01 ダンスって足元見てたらパートナーの足を踏まずに済むのね
ひとつ、帰る場所はここであってください。
ふたつ、話し相手になってください。
みっつ、何も聞かないでください。
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煌びやかな舞踏会。
若い紳士淑女が互いの結婚相手を探して手を取り合う。
庶民ならば一度は憧れたことがあるだろうそれ。特に、女の子は。
一夜の魔法からの成功を夢見て、見目麗しい貴公子、あるいは王子様に見初められることを願う。
きっと、女の子ならば一度は見たことのある夢だろう。
「ディスカ。疲れたかい?」
絵本の王子様のような容姿の男、ジェスト・ブラウディング伯爵がディスカの顔を覗き込んだ。
ディスカ・シェゼンスタ。シェゼンスタ公爵の末姫。
「えぇ……いいえ」
「どっちなんだい?」
クスッと笑うジェストを眩しげに見上げ、ディスカは微笑んだ。
「ジェスト様。もう一度、踊ってくださいますか?」
「え?……あぁ、うん、いいよ」
ちらりと泳ぐジェストの紫紺の瞳。
泳いだジェストの視線の先に、よく見知った令嬢を見つけてディスカはフッと笑みを消し、けれどもジェストの目が戻るまでには笑顔にもどる。
「今日、私と踊るのはこれが最後ですわ。私と踊った後は、どこぞのご令嬢とでも踊ってくださいませ。あなたは社交界の華ですものね。もうすぐ、完全に私のものとなるのだとしても」
先日、ディスカとジェストは婚約した。ただ、そこにあるのは愛ではない。完全なる、利益の一致である。
「ジェスト様。3つの約束さえ守ってくだされば、後はどうでも良いのですよ」
利益の一致とはいえ、婚約している令嬢に対する扱いは一応気にしているのだろう。複雑そうな表情で、ディスカを見るジェスト。その視線を受け流しながら、ゆったりと微笑んだ。
「それは……」
「ジェスト様?」
もしや、3つの約束を守ってくださらないと言うのですか?という視線を向ければ、むぐりと黙り込む。
「さて、ジェスト様。私にダンスを申し込んでくださいませ。淑女からダンスに誘うのははしたないとされておりますもの」
話題を変えるようでいて、戻しただけであるが、その場の空気を変えることには成功する。
仕方ない、とでも言うようにジェストはため息を吐いてその場に跪く。
「ディスカ・シェゼンスタ嬢。僕と、踊ってくださいますか?」
「喜んで」
柔らかく微笑んで、その手を取る。
2人で並んでダンスフロアへと進みながら、こちらを見てくる1人の令嬢を思ってディスカの胸がチクリと痛んだ。
(そんな目で見ないでちょうだい。一曲踊ったら、ちゃんと返すもの。だから、今だけ。この愛する男を貸してちょうだい)
誰にともなく向けた謝罪は、誰にも届かなくて構わない。
優艶な笑みを浮かべ、広間中の視線を一身に浴びながら、くるりくるりとステップを踏む。リードが上手いから、ディスカはいつになく上手く踊れているような錯覚に陥る。
ふわふわとドレスの裾が広がる。
ジェストを見上げると、ジェストの柔らかな金髪が揺れているのが見えた。そして、その紫紺の瞳がこちらを見ているのも見えた。
必然的に、ジェストとディスカは見つめ合っていることになる。
ふっと頰に熱が集中するのがわかって、慌てて俯いた。
「ディスカ?」
「なんでも。なんでもありませんわ。……ジェスト様。私と婚約したこと、後悔していません?」
「後悔?してないよ。むしろ、君の方がしてるんじゃないか?こんな……」
後に続く言葉が出てくることはなかった。
「私も、していませんわ。私が今すぐ必要だったのは、3つの約束を守ってくださる方。そして、私を絶対に愛さない方ですもの」
後悔、この一言で言うのならばディスカは自分が後悔しているとは思わない。ただ、約束を守ってくれるなら誰でも良かった、というのは嘘だ。
あなたじゃなきゃ、ダメだったの。その言葉はぐっと呑み下した。これは言ってはいけない。
「そうか……」
納得行かなげに、けれども断言したディスカにそれ以上は何も言えず、ジェストは黙り込んだ。
(やっぱり、最後にダンスだなんてすべきではなかったかしらね)
少しばかり息苦しいこの雰囲気に耐え切れず、足元ばかり見て踊った。
足元ばかり見て踊った成果は、ジェストの足を踏まなかった、ということだ。十分だろう。
「私は疲れましたから、ここで休んでいますわ。ジェスト様は当初のご予定通り、ドーバン男爵令嬢を誘ってらっしゃいな」
ドーバン男爵令嬢。レイラ・ドーバン。
ジェストの、想い人。
波打つ黒髪に、青の瞳。後ろ姿はディスカにそっくりな、けれども全く違う令嬢。
「あ、あぁ」
上擦った声でジェストは頷き、レイラの元へと向かう。その後ろ姿に少し苛立つ。
けれど自分が選んだのはこういうことだと、ディスカはため息を吐いて見送った。
ジェストは社交界の華だが、ディスカだとて負けてはいない。婚約以前は社交界で持て囃された。麗しの姫として。
ただ、婚約後はどうしてか誘いが来ないが。憂鬱そうな顔と、陰気な雰囲気がいけないのかもしれないと思ったが、目当ての人が婚約者であり、もう手になど入らない人だと知った今、努力など無意味だった。
柔らかに微笑むジェストの顔はディスカではなく、レイラに向けられるものだし、慈しむようなその視線もまた、レイラにのみ注がれる。
あからさますぎる浮気現場と言えないこともないが、この後はそこらへんが疑われぬよう、ジェストのファンである令嬢たちと一通り踊ってもらうことになっている。ゆえに。レイラのことのみを話題にする人はいないだろう。
ここまでやってあげてるのだから、などと恩着せがましいことを思うのも許してほしい。
(あぁあ、思考回路が真っ黒ね)
自嘲気味に笑って、扇でその弧を描いた唇を隠した。