9話 港町ティティマ
王都を出て三日目の夕方、ライカとキールは港町ティティマに到着した。ダレスとはこの町の宿で落ち合うことになっていた。
被っていた外套のフードを取り、馬を降りて数歩町の中へ足を踏み入れる。
港町特有の潮の香り。売り子が客を呼び込む威勢のいい声。忙しなく走り過ぎていく荷馬車。初めてティティマを訪れたライカは、活気にあふれた良い町だと思った。
「待ち合わせは『夢見草』という宿なのですが、キール、場所は分かりますか?」
「ティティマで一番いい宿っすね。任せて下さい。この町には何回か来たことあるっすから」
どんと胸を叩いたキールは、馬の手綱を引いて歩き出す。ライカも彼の後を追って歩を進めた。
通りの露店には港町らしく、魚が多く並んでいる。といっても、生の魚はもう売り切れてしまったのか、鮮度の問題なのか、ほとんどが燻製だ。
ライカは魚以外の商品を扱っている店を、気になるものがないか観察しながら歩く。通りを歩く人――特に若い女性――がライカを見て小さく歓声を上げたり頬を染めたりしていたが、視界の隅で危険人物でないかを確認するだけで眼を合わせたりすることはしなかった。
「あ、キール、少し待って下さい」
通り過ぎようとした酒場の看板を見て、ライカはキールを呼び止めた。
「どうしたっすか?」
少し先を行っていたキールが戻ってくる。急に方向転換をさせられたのが気に食わなかったのか、彼の馬が不満そうに鼻を鳴らした。
「『渡り人』。ラナッグ村の酒場の店主が言っていた、船商人が溜まり場にしている酒場はここのようです」
「ああ、ほんとっすね」
キールが王都で聞き込みをした賞金稼ぎが言っていたラナッグ村には昨日泊まった。その賞金稼ぎが死者が蘇るという噂を聞いた酒場に行ってみたが、噂を話したと思われる人物に会うことは出来なかった。賞金稼ぎは基本的に拠点としている町以外に長く留まることはない。だからあまり期待してもいなかったのだが、酒場の店主が役に立ちそうな情報を教えてくれた。
ーーティティマに船商人が情報交換を目的に立ち寄る酒場がある。
その酒場の名が『渡り人』だった。
「もう開いているみたいですし、話を聞いてきます。キールは馬を見ていて下さい」
「俺が行ってくるっすけど?」
「構いません。すぐに済みますから」
「分かったっす」
頷くキールに手綱を渡し、扉を開けて酒場に入る。薄暗い店内に漂うのは酒と潮と汗の匂い。お世辞にもいい匂いとは言えない独特の匂いに、ライカの眉間に皺が寄る。
まだ夜になりきっていないというのに、七割方の席が埋まっている。陸地で飲めるということがそんなに嬉しいのか。それとも、情報交換に熱心なのか。
店中の視線を集めながら、ライカは酒を作っている店主と思しき人物に声をかけた。
「すみません、少しいいですか」
「おう、何だい兄ちゃん。仕事でも探してんのかい」
客の間から、いい店紹介してやるぜえ、との声が上がり、直後にどっと下卑た笑いが湧き起こる。酔っているだけなのかもしれないが、あまり品のある人間の集まりとは言えないようだ。
「あいにく職を探しているわけではありません。ある噂を聞いたことがないかお訊きしたいだけです」
「噂? そりゃあここは酒場だからな。皆酒を飲みながら何かしらの噂話をしているが……どんな噂のことが聞きてえんだ?」
「死んだ人が生き返るという話を聞いたことはありませんか」
「はあ? 死人が生き返るなんてそんな馬鹿げたこと――いや、待てよ。似た話なら聞いたことあるな。瀕死の人間が奇跡的に回復したとか。確か、リムストリアの商人が言っていたと思うが」
腕を組んで話しながら、店主は客のなかの何人かに眼を向ける。褐色の肌の色からしてリムストリアの商人らしい。その証拠に、店主から視線を送られた男たちは、知ってる知ってると口々に喋り始めた。
「崖から落ちた人間が数日後には歩けるようになったんだよ」
「俺は獣に腹を刺された少年って聞いたぞ」
「火事で大やけどを負った少女じゃなかったか」
「それ、どこで聞いた話だ?」
「ピエカ村だったな」
「ケーネの里だ」
「ユイレマさ」
「ユイレマと言えば、この間聞いた話なんだが――」
男たちの話は徐々に違う話題に移っていく。その会話を耳に入れながら、ライカはいま聞いた話を素早くまとめた。
場所はばらばらだが、男たちの話には共通点がある。それは、ひどい傷を負った人間が回復したということだ。
(奇跡的な回復……滅びとは全く逆ですが、何かひっかかります)
「ありがとうございました。ついでにもう一つお訊きしてもいいですか?」
机に銀貨を置いて出て行こうとしたライカだったが、思いとどまって振り返り、店主を見た。
「何だい?」
予想外の収入を得た店主は、ホクホク顔でライカを見返す。
「幸福になれる薬というのをご存知ですか?」
「……お前さんは気前の良い奴みたいだから教えておいてやる。その話はリムストリア兵の前ではするな。いいな?」
表情を一変させた店主は、これは忠告だと言ったきり黙り込んでしまった。どういう意味かと尋ねても言葉を返してくれず、これ以上の情報は得られそうにないと判断したライカは、もう一度礼を言って店を出た。扉を閉めるとき、リムストリアの商人たちが、意味ありげな視線を交わしながら顔を寄せ合って話しているのが見えた。