08 少なくとも今は最低男でいる必要があるのかな-ジェスト視点-
「で、ジェスト様。いかなることがあったらこんなことになるのか、是非とも教えていただけません?」
ぽってりとした唇を不満げに尖らせ、やれやとばかりに頭を振り、彼女、レイラ・ドーバンはコツコツと人差し指でテーブルを叩いた。ドーバン男爵家は、ジェストにとって些か居心地が悪い。
所在無さげに座り直し、明かりを取り入れるための窓に視線を這わせてからレイラに視線を戻す。
「……いや、言いたくないね」
レイラは何度目かのため息を吐いて、長い黒髪をかきあげた。
「言いたくない、ですってぇ⁉︎」
甲高い声でレイラは、ヒステリックに叫ぶ。
「今後の、わたくしたちの関係にも関わってくる問題を!あなたは!……はぁ」
キィキィと喚いたと思えば、レイラは肩で息をするようにして言葉を止める。肺活量などには問題がないはずなので、レイラが言葉を止めたのは言う意味がないと気付いたからか。
「で、ジェスト様。仕方ないので、言いたくないことは話さなくて結構よ。ただ、そう、あのディスカ・シェゼンスタ様との馴れ初めでもお聞かせ願える?」
トントン、と指が机を叩く。頭でも痛いというのか、レイラは頭を左手でさすっていた。
「あぁいいとも。それぐらいならね。君は僕の大事な人だから。誤解のないようしておかないと」
「ごかいもろっかいもありません!」
「……まぁ、うん、そうだね」
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「〝美しき黒薔薇姫〟が社交界デビューだとよ。ジェスト、お前知ってる?」
「レディ・ブラックローズ?」
「お、情報通のお前でも知んねえのな」
きらびやかな社交の世界は、情報の世界でもある。元々女性にあまり興味のなかったジェストは、噂の渦中である女性を知らなかった。
「ディスカ・シェゼンスタ公爵令嬢のことだよ」
「今年デビューの?」
「そう」
「夜の闇を思わせる美しい漆黒の髪に、遠くを見る青色の瞳」
「……それ、レイラ・ドーバン男爵令嬢のことじゃないか?」
「レイラ・ドーバン男爵令嬢?あぁ、〝鏡に映る黒薔薇姫〟のことだな」
「何だ?そのあだ名は」
どちらの名前も、ジェストには聞き慣れない名前だった。眉をひそめ、首をかしげる。
「レディ・ブラックローズは、黒薔薇のような艶やかなご令嬢と言う意味で付けられた名前だ。レディ・ミラーローズは、まるでレディ・ブラックローズの鏡に映った姿であるようなご令嬢だから付けられたあだ名だよ」
あぁなるほど、と頷きながらしかし実際のところ、ジェストはまったく興味を持っていなかった。興味、というほどではないにしろ関心があるのはミラーローズと呼ばれたレイラの方だ。
レイラとは、とある理由から小さい時に顔見知りになった。
「興味なさそうだなぁ。それもそうか、お前はレイラ嬢一筋だもんな」
「は?」
友人の一言に、目を丸くする。
「知ってるぞ。ドーバン家に、足繁く通ってるそうじゃないか」
今更恥ずかしがることないさ、と友人は豪快に笑った。
確かに、レイラの家にはとある理由から頻繁に行っているが。
「未婚の男が、これまた未婚の女の元に足繁く通う理由なんてひとつだろう。ははは!ごまかす必要はないさ!
おっと、噂をしていたら早速、だな。黒薔薇姫ことレディ・ブラックローズ……じゃなかった、ディスカ・シェゼンスタ公爵令嬢だぞ」
何度か言い直し、友人はあたかも自分のものであるかのように紹介し、手をひらりとそちらに向けた。
うるさいやつだ、と長年の付き合いで何度も思ったことをまたも思いながらそちらに顔を向け、ジェストは息が止まるかと思った。
友人の説明は多少脚色されているだろうと思っていたのだ。薔薇など、言い過ぎだろうと。デビューも今年ようやくである、しかも公爵家の令嬢。
年としてはまだまだ小娘、公爵令嬢であることを配慮してのあだ名。そう思っていたのだ。
しかし現れたのはどうだろう。
まさしく、薔薇の名を冠するに相応しい、美しき姫なのだ。
デビューするものが着ることを義務付けられている、白のドレス。胸元を赤い薔薇で飾り、ふわりと広がる裾がまるで花が咲くかのようである。
白い肌に、形良い鎖骨が浮かび、なんとも色気のある。そして、綺麗な首筋をたどると、小さな顔に行き着く。ローズピンクの唇に、軽く上気した頰。形良い鼻梁に……。
なるほど、これは美しい。
「ジェスト?」
息さえも忘れてディスカに見入るジェストに、友人が心配そうな目を向ける。
「何だ」
「いや。お前まさか、レディ・ブラックローズに惚れたとか言わねえよな?あの令嬢は暗黙の了解で、誰にも届かない高嶺の花なんだ。
ダンスに誘うのでさえ気後れしちまうしな。だから、あの令嬢自身が選んだ人間しか近寄れねえ……いや、割と空気の読めない馬鹿が近付くけどな。
まぁお前は、レディ・ミラーローズがいるから大丈夫か」
「……お前も狙ってるのか?」
「は?」
「お前も、レディ・ブラックローズのそばに行きたいのか?」
「……まぁ行きたいけどな。あんなに綺麗な令嬢、見たことねえしな。ただ無理だろ?俺の身分じゃあな」
「あぁそうか……公爵令嬢だもんな」
「おう。……おっと、レイラ嬢がお呼びだぞ」
もう少し、ディスカを見ていたい。しかし、それはレイラによって阻まれる。
「レイラ?そういえば、レイラも今回がデビューだったな」
もうすでにレイラはジェストの大事な人である。にも関わらず、ジェストはその大事な人のデビューを忘れていた。
それほどまでに、ディスカを見たのは衝撃的だった。
「ジェスト様、わたくしのことを忘れるとはひどい人ね」
目の前に立ったのは、ディスカと同じく黒い髪に青の瞳を持つレイラ。白いドレスの裾が、レイラの動きに合わせてふわりと揺れる。
「悪い」
「別にいいんですよ?___様」
「……レイラ。その名で呼ぶのはいけない。わかっているだろう?」
レイラが口にしたジェストの呼び名は、他者に聞かれてはいけないものだ。
「ごめんなさい、ジェスト様。これでよろしくて?」
「ああ」
その後、レイラを含む令嬢に囲まれる羽目になり、迫り来る令嬢達とダンスを踊った。しかし、ほとんどの令嬢がここにいたというのにディスカはいなかった。
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そして、別の舞踏会。
疲れたジェストは、令嬢達から逃れるためにバルコニーに出ていた。
「……先客、ですわね。私はあちらへ行きますから、どうぞこのまま」
ジェストがバルコニーに出てしばらくしたのち、同じようにバルコニーに出てきたのはディスカだった。
ディスカの顔には疲労が浮かんでおり、ディスカの周りに集まる紳士を思い出して苦笑いした。そして、席を外そうとして制止される。
「ならば、僕は気にしないから君もここにいたらいい」
男は令嬢を誘うだけだ。気分が乗らなければ誘わなければいい。しかし女はどうだろう。
基本、淑女は誘われたダンスを断ることができない。ゆえに、ジェストよりもディスカの方が疲れているようだった。
「いいのですか?」
ここには今、ジェストしかいない。しかし、べつの休憩場所は既に誰かに占拠されているかもしれない。場合によっては、紳士淑女の一夜限りの遊びの現場になっている可能性もある。
それを考えると、ディスカもこの場に残る方が楽なようだった。
「いいよ。君みたいな美しい人ならば、そばにいてくれたら嬉しいしね」
「まあ。お決まりの常套句かしら?」
ふふ、と笑いながらディスカはバルコニーの柵に寄りかかり、はあとため息を吐いた。
「疲れているのかい?」
「ええ……いえ、大丈夫ですわ。淑女の定めですものね」
この舞踏会は。
ディスカは少し辛そうで、闇のような髪の先から本当に闇へと消えていきそうだった。
「結婚相手を探すのは大変だね」
ここに集まる人間は、ほとんどパートナー選びのためだ。もしくは、有力貴族との関係か。
「そうですわね。でも、私は……あぁいえ、なんでもないですわ。ジェスト様も、結婚相手をお探しで?」
「あぁそうだね、僕もだよ」
夜の妖精か、女神か。そんな彼女に、手を伸ばして結婚相手になってほしいといったら、彼女はどうするのだろう。
一瞬そんな妄想をして、それが彼女を汚している気がして、首を振って消し去った。
「……あ、でも。ジェスト様は、レイラさんがいらっしゃいますものね」
にっこりと微笑んで、ディスカは噂になっているレイラとの仲を言った。
「いやあれは……」
「羨ましいですわ。政略結婚ばかりの貴族社会で、恋愛結婚できそうな相手を見つけられるのは」
微笑まれ、出し掛けた言葉を飲み込んだ。彼女は、恋愛結婚に憧れているようで、その憧れを壊すことができなかった、というのは。多分、言い訳に過ぎない。
「私はもう行きますわ」
その日の会話が、一番初め。
それから、夜会の度にこうしてバルコニーで少し話すのが常となった。
そんなある日である。
「私、結婚しなければなりませんの」
いつものように、バルコニーで少し話していたら、突然彼女が言った。
「ジェスト様、あなた、レイラさんとの仲をやめたくはないでしょう?」
何を言っているのかわからなかったが、この日までにレイラとのことを単なる噂であることは伝えられていなかった。
「私と結婚してくださいませんか?私は、望まぬ殿方と結ばれることを回避するために。あなたは、レイラさんへの想いを封じずにすむために」
ディスカの顔は赤く、緊張しているのが見て取れた。そして、それは素晴らしい誘いに思えた。
ただ、それを受けるには嘘をつかず、ディスカのことをとうに好きになっていたことを伝える必要がある気がした。
「僕は___」
「もしも、私と結婚してくださるのなら。3つ、約束いたしましょう。私から言い出しておきながら勝手なこととは思いますが。
ただ、この3つを守ってさえくだされば、レイラさんとのことは何も言いませんわ」
言い出した言葉は、ディスカ自身の言葉に遮られた。ディスカは、焦っているように見えた。その焦りから、ジェストの言葉を聞けていない。
「ひとつ、帰る場所はここであってください。ふたつ、話し相手になってください。みっつ、何も聞かないでください。
そして、これは約束ではありませんが。私を愛してもらわなくて結構ですわ。もとよりそのつもりで、既に意中の方がいるあなたを選んだのですから」
最低限の息継ぎしかせず、言葉を挟む間など与えないように言い切ったディスカは、はぁ、と息を吐いてにっこり笑った。艶やかで、けれどもどこか幼さがある笑顔。
(あぁ僕はどうかしてる)
「わかったよ」
微笑んで、彼女を抱き寄せた。
彼女は抱き寄せて誓ったのは、彼女を愛したことを隠すことだ。
ジェストには、レイラという偽の意中の相手が必要だった。レイラは大事な人だが、いつかは必ず解放すると言って、今は演技をしてもらう。
噂になるほどに仲が良かったし、ジェストとしても今すぐレイラのそばを離れられない理由があったから、今のところは問題ない。
ただ問題があるとすれば、ジェストは好きな人が妻になったというのに、その妻に愛を告げられないことである。
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「という、話だよ」
「そうですか。わたくし、胸焼けがしましてよ?なんですの、そのこじれ切ったよじれきった約束は。
ごたごたと絡まり切って面倒臭いわね。はぁー。で、今はわたくしという相手がいないといけないと?」
「うん。不甲斐なくてごめんよ」
「まぁいいです、しばらくだけ!協力します」