16 お父様、それもう知ってますわ-前半ジェスト視点、後半ディスカ視点-
「おはよう、ディスカ」
だるい身体を揺すり起こされ、ディスカは目を覚ました。ポスポスとシーツを叩き、温もりを求めてジェストに身体を擦り寄せる。
寝起きのディスカは寝ぼけていて可愛い。そんなことに気がついたのは、つい先ほど。決まった時間にはしっかり目を覚ますのだが、それよりも30分でも早く起こすと寝ぼける。
ジェストは満足げに微笑んでディスカを抱き寄せ、その頭を撫でて艶やかな黒髪に指を通した。引っかかることなく指は毛先まで通る。
「じぇすとさま……」
ろれつが回らず、発音が甘い。甘えるような呼び方が、いつもの澄ました感じではない。
ぎゅっと抱きしめると、ディスカも抱きしめ返してくれる。少し腕を緩めて、顎を上に向ける。
唇を重ねると、ディスカは一瞬ぽかんとした後、ふわりと微笑んだ。
「おっと、いけない。ディスカ、今日は朝早くから仕事があるんだ。それを言おうと思って起こしたんだよ」
本当は昨日言うつもりだったのだが、ディスカの話でついつい言うタイミングを見失ったのだ。
いや、主においしくいただいたジェストのせいである。昨夜のことを思い出し、ジェストは幸せそうに微笑んだ。
ディスカの頭をそっと撫でて、名残惜しげにディスカをベッドに横たえた。
「いってらっしゃいませ」
うとうとと、ディスカは寝言のように呟いた。ジェストはその額にキスを落として、ベッドを出た。
今すぐにでもベッドに舞い戻りたいのを堪える。続きの間で手早く衣服を着替え、部屋を出るとエディが立っていた。
「旦那様」
「おはよう、エディ」
「おはようございます。旦那様、昼頃にシェゼンスタ公爵がお見えになるそうです」
「シェゼンスタ公爵が?」
シェゼンスタ公爵。つまり、ディスカの父に当たる。ジェストにとっては義父だ。
「何をしに?」
「さあ。旦那様にお会いに、でないことは確かですね」
「……まあ、そうだろうな」
シェゼンスタ公爵は、情報通だ。国の情報ならあの人に聞けと言われるほどである。一方で、金ならあの人のをもぎとれとも言われている。
あれは本当にお金持ちである、と。
金の話は置いておいて、とにかく、そんな情報通のシェゼンスタ公爵が、昼頃にジェストは屋敷をあけていることを知らないはずがない。
「十中八九、お嬢様に会うためでしょう」
「じゃあ、何の用でくるんだろうな」
「そこまでは存じませんよ」
「そうだよなぁ。ディスカを連れ戻す、とかの話じゃなければ別にいい。あとはディスカに聞いて会うかどうか決めてくれ」
了解しました、と答えるエディの横を通り過ぎる。
それにしても、嫁入りした娘の屋敷を訪れる親というのは、何を言いにくるものか。一種の不安を感じながらも、だからと言って屋敷にとどまることはできない。
浅く息を吐いた。
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「お嬢様、旦那様……シェゼンスタ公爵が昼頃に来るそうですよ」
優雅な朝食、を終えたまったりとした時間。紅茶を飲みながら読書にふけっていたディスカに、エディが紅茶のお代わりを注ぎながら告げた。
「あらそう。……え?」
一度聞き流したものの、聞き流しきれない単語を理解したディスカは、本から顔を上げた。
エディが今現在〝旦那様〟と呼ぶのはジェストだが、以前はシェゼンスタ公爵をそう呼んでいたために、未だに呼び間違える。
「……お父様が?」
「はい」
「用件は?」
「さあ……?」
エディも首を捻る。はあやれやれ、とため息を吐いてディスカは目線を本へと戻した。
「お父様の用件を言わずの訪問も、今に始まった事ではないわ。良いわ、お父様がきたら聞くわ」
とりあえず今は読書にしよう、とディスカは切り替えた。
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父が屋敷を訪れたのは、丁度昼食を食べ終えた頃だった。
「奥様、シェゼンスタ公爵様がお見えになりました」
侍女が伝えに来たので、客間に通すよう指示してからディスカも客間に向かった。
「お久しぶりですわね、お父様。おかしいですわ、この屋敷は薄情なお父様立ち入り禁止ですのに、お父様が来られるなんて」
久々に会った父に、ディスカは思わず喋りすぎてしまう。
父は痩せる、という言葉を知らないようでさらにふくよかになった腹がぽっこりと出ている。
「まあそう言うな、ディスカよ。さてはて、長い前置きは無しにして。……ふむ、ディスカよ。わしはお前に朗報を持ってきてやったのだぞ」
ニマニマと、気持ちの悪い笑顔を浮かべる様子は父親でなければ話したくない。父親であってもできれば遠慮したいものだった。
「朗報?お言葉ですがお父様、お父様が持ってきた話で今まで朗報などございまして?」
「ふむ?……ないなあ。呪いのこと然り、呪いの解除のこと然り、寿命のこと然り」
挙げればきりがないと、脂肪を揺らしながら父は笑った。
「ディスカ、人払いを」
人払い、ということは、シェゼンスタの者以外には聞かせないほうがいいことだろう。ディスカは侍女達を下がらせる。
エディは、さも当たり前であるかのようにその場に残った。父はエディに目を留め、けれども何も言わずにディスカの方を向いた。
「喜べ、ディスカ」
「何を?」
「お前の旦那の浮気相手だと思っていた、レイラ・ドーバンのことだ」
ふふん、と笑って言おうとする父に、ディスカは察する。
「聞いて驚け‼︎レイラ嬢は浮気相手ではなかった!」
「知っていますわ、お父様。異母妹なのでしょう」
続ける言葉を遮り、ディスカが言う。父は軽く目を見張り、ため息を吐いた。
「ようやく調べたというのに……知っていたのか……あ!なら、これはどうだ!」
ただでなくとも悪人顔が、より悪い笑顔になる。
「なんと!ジェストくん、ディスカのことが好きなようだ!」
これでどうだ、とばかりに父が胸を張る。
ディスカはエディと目を合わせ、はあ、とため息を吐いた。
「お父様、それもう知ってますわ」
ガン!と何かに打たれたかのような顔で父は項垂れ、アアソウカ、とカタコトに呟いて肩を下げた。
「で、お父様。わざわざそれを言うためだけにこちらへ来たのですか?」
それならば、とんだ無駄足である。
「ああいや、それもひとつの理由だ。本題はここからだよ」
涙目で、本題はここから、なんて言う父。顔が、今までの話こそが本題であったと語っていた。
「ディスカ。お前が恐れていたことだろう。両思いは」
「そうですわね」
「お前はもう、死ぬことが決まっている」
「ええ、お父様のせいでね」
「……お前も辛い。きっと、ジェストくんもまた辛いよ。決まった未来というのは」
「今更ですわ。そんなこと、もうとっくに考えましたわ」
今更、父にどうこう言われる必要などない。
「ディスカ。わしがこんなことを言えるはずはないが。後悔はするな」
心配そうにこちらを見るのは、確かに父の顔だった。
「ええ。後悔なんて、しませんわ」
もう、決意なんて固まってる。後悔なんてしない。
「そうか」
なら、もうわしは帰る。と笑う顔は、父の顔ではなくただの悪人顏だった。
心配する時よりも、安心する時の顔の方が悪人顏なのはどうしてだ。そんな疑問は、忘れることにした。
「あ、そうだわ、お父様。私がいなくなった後のことは、すべて頼みましたわよ。ジェストのことも、レイラさんのことも、それから、エディのことも。……あ、それと。孫が近々できるかもしれませんわね。その子のことも」
財力と地位は、人を守るためにあって損はない。もちろん、それがあるゆえに狙われることもあるが、金があればいくらでも対策がねれるだろう。
特に、悪巧みになら頭の働く父になら。
父は一瞬驚きに固まり、それからやはり悪い顔で笑った。
「孫か」
「ええ。今度は、魔女さんを怒らせたりしないでくださいませね」
肝に銘じるよ、と父は肩を竦めた。




