29 嵐ですか?いいえ、お父様です。
その日、屋敷は騒々しかった。
それはもう、嵐が来たのかと思い違いをしてしまうほどに。使用人は右往左往し、ジェストは慌て、エディも屋敷内を駆けた。
ディスカのみがため息をひとつ吐き、その嵐となる人に椅子を勧めた。
「お父様。その巨漢でドタドタバタバタと、動き回らないでくださいな。それに、そう大声で喚かないでください。お腹の子もびっくりだわ」
お腹を撫で、シェゼンスタ公爵に椅子に座るよう言う。少し落ち着きを取り戻してその様子を見ていたエディは、椅子の脚が折れてしまうのではと心配した。
幸いにもシェゼンスタ公爵の体重は化け物並みではなかったらしく、椅子はしっかりとその役目を果たした。
「ああ、すまない。……いやいや!これが落ち着いていられるか!ディスカ!なぜ言わなかった!」
ふたたび椅子から立ち上がり、その身体中の脂肪を震わせて大声を出す。
眉を寄せ、ディスカはもう1度椅子指で示した。
「お父様、うるさいですわ。それに、私を捨てたも同然のお父様に何故言う必要があって?あと、どこから情報を仕入れたんですか」
「難しい顔をしている息子に聞いた」
ディスカはしばし沈黙し、その肩をエディがそっと撫でた。
兄・フェストは、少し抜けているところがあった。それは昔からだ。
そう、例えば悩んでいる時。何を悩んでいるの?とポソリと問えば、ああこうこうこれこれで悩んでいるんだよ、と言った後に慌てて他言してはいけなかったんだった!と言う時がある。
簡単に言えばバカ。
痛む気がする頭を抑え、やれやれとため息を吐く。おかしい、あの兄はいずれシェゼンスタを支える者として人望も厚く、融通はあまり効かないそんな人間だったはずなのに。
「まだフェスト兄様は抜けてらっしゃるんですのね」
「……まあ。それなりに?」
一体誰に似たんだか、とはシェゼンスタ公爵も思わないでもない。
「と!話はそうじゃないだろう!それに!わしはお前を捨てていない!」
「えぇえぇ、捨ててませんわ。言葉の綾ですもの。そんなに慌てて、お父様には捨てたという自覚がどこかにありまして?」
別に引っ掛けでもないが。
「そんなものはない!……いや。すまない。……で。子供はいつ頃生まれる予定だ?」
「さあ。魔女さんの見立てでは、今年の冬あたり。或いは、その少し前、ですわ」
フィブレの森の魔女はそう言っていたはずだ。思い返してそう言えば、公爵はそうか、と言った。
それからハッとしたようにディスカを見つめ、深く息を吸った。
「な!今!魔女の名前を出したか⁉︎」
耳が痛い。
両手で耳を塞ぎ、父を睨む。
「お父様、喚かないでください、と、何度言えば気がすむのです?」
わざと区切って言えば、公爵は居心地悪そうに身を縮め、縮め切れていないその様子にプッと笑う。
「お前、まだ魔女と関わっているのか?いいか、あいつはしょうあ……」
「お父様、まだ学ばないのですか?」
父が最後まで言い切る前に割り込めば、父は口を噤んだ。
「魔女さんは私によくしてくれていますし、お腹に子ができたことを知ったのは魔女さんのおかげです。この子には呪いがかからない魔法をかけてくれましたわ」
父は口をパクパクとさせた。
目を丸くし、あの小悪魔女が、と呟いている。魔女はもしかしたら聞いているかもしれない。
けれど割り込まないところを見るに、こいつはこういうものだと半ば諦めているのだろう。
「……そうか。良かったな」
何か納得したのか、息を細く吐いて父は何度か頷いた。
「お父様は、反対なさらないのですね」
「ん?」
「お兄様もお姉様も、お母様も、私が子を産むことに難色を示しましたわ」
「ああ。そうだな」
家族の性格をよく知っている父は仕方なさそうに頷き、それから目を細めた。
「少なくともわしは嬉しいぞ」
「手軽な駒にする為ですか」
冷ややかに言葉を放ったのは、エディ。それまで静かに控えていただけなのに、いきなり放たれた声は冷たくきつい。
公爵は悲しそうに項垂れ、ちらちらとこちらを見る。
「そんなわけないだろう!……あ、でも嫌われるかな」
ディスカのお腹を眺め、不安そうに公爵は言う。
「お父様が正しいお爺様であれば嫌われたりしないでしょう。……お父様、私に申し訳ない、という思いだけではなく、心から、この子を愛してもらえますか?」
「……ああ。それはもちろんだ」
「その間はなんですか、間は」
エディが突っ込む。
ディスカも少し気になったが。
「まあ、良いですわ。金払いの良い使い勝手の良いお爺様でいてくださいませ」
公爵は深く項垂れ、エディは少しだけ可哀想なモノを見る目で見つめた。
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翌日、子供のためのベビーベッドやら玩具、衣服などが最高級のもので取り揃えて送られた時には、エディの目は一層哀れみに満ちた。
早速金を落としたことに苦笑しながら、この子はお父様に愛されそうだと、ディスカは少し安心した。
愛してくれる人が多ければ子供は幸せになる。……いや。そんなことはないけれど。
誰かひとりでも深く愛してくれる人がいれば、この子はきっと幸せだ。




