4話 庭園のざわめき2
「いまお飲み物を用意しておりますので、もう少々お待ち下さいませ」
話が一段落したのを見計らってライカが言うと、グレアスが神々しいまでの笑みを浮かべて首を振った。
「いえ、私たちはもう下がります。これ以上フェリシア様にご不快な思いをさせるわけにはいきませんから」
頭を垂れて踵を返そうとするグレアス。しかし、副団長は動こうとはしなかった。
「団長だけ先に戻ってて下さいよ。俺は喉を潤してから行きますから」
最近は暑いですからねと、しれっとした顔で言ってのけるイシュヴェン。途端にグレアスの美しい眉が吊り上がる。
「イシュヴェン!」
グレアスの発した鋭い声に、近づいてきていた第三騎士が一瞬止まる。フェリシアが眼で何事か訊ねると、騎士はさっと跪いて口を開いた。
「申し上げます! 第一騎士団団長と副団長がフェリシア様にお目通りを願っております」
「……どうぞ、通して下さい」
「はっ! 畏まりました」
駆け足で去っていく第三騎士。どうして今なのかしらと、フェリシアが呟くのが聞こえた。
すぐに黒い布地に赤色の『戦の護』の紋章が描かれた服を着た二人の騎士がやってくる。因みに、第二騎士の騎士服は青色、第三騎士の騎士服は白色で紋章が描かれている。
「拝謁をお許しいただきありがとうございます、フェリシア様。あれ? リオンとシューヴじゃねえか。なんだ、また何かやらかしたのか」
「同じ血が流れる人間として恥ずかしいですよ、兄さん」
少し離れた場所で、拳を胸に当て敬礼をしたヴォードが、にやにやと笑いながらグレアスの隣に並び立つ。ティアナンは、一歩下がったところでぐっと眉間に皺を寄せた。手には水瓶のようなものを抱えている。
「ティナ、我が弟よ。いつ会ってもヒョロヒョロだな。そんなんじゃすぐにやられちまうぜ?」
「問題ありません。それより、その呼び方はやめて下さいと何度も言っているのですが」
第二騎士団副団長イシュヴェン・ザァレムと、第一騎士団副団長ティアナン・ザァレムは間違いなく血の繋がった兄弟なのだが、髪と眼の色以外は何もかもが対照的だった。大柄で豪胆な兄と、小柄で細かい性格の弟。兄は女性好きだが、弟は女性に積極的に話しかけることはしない。これほど似てない兄弟も珍しいと、騎士団の間では有名だった。
「いいじゃねえか、なあ、ヴォード団長」
「ああ。呼びやすいからな」
ヴォードは笑いを噛み殺しながら頷く。完全に面白がっている。
「貴方たち、世間話ならよそでしなさい。フェリシア様の御前ですよ」
「そうでした。申し訳ありません、フェリシア様」
グレアスに睨まれたヴォードは、さっと表情を引き締めて頭を垂れる。流石にこれ以上はまずいと思ったのだろう。イシュヴェンとティアナンも揃って頭を下げた。
「構いません。それで、何があったのですか?」
「はい。五日前のことなのですが――」
ヴォードは碧南海での出来事を詳細に語った。商船が紅鎌魚に襲われていたこと。商船は紅鎌魚を捕ろうとしていたわけではないこと。にも拘わらず、紅鎌魚は明らかに商船に対して攻撃してきたこと。そして、異常なほど狂暴だったことを。
「……原因は分かったのですよね?」
話を聞き終えたフェリシアが口を開く。問いかけというよりは確認に近い。騎士を信頼しているからこその訊き方とも言える。
「ティナ」
ヴォードが頷いて副団長の名を呼ぶと、彼はフェリシアの前に行き、跪いて持っていた水瓶を地面にそっと置いた。そして静かに蓋を開ける。
「これは……石、ですか?」
フェリシアは身を乗り出して水瓶の中をのぞき込む。その後ろからライカも水瓶に視線を落とす。瓶いっぱいに入った水の中には、白い塊が沈んでいた。
「商船に積まれていた樽の底に隠されていました。商人の話によると、リムストリアの港を出航する際、いつの間にか甲板に落ちていたそうです。見たこともない純白の綺麗な石だったので、ローディスに持ち帰り高値で売ろうと考えたと彼らは証言しました」
「何故水に浸かっているのです?」
「どうやらこの石は、乾くと近くの獣を引き寄せ狂暴化させるようなのです。商人たちから、見つけたとき石は濡れていたと聞き、水樽に投げ入れると、途端に紅鎌魚は大人しくなりました」
「では今この石を取り出して乾かすと――」
「エル殿が狂暴化する可能性がありますね」
ヴォードの言葉で庭園に微かな緊張が走る。地の民であるエルは、大きな狼のような姿をしているが、普段はとても大人しい。しかし、地の民は人間を凌駕する戦闘力を持っている。そんなエルが狂暴化して襲い掛かってきたら――辺り一帯が血の海になりかねない。騎士団長と副団長、それにライカの五人がかりでも止められるかどうか。
「我ハソノヨウナ知能ノ低イ生キ物デハナイ」
全員が水瓶に入った石を凝視していると、庭園の奥からエルが姿を現した。