12 君が、君だけが-ジェスト視点-
女性の支度とは、手間がかかるものである。
ジェストは、いつも通りの侍女達の手によってぺぺっと仕上げられてしまったが、ディスカはまだ時間がかかる。ジェストの準備をしていた侍女たちも、準備が終わるやいなや、やっぱり奥様のドレス手伝いたいわ!いいえわたしはお化粧を!などと言って、我先にと走り去っていった。
「うーん。ここは一応、僕の屋敷だけどね」
ブラウディング伯爵の名は伊達ではなく、隠居生活を楽しむ父からはしっかり伯爵位を譲り受けた。その際に引き渡されたものはなにも爵位だけではなく、屋敷やら諸々の財産も含まれていた。
そして、屋敷の一つがここ。
そして使用人も一応はジェストが雇ったものである。なのに、その主人を放っておくとは。
「そうですね」
「うおっ……なんだ、エディか」
返事が来るとは思っていなかったために、その返事に驚いた。
「そんなに驚かないでください」
「いや、そう言うけどね。君がここにいるなんて思わないじゃないか」
エディは、まるでディスカの影かのようにディスカにくっ付いている。ただ、わざとなのか元々なのか影がうすいために日頃は気にしないし、気にならないが。
「オレだって、お嬢様と別行動取ったりしますよ」
「あぁうん、今知ったよ。教えられなくても」
「あんた、お嬢様の事好きですよね」
「……うん?」
「レイラ・ドーバン。彼女について、調べさせていただきました。勝手ですが。オレの主人はディスカ様ただ一人なので、良いですよね」
良いですよね、が疑問ではなく確定系になっている。
「レイラ・ドーバンが、あなたの恋人になることはあり得ないんですよ。だから、お嬢様が持ちかけた結婚の約束。あれはあんたには当てはまらない。となると、あんたが結婚を了承したのはお嬢様が好きだから。
これが貧乏お貴族様だった場合、迷うところでしたが。お嬢様のお金目当てなのでは、とか。
それに、結婚して今まだ手を出そうともしていない。オレのお嬢様に限って、食指が動かないんだ、なんてことはあり得ませんので体目当てでもないでしょう。となるとやはり、あんたはお嬢様自身が好きということになる」
反論しようとしていた。エディはディスカに近い。ジェストの本心を知ったら、ディスカに言ってしまうかもしれない。そう思って、お金目当てだったんだよ、とか。体だけが、とか。
言おうと思っていたのに、ことごとく潰された。
作り笑顔ではなく、苦笑が浮かぶ。
何気にサラッとオレの、と強調されたのもイラっとくる。
「君はよく見てるんだね。ただ、そういうのは他の貴族にやってはいけないよ。君の主人がディスカでも、貴族は全員君より上なんだから」
忠告したのは、もしかしたら悔し紛れかもしれない。ことごとく本心を突かれたことの。
「ご忠告、痛み入ります。お嬢様が好きなら、早く両思いになることですね」
「なれる可能性は、あると思うか」
ディスカに1番近い君なら、ディスカのことを知っているだろう?そう思って聞けば、エディは薄く笑った。
薄情そうな笑顔だな、などと思ったのはジェストの偏見か。
「さあ」
首をかしげ、イラっとくる笑顔でいう。
「でも、お嬢様が幸せになれるならなんでも構いません」
「君は、ディスカのことが好きなのかい」
聞いたのは、ライバルかもしれないエディの実際のところを知りたかったのもあるし、ついでにディスカがエディを好きかも、問いたかったからだ。
「オレは……オレの体も心も、感情も全部お嬢様のものですよ。でも、お嬢様はオレのものになりません。髪の毛一本さえ、ね」
悔しげで、悲しげな笑みだった。ぐっと握られたエディの手が、白くなっていたのはきっと見間違いではない。
焦がれて焦がれて、手を伸ばしたって多分、お嬢様はオレには届きませんよ。それは多分、ディスカがエディを好きなのでは、というジェストの疑問の答えでもあった。
「そうか」
「はい。でも、あんたにも渡したくないなあ」
へらりと笑って、それだけを言って、エディはどこかへ行ってしまった。
ディスカの元へ戻るのだろう。
「どっちなんだい、君は」
渡したくないなあ、なんて震えた声で言う割には、最初で両思いになれと言っていた。
「どっちも、なんだろうね」
使用人としては間違っている気がしてならないが、ディスカを主人と立てた時の従者としては、エディが正しい気がした。
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奥様の支度ができました。
ディスカ付きの侍女がそう言ってジェストを呼びに来たのは、すっかり夜に近づいた頃だった。
ようやくお姫様のお出ましか、などと苦笑しながらディスカを迎えに行く。
「ディスカ、入ってもいいかい」
コツコツ、と指先で扉を叩くと、どうぞという声が聞こえる。
扉を開くと、赤いドレスに身を包んだディスカがいた。
鎖骨にきらめくネックレスは、バラをかたどったルビーの飾り。ふらふらと揺れて、白い肌によく映える。
「綺麗だ」
思わず呟くと、形の良い唇が弧を描く。
「まあ。ありがとうございます。ですが、レイラさんには負けますわ」
褒める度、話す度、彼女の口からは幾度となくレイラの名が出る。男の名でないから良いものの、他の人の名前が出ることにイラつく。
あぁもしかしてこれが、独占欲か。くすりと笑いながらもう一度褒める。
「レイラと君は違う」
「ええ。違うわ。私では、レイラさんの代わりにはなれませんもの」
ディスカの返事で、誤解を与えたことを自覚する。
「そういう意味ではなく。君が、君だから綺麗だと思っているんだよ」
ジェストがそういえば、ディスカは微かに頬を赤く染めて驚き、目をウロウロと泳がせながら、小さな声でありがとうございます、と言った。
「さて、ディスカ。今日はご存知の通り仮面舞踏会。仮面をつけようか」
「えぇ」
侍女から受け取り、仮面を付ける。仮面は顔の目元だけを隠すものだった。
仮面を付けると、確かにディスカはレイラに似ていた。しかしやはりそれは、髪や目の色のせいであり、雰囲気はまるで違う。
「ディスカ、君はこの仮面舞踏会の招待状が来た時に、レイラと行ってきてと言っていたね」
「え……?えぇ」
いきなりなんの話?と、ディスカは首を捻りながら頷く。
「レイラじゃあ無理だよ。君とレイラは確かに似ていると言われるけど、言うほど似ていないよ」
「そう、ですか……」
照れたようにうつむくディスカに、満足げに頷いて、ジェストはディスカの手を取った。
「さあ、行こうか」
*・゜゜・*:.。..。.:*・'*'・*:.。. .。.:*・゜゜・*
「ジェスト、久々だなあ」
会場に着き、1番に声をかけてきたのは友人。ディスカがデビューした日、一緒に駄弁っていた友人である。
「あぁ、久々だな」
「そちらは……レディ・ミラーローズ?ああでも、お前もう結婚していたか。んん?」
この友人は、都合がつかなかったために結婚式に招かなかった。
「ディスカだ」
「え、ディスカ・シェゼンスタ公爵令嬢……ん?」
あの日、話しているときには高嶺の花だなんだと言っていたのだ。ジェストの横にディスカがいることが、酷く現実味のないことなのだろう。
「そうか、うん。なんかようわからんが、わかった。初めまして、ディスカ嬢。俺はノア・ワンブール。ワンブール男爵家のノア、と言った方がわかりやすいか」
混乱しているようではあるものの、流石は友人である。サラッと切り替え、にこやかな笑顔を口元に浮かべて握手を求める。
ディスカの手の触れる、というのを許してやりたくなくて横から手を握りしめてやる。ディスカは、そんなジェストを見て不思議そうに首をかしげ、再度求められた握手には応じていた。
「初めまして、ノア様。ディスカ・ブラウディングですわ」
「社交界の花、高嶺の花、レディ・ブラックローズはさてはて誰のものになるか……なんて皆考えを巡らしていたけど、まさかジェストが手に入れていたとは。いやはやまったく、みんなノーマークだったよ」
肩をすくめ、おどけて言う。
「でもジェスト、レイラ嬢はどうするんだい?」
「うん?」
ディスカの前で噂を解くべきか、迷う。ディスカが好きであることを、もう隠したくない気はしている。
(エディも、早く両思いに……とか言ってたしなあ。でも。僕を選んだのが、自分を好きにならないから、とも言っていたし……)
迷って、迷って、結局ディスカの前では噂を解けなかった。
その後、主催者とその親族、その他有力貴族に挨拶を入れた。
「あ……」
「どうしたの?」
さて、そろそろダンスでもと思った矢先、ディスカが声を漏らす。
「レイラさんがいるわ」
「うん?あぁ。いるね」
まだ婚約者のいないレイラは、あちこちへ顔を出して自分を売っている。ここに来ていても不思議ではない。
「あなた、行かなくていいの?」
「うん、僕の妻は、君でしょう」
(ディスカ。君、気付いてる?)
君、今すごい寂しそうな顔してるよ。浮かれているときは気づかなかったが、新婚旅行の時もこんな顔をしている時があった。
思えば、ジェストがレイラの話をしたときだったり、レイラの元へ行くときだった。
(嫉妬してくれてたり……はないか)
自分の都合のいい解釈を、自分で笑う。
「ディスカ、踊ろうか」
「……はい」
手を差し伸べると、遠慮気味に手が重ねられる。握りしめたらすっぽりと隠せる、小さな白い手。
ぎゅっと引っ張ると、つんのめるようにこちらへよろめく。ジェストはそっと支えて、そのままリードした。
数曲続けて踊ると、ディスカは疲れたと言って壁へと下がる。付いて行こうとしたのだが、周りにご令嬢が集まってかなわない。
「ジェスト様」
「悪いけど、君たちに構ってる暇は……」
「いいじゃないですか。だって、政略結婚でしょう?レイラ様ともよく踊ってらっしゃるわ」
レイラは恋仲ではない。しかし、それを言うと余計なことも話さなければならなくなる。
低く唸り、なんだかんだと手を握られ、なぜか踊る羽目になる。
「おい!ジェスト!」
結局立て続けに数曲踊らされ元の場所に戻ると、ディスカはそこにいなかった。その代わり、後ろからノアに声をかけられた。
「ノア?」
「ディスカ嬢が!」
「え?」
焦ったようなノア。
「どうしたんだ」
「いや、別にものすごい事件だ!ってわけじゃあないから、その怖い顔やめろ。ディスカ嬢、酒に酔ったみたいで。今、休憩室貸してもらってるから、旦那であるお前を呼んでるだけだ」
よっぽど酷い顔をしていたのか、ノアがげっそりとした顔でジェストをなだめようとする。
「……すまん。案内を頼む」
令嬢に囲まれたからといって、そのまま流されなければよかった。後悔をするが、そんなことをしている場合ではない。
ノアに案内され、舞踏会主催者が休憩室として提供している客室の1つに入る。
「ディスカ?」
「んじゃあ、後は頼んだ」
「ああ。ありがとう」
ノアはお役御免とばかりに短く嘆息して、部屋を出て行った。パタンと扉が閉まると、部屋が一気に静けさを帯びる。
ディスカのそばにエディはいない。従者は連れてきていないから当然だ。
やはり、そばを離れるべきではなかった。
ディスカが眠るベッドに近づくと、すやすやと眠るディスカが見える。顔がほんのりと赤く染まり、あどけない寝顔が愛らしい。
「ディスカ」
「……じぇ……すとさま……?」
うっすらと開いた目はジェストを捉え、しかしすぐに閉じられた。
「ジェスト様……」
目はしっかりとつぶられたまま、しかしはっきりとディスカはジェストを呼んだ。
「ん?僕はここだよ」
よっぽど酒に酔ったのか。こんな風に倒れてしまっているのは見たことがない。
「ジェスト様……私を、好きにならないで……。私は……うそつきだわ……あなたを好きじゃない、なんて……」
とめどない言葉が、途切れ途切れに漏れる。
「ディスカ……?」
「ねぇ……あなたが、レイラさんを……好きでいいの……」
もう寝言ではない。だがしかし、意識がはっきりとしているわけでもなさそうだった。
「そばに……いたい、だけ……」
これは、ディスカの本音?
「愛してる……あなたを……」
ぽつりと、呟かれた言葉。弾かれたように、ジェストはディスカを抱き寄せる。
ぐっと抱きしめ、頭を撫でる。
「僕も、君が好きだよ。ディスカ」
本音を漏らせば、ディスカはハッとしたようにジェストを見つめ、それからイヤイヤをするように身をよじった。
「うそだわ」
「嘘じゃないよ」
「じゃあ……レイラさんは」
「あれは、異母妹だよ」
「え……?」
酔ってる今、教えて。明日、覚えているだろうか。そう思ったが、明日忘れていたなら、明日また話せばいいかと考える。
「僕の父はずっと、レイラの母であるドーバン男爵夫人が好きだったんだ。だからある日父は、間違いを犯した。
レイラの母が酔っ払って、父を旦那と勘違いしてる時に間違いをね。その時にレイラの母が身篭ったのが、レイラ。だから、レイラは異母妹だよ」
「まったくの他人よ?気づくのではなくて?」
「うん。でも、僕の父とレイラの父はよく似通っていた。まるで、レイラと君のようにね」
「そう。異母妹……。じゃあなぜあなた、レイラさんのところへ足繁く通っていたの」
「レイラはね、母に疎まれている。父はレイラをそれなりに愛しているけど、居心地は悪い。だから、憎い父の息子である僕が屋敷に通うことで、僕に感情が向くように、ってしたんだ。
作戦は成功だったよ。レイラは多分あまり望んでいなかったろうけど、ドーバン男爵に可哀想な子として愛された。母にも、それなりに愛されている。僕は居心地が悪いけれどね」
「父親って、どこの父親も酷いのかしらね」
聴き終えて、ディスカはクスリと笑った。そして、そんなことを漏らす。
「君の父親も、何かしでかしたの?」
まるで、その呟きは自分の父親さえも含んでいる気がした。
「……そうよ。何かしたの。だからね、あの人は屋敷中できらわれものよ」
どうしようもない人ね、とディスカはクスクス笑っていた。
「でもいいの。私は許したのよ。お母様も、意地を張っていてはいけないわ。……ああでも、あの人は情の深い人だから、許せないのよね」
彼女は、何の話をしているのだろうか。遠くを眺めるようにして笑って、ディスカはくたりと眠ってしまった。
しっかりと抱きしめて、ディスカを抱き上げる。
「おやすみ、ディスカ。今日は帰ろう。明日君は、今日のことを覚えている?
忘れていても……もう僕は迷わないから」
愛してる、そう伝えられる。




