第三話
死を覚悟した青年の目の前で、巨大な影は爆音と衝撃波と共に吹き飛んでいく。大きく飛んだ巨体は砂漠に叩きつけられ、爆発したように砂塵を巻き上げた。
ほとんど視界を塞がれていたので定かではないが、巨体は、飛来した何かに弾き飛ばされたように見えた。
それを確認するべく青年が回りを見渡すと、少し離れた砂丘から、人影がこちらに向かってくるのが見えた。
「あれ、あんたは……」
しばらくして人影が近づいてくると、顔と身体の線からそれが女性であることが分かる。
肩口で切られたオレンジの髪に、きつそうな印象を与える鋭い眼光。それから、身に纏う青い薄手のコートに、両手にはめられた黒いグローブ。コートの右肩には、この国、ベルフェス王家の紋印が刺繍されている。
それは、見知った顔。ベルフェスの王立救命所に勤務する救護魔術師、フェイリン・キアエンヴィだった。
「はい、住民証をお見せ下さい」
フェイリンの言葉は丁寧でも、声はダルそうに、その目は半眼でユオを睨め付け、片手を腰に当てて斜に構えている。とてつもなく面倒くさそうだ。
だがそんなことはいつものことなので、青年は、気にせず右腕のブレスレットを胸の高さに持ち上げる。フェイリンは黙って、ブレスレットに手を置いた。
「……住民コード、RK3240d。ユオ・バーオニル。確認しました」
そう言うが早いか、近くにいるのも嫌だという風に、フェイリンはブレスレットから手を離し、影の飛んでいった方向を見た。
それと同時に、砂が爆ぜ、大気を揺るがす巨大な咆哮が響き渡った。
見ると、影が起き上がってこちらを睨んでいた。
「……おいおい、まだ生きてんのかよ」
呆れるユオを尻目に、フェイリンは一歩踏み出す。
「全く、何がタイプCなんだか……どう見てもBはあるじゃない。あの子、帰ったらお仕置きね」
フェイリンが睨む先には、巨大な影――砂漠特有の流線型の身体を持った竜が今まさに敵を喰らわんと力を溜めている。
ユオは、背中の大剣に手を伸ばした。
「ユオさん、下がっててください。その身体では、足手纏いです」
きつく言い竦められ、ユオの足が止まる。
確かに、今のユオは、体力も限界で、腕には大きな火傷ができている。これでは、力が出し切れずに満足に動けないだろう。
「ちっ、仕方ないか。んじゃ、任せる」
そこまではっきり言われては、引っ込むしかない。
ユオは剣の柄から手を離すと、一歩下がり、一級魔術師の実力を見物することにした。
▽
度重なる衝撃で舞い上がった砂塵が、辺りを覆い尽くしフェイリンの視界を奪う。だが、その中でも砂の天幕の向こうに黒い影がうごめいているのが分かるほど、目の前の竜は巨大だった。
高さにして、大体人間の五倍ほどはあろうか。体積となれば、数十倍は軽くありそうだ。
これは間違いなく、CではなくBだ。
『タイプC:人を捕食対象とする可能性があるが、基本的に人間を恐れているため,比較的容易に追い払うことが可能』
『タイプB:動物全般を分別無く捕食対象とし、一般人に追い払うことは難しく、放置すれば大きな被害を出す可能性がある』
そんな図鑑に載っている情報を思い出し、フェイリンは舌打ちをした。
この程度の相手ならば、特に苦労も無く追い払える実力を持っているが、それでも時間のかかる面倒なことは出来る限りしたくないというのが本音だった。
「全く、探査員の子と所長、どっちに文句言えばいいのかしらね……」
文句を言いつつ、身体の中の魔力を昇華させていく。フェイリンの身体を取り巻くように、紫色の電光が走った。
電光は、静電気程度のものから徐々に、しかし目に見えて強さを増し、大気を焦がしてバチバチと鳥の鳴き声にも似た音を立て始める。
竜も目の前の少女の異変に気付いたのだろうか、慌てたようにその巨大な口を開け、フェイリンに迫り来る。
「――――目、鼻、耳。およそ全ての狙うもの。爪、牙、角。およそ全ての攻めるもの」
フェイリンは、顔色一つ変えずに、迫る竜を見据え右腕をゆっくりと差し出した。手の平を覆う黒いグローブの色が変わって見えるほど、右腕に電光が集まる。その強力な電気の余波で、フェイリンの髪が扇のように広がる。
それは、さながら威嚇を行う獅子の如く。鋭い眼光が竜を射抜く。
「――――追いすがり、打ち崩せ」
一瞬だった。
言葉が終わると同時に、紫の閃光、そして轟音。それらがたった一度、一瞬にも満たないような刹那に空間を埋め尽くし、消えた。残ったのは、電光の槍に貫かれ、一切の生命活動を停止した一体の竜だけだ。
竜は動かない。しばらくは獲物を狙う姿勢で止まっていたが、遂には力を失った脚部が自重を支えきれなくなり、大きな音を立てて倒れた。
砂煙が舞う。フェイリンは鬱陶しそうにそれを手で払うと、後ろに立つ男を振り返った。
「それでは、行きましょうか。見たところ、あなたには治療の必要があるようですし。二人分の転移は疲れるので嫌なのですが、まあ業務なので。我慢するとします」
▽
それは、冗談なのか本気なのか、不機嫌そうな顔を見ると後者の可能性が高いかもしれない。だが、人の感情の変化の機微に疎いユオには、どちらだか判断がつかなかった。
「はは……まあ我慢してくれ」
だから、そんなことしか言えない。
ユオは、会話というものが苦手だ。育った環境が環境なのだから、仕方ない部分はあるのかもしれない。学校というものに通っておけば、また少しはマシだったかもしれない。だが全ては、終わった話。みんなが生きることに必死で、他人に構っている暇など無かった頃、パンが盗めれば会話など必要なかった。
余計な絵が頭に浮かんで、ユオは慌てて頭を振って打ち消した。そしてもう思い出すまいと違うことを考え始める。
それにしても、先ほどの戦闘は凄まじかった。派手さには欠けるかもしれないが、正確無比な攻撃で、あの大きさの竜をほぼ一撃で倒してしまったのだ。いつ見ても、魔術師というのは恐ろしい連中ばかりだ。
世の中に魔術師だらけなので、そんなことを思う人間は少ないかもしれない。だが、魔術の使えないユオには、そんな感想しか浮かんでこなかった。
「じゃあ、転移しますよ」
「ああ、わかっ……」
転移すると聞いて、フェイリンの肩を掴もうと伸ばした手は、身体を逸らしたフェイリンによって空を切った。
他人に転移させてもらうときは、相手の身体に触れている必要があるはずなのだが。
「ああ、すみません。どこを触られるかと、少し恐怖してしまって」
「……俺を何だと思ってるんだ」
質問に、フェイリンはユオの姿を一度見て口を開く。
「お世辞と顧客サービスを織り交ぜてオブラートに包み込み、尚且つ歯に絹を着せつつ答えますと、少し野性的なだけの清純無垢な紳士かと」
「もうそれは嘘と同じだな。少し怖い気もするが……はっきり言うと?」
「浮浪者」
「……泣きそうだ、俺は」
「お風呂には入るべきかと」
「金があればな……ってもういい。俺が傷つくだけだから、早く行こうぜ」
「そちらから尋ねられたから答えたのですが……まあ、私は寛大なので気にしないことにしましょう」
今度こそ、ユオの手はフェイリンの肩を掴んだ。
フェイリンは一瞬、なぜか嫌そうな顔を見せたが取り繕って表情を消すと、ぶつぶつとユオには聞き取れない言語を紡ぐ。
二人を包むように風が渦巻く。
目を閉じると、身体が浮き上がっていくような感覚に襲われる。
ユオは、この不安定な感覚が好きになれない。それは、魔術が使えないがゆえの、未知なる物への恐怖かもしれない。
風が集束する。そして一瞬の光と共に、二人は広大な砂漠を後にした。