に舞いあがった。

 まっすぐ伸びる巨木の幹をなぞるように才蔵はみるみる上空へと登っていく。

 いったんは先ほどの枝に戻って仕切り直そうという算段だった。


 だが、その算段はすぐに破綻した。


 癇癪玉の炸裂した地点から赤々とした炎が膨れ上がっているのが見えた。

 火薬を使った忍具とはいえ、癇癪玉は閃光や炸裂音、配合した薬品による刺激をともなう煙で、相手の注意をそらしたり、一時的な混乱を引き起こすための忍具である。

 目に見えるほどの炎が上がることなどありえないはずだった。

 それが今、足元で火山の噴火のような勢いで膨れ上がっている。


「──馬鹿なッ?!」


 油のような何かに引火したとしても、ここまで激しく燃え広がることはないだろう。

 その勢いは猛スピードで上昇する才蔵にぐんぐん迫ってくるのだから。


 才蔵はとっさに巨木の幹を蹴り飛ばした。

 間一髪、炎の塊は才蔵のわらじをかすめながら天へと昇って行く。

 同時に、化け物の咆哮よりもはるかに大きな轟音が辺りに響き渡り、才蔵の聴覚を支配した。


 空中で振り返ると、あれほど巨大だった木が、立ち昇る火柱に丸ごと飲み込まれていた。

 火柱は呆気にとられる才蔵を赤々と照らし、朝日よりも明るいとも思われた。


「あれが……癇癪玉、なのか……?」


 才蔵は着地の事も忘れて空中を漂っていた。

 小脇に抱えられた白装束の人間が何やら懸命に訴えていたが、才蔵には届かなかった。

 爆音で鼓膜が破れたわけではない。


(……ああ、言葉すら、拙者の知らぬものだ……)



 間もなく爆風が衝撃波となって押し寄せ、二人を吹き飛ばした。

 才蔵は熱風に煽られながらついに気を失い、二人はもつれ合ったまま森の奥へと消えていった。

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