8話 妖精の隠れ家
庭園でフェリシアに命を下された次の日。
ライカは黒く染めた髪を後ろで一つに括り、騎士服のようなきっちりとした服の上から灰色の外套を纏って、ライルとして城下の宿『妖精の隠れ家』で何でも屋を営んでいるキールの許を訪れた。
ライルに変装するときは、平民の服を着ることがほとんどだが、今回は腰に剣も下げている。額には細い灰色の布を二重に巻き、賞金稼ぎか流れの剣士に見えるよう装っていた。
「キール」
食堂兼酒場となっている部分を通り抜け、宿の受付の隣に立っていた茶色の髪の男に声をかける。男――キールは、ライカの顔を見るとぱっと顔を綻ばせた。双子だけあって、弾けるような笑い方がマールとそっくりだ。
「ライ、ルさんっ! お待ちしてたっす!」
詰まりながら名を呼ぶキールに、やれやれと溜息を吐きながらライカは近づく。呼び間違えなかっただけ、成長したと言えなくもない。この姿で会うのは一度や二度ではないのだから、いい加減自然に振舞えるようになってほしいとは思うが。
「昨日の今日ですみませんが、何か情報は得られましたか」
彼には昨日、青耳兎のベルを使って、ここ最近ローディスで変わったことが起きていないか調べるよう頼んでいた。それと、セアルグを見た者がいないかどうかも調査してほしいとも。
「王都にいる商人や賞金稼ぎに訊いて回ったっすけど、北の方では何もないみたいっすね。でも、南からやってきた賞金稼ぎから気になることを聞いたっす」
「それは?」
「死者が蘇る」
キールが何を言ったのか一瞬理解出来なかった。
死んだ人間が、蘇る?
「本当ですか?」
「わかんないっす。その賞金稼ぎも実際に眼にしたわけじゃないらしいっすから」
「その人はどこでその噂を?」
「ラナッグ村っす。村の酒場にいた賞金稼ぎから聞いたって言ってたっす。信じちゃいない様子でしたっすけど」
「それは、そうでしょうね」
死者が蘇ると聞いて信じる方がどうかしている。身内に死に瀕している者がいて、どんな希望にもすがりたい気持ちでいる人間ならともかく、正常な思考の持ち主あれば、まず嘘だと思うだろう。
一度死んだ者は二度と眼を開けることはない。子供でも知っていることだ。
「俺も本当だとは思っちゃいないっす。でも噂になるってことは、何かあると思うんすよね」
キールの言葉にライカは頷きを返す。
噂というものは、広がるにつれて大げさになっていく性質を持つ。しかし、何もないのに噂がたつことは稀だ。死者が蘇るという噂には、何かしらの原因があると考えるべきだろう。
セアルグが告げてきた滅びの息吹とは関係ないかもしれないが、調べてみる価値はある。
「私もキールの意見に賛成です。ラナッグ村は通り道ですから調べてみましょう。それで、もう一つの方はどうでしたか?」
「そっちは駄目だったっす。隻眼の男を見たって人は一人もいなかったっす」
キールは申し訳なさそうに首を振る。
「気を落とす必要はありません。念のために確認してもらっただけですから」
セアルグは『闇』の人間。姿を隠すなど、呼吸するのと同じくらい容易く出来る。そう簡単に見つかるとは思っていなかった。
「助かりました。私はリムストリアに行きますので、何か分かったらマールに知らせて下さい」
ライカは受付の台に報酬の入った皮袋を置き、外套を翻して踵を返す。その背中にキールは待ったをかけた。
「俺も一緒に行くっす」
「……何故?」
「実はちょっと前に奇妙な依頼を受けたっす。そのときは、まずないと思って断ったんすけど、死者が蘇るって話を聞いて気になって」
「どんな依頼だったのですか」
「リムストリアにある幸福になれる薬を手に入れて欲しい、と言われたっす」
「幸福になれる薬、ですか」
ライカは顔を顰める。気分を高揚させたり、思考を麻痺させる薬なら『闇』にいたときに覚えさせられたが、幸福になれる薬など聞いたことがない。
それに、何を幸福と感じるかは人それぞれ違うはず。そのような薬があるとは考え難い。
「死者の蘇りも幸福になれる薬も、どっちも嘘っぽいっすよね。嘘っぽい噂が同じ時期に二つ。だから俺思ったんす。もしかしたら、ラナッグ村にいた賞金稼ぎはリムストリアから来たんじゃないかって」
「それはつまり、二つの噂の発祥源が同じだと?」
「ただの勘なんで何の確証もないっすけどね。だから確かめてみたいんす。お願いします! 俺も一緒に連れて行って下さいっす! ライカさんに迷惑はかけないっすから!」
頭が膝につく勢いで頭を下げるキール。
彼の考えは強引と言わざるを得ない。だが、ないとは言い切れないのも事実だ。
リムストリアに行くのは自分とダレスの二人。人手が足りているとはとても言えない。キールがいれば情報収集の効率が上がるのは間違いないだろう。
ライカは片手を腰に当てて短く息を吐いた。
「分かりました」
「本当っすか! ありがとうございます! すぐに用意するっす」
両手を上げてはしゃぐキールを、「ただし」と言って制する。同道するなら、なおさら彼には言っておかなければならないことが一つだけあった。
「次、私の名を呼び間違えたら、碧南海に落としますから」