09 あなたの言っていることっていまいちよくわからないわ
「ジェスト様」
新婚旅行5日目。
ディスカは、暇潰しに本を読みながら首を傾げた。
「なんだい」
「レイラさんの元へは、行かなくても良いの?」
てっきり、新婚旅行は毎日のようにレイラの元へ行くものだと思っていた。新婚旅行から帰ってからもそうだと思っていたが。
しかし、時折レイラの元へ行っているようではあるものの、毎日のように通っている様子はない。というより、ディスカを誘って出かけた日まである上、家にこうしているのだ。
「レイラさんが寂しがるのではなくて?」
「レイラが?……はは、それはないよ」
レイラは意外にも、1人を満喫したりもできるタイプらしい。ディスカは無理だ。
ジェストがいないと、寂しい。本人には言えないが。
「ねぇ、ディスカ」
「なんですの?」
「君には、好きな人がいるんじゃない?」
ジェストが、真っ直ぐにディスカを見つめた。どきりと胸が鳴る。押さえるように、胸に手を当て、なんのことです?とシラを切る。
「僕の勘違い?そんなことはないよね。ディスカ、君には好きな人がいるから、政略結婚が嫌で僕と契約じみた結婚をしたんじゃないのかい?」
「いいえ違いますわ。それに、ジェスト様。約束をお忘れになったのではなくて?
何も聞かないでください、と。みっつめに入れたはずですわ」
「ふむ。確かに。じゃあ、答えたいことを答えてくれるだけでいいよ」
ジェストは、座っていたチェストから立ち上がった。そして、ディスカに近づいてくる。
「君のことを好きになってもいい?」
あぁなるほど、とディスカは合点が行く。
(この人はからかっているんだわ)
そうでなければ、ディスカにそんなことを聞いてくるはずがない。好きになってもいいか、だって?
「ダメに決まっているでしょう。あなたには、レイラさんがいますわ。それに、言いましたでしょう?
私を愛さないから、あなたを選んだのだと」
今更、恋愛には憧れもしない。
置いていかれる側の悲しみなど、ディスカには到底知ることもできない。知人が死ぬよりも、愛した人が死ぬ方が悲しいに決まっている。
ならば。悲しみが少なくて済むのはどっちだ。むしろ、政略結婚で迎えた妻など、踏み台にするぐらいの勢いでいかねば。
ジェストには既に愛する人がいる。レイラという、ご令嬢が。ならば、どうすべきか。
(悩むまでもないわよ)
「君が愛しているのは、あの従者かな」
どこか、悲しさを含んだ声だった。
「三年経ったら、この地を離れる?あの、エディというやつと、駆け落ちでもするのかい?」
そんな言葉は、向けないでほしい。
ジェストはディスカと目を合わせると、ふわりと抱き寄せた。
「君なんて、愛してないよ。愛して、ない。愛してなんかない。___君がそう望むからね」
耳元に唇を寄せ、擦り寄るようにしてくっつく。
まるで、ディスカを愛している、とでも言うような声だった。何を言っているのか、理解しない。理解できない。
___君がそう、望むからね。
(私が、私が望んだから?どういうことなの。……いいえ、私が望んだのよね。どういう意味でもないわ、きっと)
「レイラのところへ行ってくるよ」
ディスカを離すと、ジェストは立ち上がって振り向かずに行ってしまう。
(レイラさんのところへ?あぁそうよね、レイラさんを愛しているのだものね)
ジェストが抱き寄せた時に、腕が当たっていた場所を摩りながら、ディスカはぺたんと座り込んだ。
「お嬢様?」
たまたま通りがかったエディが、座り込んだディスカを心配して駆け寄ってくる。
「エディ。どういう意味なのかしら」
「は?」
たまたま通りがかっただけであり、先ほどのやりとりを知らないエディは、ディスカの言葉に首をひねるばかりである。
「私が、望んだからだというの?どういう意味なの。あなたは、レイラさんを愛しているのでしょう……?
ああ違うわ、私が考えても仕方のないことよ。愛されては困るもの。私は知人程度の情しかいらない。だって、わからないもの。愛した人の死を悲しむ心なんて。
きっと悲しいわ。愛した人が死ぬのは。
そんな悲しみを、与えてはいけないのだもの」
「お嬢様……」
エディは、ぼんやりとした目で虚空を見つめ、ただブツブツと独り言を言うディスカを見ていることしかできなかった。
掛けるべき言葉など、見当たらない。
思い浮かぶ感情は、ディスカをこんな呪いにかけた魔女やシェゼンスタ公爵への途方も無い怒りだけだ。
*・゜゜・*:.。..。.:*・'*'・*:.。. .。.:*・゜゜・*
「ディスカ」
「何?」
就寝前、ディスカは枕元の明かりで読書に勤しんでいた。隣でジェストが寝ていると思うと、気恥ずかしくて安眠どころではない。
少し慣れてきてはいるが、それでもなかなか寝付けないのである。
「今日も街に行ってきたんだよ」
「あらそうなのね」
約束の一つに含めたからであろう。ジェストは、1日に1回、ゆっくり話す時間を取ってくれる。
ただ、話す内容がレイラとのことばかりなのは仕方のないことと諦めている。
ディスカは、本から目線を上げずに話を聞いていた。
「この前、髪飾りの話をしただろう?」
「あぁ、そんな話もしたわね」
ここに来てすぐぐらいの話しだ。
「あの時は買ってないと言ったが」
「買っていたのね?」
「今日買ってきたよ」
てっきり、あの時にはもう買っていた、という話をしているのだと思っていた。しかし、ジェストの話しによると、今日買ったらしい。
「あらそうなの、レイラさんは喜んでいた?」
「いいや」
あら?と思う。
しかし、気に入らなかったのだろうと思うぐらいで、それ以上は何も思わない。
「あげていない」
「何を言ってるの」
ここに来て初めて、ディスカは顔を上げた。ジェストの表情も見たかったし、本気で何を言っているのか理解し難かったからである。
「じゃああなたがつけるというの?それとも、新しい愛人でもできまして?」
「……いや違う」
ジェストは、眉根を寄せて少しばかり不機嫌になった。
「既婚の男が、女物を買う。さて、誰に渡すものだと思う?」
「……まさか」
「君に、だよ」
あはは、馬鹿らしいわ。笑おうとして、笑えなかった。ジェストの顔が本気だったからだ。
おかしい。
「ねぇ、今日のあなた変だわ。朝にもおかしなことを言っていたわね。私が愛さないで、と望んだからなんだというの⁉︎」
「朝のことは僕もどうかしていたよ。君と結婚する時の約束を、忘れたわけじゃないんだよ。でもね、少し、そう、忘れていたのかもしれない。
髪飾りは、あれだよ。形ばかりの妻に、形ばかりの夫から。体裁だよ」
ジェストは頭を押さえて空を仰ぎ、それからため息を吐いてディスカに小箱を差し出した。
「あぁそう、体裁なのね。そうね、体裁は大事だわ」
ディスカは、小箱を受け取るための自身への言い聞かせとして、何度もつぶやいた。それでないと、舞い上がって勘違いでもしてしまいそうだった。
「開けても構わない?」
「いいよ」
中に入っていたのは、真珠をふんだんに使った白い髪飾りだった。
「黒い君の髪に、白い髪飾りはきっと良く似合うよ」
穏やかに微笑むジェスト。
今、この視線を独占しているのはディスカだと、そう思った。