39話 ざわつく
「ライカ!」
骸となった少年の傍から動こうとしないライカに、ダレスが駆け寄る。
王宮へ続く橋への侵入を防ぎ続けていたヴォードに勝るとも劣らない強さを見せたライカとダレスの出現に、橋の周囲で戦っていたリムストリア兵が沸き立つ。
士気も高まったようで、彼らはすぐに負傷者の手当てや苦戦している仲間の援護に散らばっていった。
「おい、馬鹿ダレス。さっきから何度呼び間違えてんだ」
同じようにライカに近づきながら、クレイは一つのことしか考えられなくなっている同僚の耳元で囁く。
はっとなって視線を巡らせるダレス。しかし、幸いにも訝しげな眼を向けてくる者はいなかった。
断続的に遠くの方から叫び声や金属音が聞こえてくる。何かが燃えているらしく、煙が立ちのぼっているのが見えた。
爽やかな緑の香りも澄んだ水の匂いもせず、鼻をかすめていくのは錆びた鉄のような血の臭いだけ。
リムストリア中の民が憧れる緑と水の都は、一刻と経たぬうちに惨劇の地へと変貌してしまった。
「すまん」
もしここがリムストリアではなくローディスだったら? ラシィリニオスが血で穢されたら?
謝りながらダレスは、浮かんだ考えをすぐに振り払った。
そんなことにはならない――自分が、自分たちがそうはさせない。
「いや、俺に言われても――」
「大丈夫か、ライル」
「人の話聞けよ」
「すみません、大丈夫です。この者たちが何故あのような動きが出来たのかを考えておりました」
ライカは二人の騎士団長に軽く頭を下げる。
十年間守りとおしてきた、人を殺さない誓いをついに、ついに破ってしまった。
だが、それよりもライカの心を揺さぶっていたのは、命を奪った相手が少年、それも町や村で元気に走り回って遊んでいて剣など握ったことがないような少年だということだった。
戦うことでしか生きられなかった、死というものが常に隣にいた自分とは違う。退屈で平凡かもしれないが、それでも剣を握らない生活を送れたはず。
なのに、なのに何故、この少年は戦いに身を投じたのか。
問おうにも、もはや彼に応える術はない。
「異様にもほどがあるぜ。腕を斬り落としても、脚の骨を折っても死ぬまで向かってくるんだからな。痛みを全く感じないなんてこと、あり得るか?」
剣を鞘に収めたヴォードが、腕を組んで首を傾げる。
「何らかの薬を用いたのだろう。それより、これが『嘆きの四翼』の“差別的な状況を打破する”ための策なのだとしたら、考えられる奴らの最終目的は?」
「トゥオネに住む民全員の殺害……じゃねえよな。そうだとしたら数が少なすぎる。百人くらいしかいないんじゃねえかな。もし、その倍いたらこっちがもっと劣勢になってると思うぜ。俺も二人は対応できても四人はしんどいしな」
まあ、負けはしないけどな、とヴォードは自慢げに付け足す。
「そうだな、ここには『朱の霞』もいる」
「……そうです」
ダレスの言葉に、ライカは伏せていた顔を上げた。視線の先には大きな湖、そしてその中央にある光り輝く王宮。
「『朱の霞』はここにいる。王宮におられる女王の傍ではなくここに。それが目的なのではないでしょうか」
こちら側とは対照的に、橋の向こうは静けさを保っているように見える。
「確かに今一番手薄なのは王宮だな。この橋さえ突破されなきゃ安全なわけだから」
「はい。ですが、この騒ぎの前にすでに侵入していて、王宮から『朱の霞』と兵士が出ていくのを待っていたとしたらどうでしょう?」
「女王を弑するつもりなら、今が絶好の機会だな」
「ツェルエ殿が向かわれたが……俺たちも行くぞ。女王が最終目的ならセアルグがいるかもしれん」
「おう」
「はい」
三人は橋に向かって駆け出す。
本来であれば橋の通行には許可が必要なのだが、橋の護りを固めていた兵士たちは、ヴォードが通るぜと言うとすぐに道を開けてくれた。どうやら『嘆きの四翼』と戦っている間に、彼は兵士の信頼を得たらしい。
二十人は並んで歩ける幅のある頑丈な造りの橋を全力で駆ける。
晴れ渡る青空も、水面に映る美しい王宮も、今は全く眼に入らない。
心が早くと急かせるのだ。早く行けと。
長い橋を渡りきり、正門前の一際緑溢れる広い前庭を突っ切る。
そして、黄金色に輝く国の紋章を掲げた正門をくぐり、王宮へと足を踏み入れた三人が最初に感じたことは――
「人の気配が、ない」
静寂。
玄関大広間には正門に対して正面と左右に伸びる廊下があったが、そのいずれからも、人の声も、誰かが走る足音も、何かが動く物音も、一切聞こえてこない。
「ライルの読みは当たりかもな」
「急ぎましょう。ヴォード様、女王のおられる場所は分かりますか?」
「謁見の間と執務室ならな。正面の廊下の先にある大回廊、その奥だぜ」
「説明するより早く先導しろ」
「へいへい」
ダレスに睨まれたヴォードは、僅かに肩を竦め、一歩足を踏み出した。
そのとき――
「ここより先へは」
「一歩たりとも進ませない」
しん、と静まり返った廊下に二つの声が響く。
三人は剣を抜き、素早く攻撃の構えをとった。
左右の廊下からゆっくりと人影が近づいてくる。
「な……」
誰かが驚きの声を漏らした。
現れたのは、全く同じ顔をした女二人だった。
短く切られた黒い髪も、服についた返り血も、手にした槍の穂先から血が滴っているのも。白と薄桃という服の色を除けば、全く区別がつかないと言っても過言ではないほどに同じ。
もっとも、返り血によってその服の色さえも同じになりかけていたが。
「わたしは、『嘆きの四翼』三の翼、ファムカ」
「わたしは、『嘆きの四翼』四の翼、シュニカ」
瓜二つの女たちは白、薄桃の順で名乗ると、槍の柄で床を叩き、同時に口を開いた。
「我らはこの愚かな国に裁きを下す者。異国の者、命惜しくば即刻引き返すがいい」




